障がいや病気があっても旅を諦めてほしくない。「ume, yamazoe」から広がる旅の未来|こんなだった、なんだかんだ6

「日常と違う場所に飛び込む」ことは、旅でこそ味わえる楽しみの一つ。
ですが、障がいや病気がある方にとってはそれがハードルにもなり、日常と違うけれど飛び込んでも大丈夫だと思える場所は選択肢が非常に限られてきます。

そうした現状を変えるためには、設備やサービス、制度などさまざまな面のあり方を考える必要がありますが、独自の取り組みをしているのが、奈良県東部の山添村にある宿泊施設「ume, yamazoe」です。障がいや病気がある方とその家族に向けて旅の選択を増やすことを目指した「宿泊招待 HAJIMARI」という名の取り組みは、山奥の小さな宿から少しずつ反響を呼んでいる現在。どのようにして不安をほぐしながら、旅の楽しさを届けているのでしょうか。

今回はume, yamazoeを運営する梅守志歩さんとHAJIMARIのメンバーとしてともに取り組む桂三恵さんをゲストにお招きし、取り組みへの想いや課題、これからについてをお話しいただきました。
題して、「なんだかんだ6 〜ume, yamazoeの取り組みいろいろ聞いてみようか 〜」の開催です。

この日はume, yamazoeがある山添村の山で取れた葉っぱや、お茶を煮出して作ったロウリュ水を用意したスペシャルサウナも実施。奈良名物の飛鳥鍋も特別メニューとして用意し、山添村を肌と舌で感じながらトークの時間へ移ります。

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●障がいや病気がある方の、旅への気持ちをほぐす

ume, yamazoeがあるのは奈良県山添村。コンビニもスーパーもなく、85%が森林、15%が住居といった自然に溢れた集落にあります。築100年以上の建物を使った宿は、段差や坂道が多くて電波が入りづらく、不便で不自由とも言える環境だそうです。しかし、それゆえにこの場所でしか味わえない時間があり、旅の目的地として訪れる方も多い人気の宿となっています。

そんなume, yamazoeでは、2022年から障がいや病気のある方とその家族を無料で招待する「宿泊招待 HAJIMARI」という取り組みをスタートしました。「無料で招待する」という思い切ったこの取り組みはどのように始まったのでしょうか?
「本日のイベント、東京で開催ということで、だいぶドキドキしながら奈良の山奥からやってきました。ただ今サウナに入ってきたのもあって、気持ちがふわっとしてるかもしれないです(笑)」とはにかみながら梅守さんが話してくださいました。

梅守「障がいや病気がある方にとって外食や旅行をすることは、物理的なハードルよりも心理的なハードルがあるんじゃないかなと考えていました。例えば、医療機器をつけているとびっくりされるかもしれないとか、障がいによって急に大きな声を出すかもしれないとか、周りからこう思われるんじゃないかという理由で諦めてしまうことが結構あるんです。
そこで、旅をしたいけどできないと感じている方たちに、施設側から『ここならできますよ!』と迎えることでまずは気持ち的なハードルを下げていきたいと思って取り組みを始めました」

そんな梅守さんの強い想いとともにはじまったHAJIMARI。宿泊招待の他にも、さまざまな施設で同様の取り組みが実施できるよう、宿泊事業者向けに「障がいや病気がある方への接客研修プログラム」も開発・展開しています。

梅守「2年間さまざまな方を招待して、ちょっとした心構え一つで超えられるハードルがたくさんあると気が付いたんです。そこで、私たちが培ってきた心構えや接客ノウハウを、研修プログラムにして広めていくことを始めました。
やっぱり私たちは山の中にある小さな宿なので、ここだけで取り組んでも世界は変わらないと感じていて。でも、研修を通してもっと多くの地域で迎えられる場所が増えれば、障がいや病気がある方がより外出しやすい未来になるんじゃないかと思うんです」

●目の前のできることからはじめていく

実際にHAJIMARIでは、どのようにして「ちょっとした心構え」でお客さんを迎えているのでしょうか。

梅守「訪れる方も招く方もお互いはじめて接するので、どこまでのことならできるか毎回伺いながら、可能な限りトライできるようにしてます。体が不自由な方を担いでサウナに入ってもらったこともありますが、新しいことに挑戦する様子を見てご家族もとても喜んでくださいました。でも、実際そこまで特別なことをしているわけじゃないんです。
車椅子を押すことは技術が必要なのでできないけど、車椅子の周りにいっぱいある荷物を一緒に運ぶことはできるし、食のこだわりが強い場合は、メニューにはなくても作れる範囲で対応する。基本的にできる範囲のことしかしてなくて、ハード面を整えたりお金をかけずとも、いまあるスペックでできることがたくさんあるんです」

専門的な知識はなくても、一歩寄り添って考えるだけでできることは大幅に広がる。そのことに気づくだけでも十分に意味があると話します。
そうした日々の気づきを取り入れた研修プログラムは、現在もブラッシュアップ中なのだそう。HAJIMARIのメンバーとして活動する桂三恵さんは、研修を通しての課題を話してくださいました。

「さまざまな企業の方に研修を行う中で、伝え方がとても難しいと感じていて、一歩間違えると『そうは言っても自分たちにはできない』『何かあったら責任が持てない』と捉えられてしまいます。
自分が知らない障がいがある方への接客は不安もあると思いますし、知るほどにリスクも感じてしまう気持ちはわかるのですが…ただ知らないからと言って遮断するのも違うかもと感じていて…。
障がいに関係なく、お客さんからの要望に対してこれはできる・できないといった判断軸はどんな施設にもあるはずで、それに沿って対応することと同じなんです。病気や障がいがある人には優しくしないといけないという漠然とした固定概念も却って考えを狭めているような気がしていて。そうした考え方や不安を私たちの研修で取り払えると、できることが広がるんじゃないかと思っています」

●旅の楽しさを諦めてほしくない

日々宿を運営しながら、未来を変えるべく取り組み続ける梅守さんたち。そのまっすぐな想いには、ご自身の経験が根幹にあると話します。

梅守「私は四人姉妹の三女で、一番上の姉が後天的な重度の精神疾患があるんです。姉は短大を卒業して働いていましたが、ある日突然精神的に不安定になり、2、3歳ぐらいの知能にまで落ちました。またその2年後には妹が白血病を患い、無菌室の外から見守ることしかできなくなったんです。
そこからレストランに行ったり見たことがない景色を見に行ったり、家族みんなで何か同じ経験をすることは、私たちにとっては今後一度あるかないかという遠いものになりました。…というよりも、それは選択できるはずがなく、選択してもいいということさえ忘れてしまっていたんです。

どこか我慢して気持ちを閉じ込めたまましばらく日々が過ぎていったのですが、ある時自然の中でゆっくり過ごすことがあって、ふとそんな自分の心の状態に気が付いたんですね。自然や旅に出てその場に身を委ねることで、自分の気持ちだったり家族との関係を俯瞰して見直すというタイミングってあるんだなと思って。そこで、同じような気持ちを抱えている人にも心の状態を解消できるきっかけをつくりたいなと思いました」

HAJIMARIの取り組みを始めて2年が経つ現在も、お客さん一人一人とコミュニケーションを重ねながらその人にとっていい旅の時間を考えて提供しています。決まった正解はなく手探りの日々ですが、HAJIMARIを通して宿泊にきたお客さんからのあるメールが、梅守さんの目指すものに繋がっていると話します。

梅守「自閉症のお子さんとお父さんが宿泊に来てくださって、最初こそ不安そうにしていたのですが、少しずつ話してくれるようになり、最後は本当に楽しかったと言って帰ってくれました。その後お父さんからいただいたメールがとても心に残っていて、少し紹介させてもらいます。

“関わり方とかスタッフさんもよくわからないことがあったと思うんですけど、息子も大絶賛でした。当事者と家族が一番救われるのは、プロのテクニックではなくて、寄り添いやわかろうとしてくれるその気持ちです。同じ病気や障がいでも、人によって必要な配慮とか自分のやりたいことは全然違う。そのため、どんな人にも適用する魔法のテクニックはプロの現場でもありません。お客さんと一緒に手探りで対応策を決めて、楽しい時間を作っていくことと、お互いが無理せずにできることが一番いいんじゃないでしょうか”

私たちの取り組みは『福祉』というカテゴリーに括ることもできるかもしれませんが、福祉のことをやっている感覚はなくて。これこそ、私たちがこういう距離感でやっていけるといいなと目指していることなんです」

「ハード面で便利にしていけることはたくさんあるけど、そこを突き詰めると旅先にしかない魅力や楽しむ要素がどうしても減ってしまいます。お客さんがここに来て新しいことに挑戦したり積極的になれるのは、旅先で起こる発見やワクワクする感覚が損なわれていなかったから起こることだと思うので、『旅の楽しさを提供すること』は諦めずに大事にしていきたいです」

福祉サービスではなく、旅の時間をつくりたい。その想いが、HAJIMARIならではの体験につながっているのかもしれません。

●HAJIMARIが目指す景色

2年間で24組94名を招待し、今年また新たに12組程招く予定です。継続的に続けていく仕組みも検討されており、昨年は活動資金のクラウドファンディングを実施。今後は研修プログラムを広げながら、スポンサーを増やすことも考えているそうです。

梅守「『いつでも来てください!』と繰り返し発信しているうちに普通に予約してくださるようになって、この前は海外の観光客が一組、若いカップルが一組、車椅子の方のご家族が一組という組み合わせで。いろんなものを超えて同じ空間にいる感じがすごくよくって、私が見たかった景色がある!と思いました。
ただ、現状この取り組みが大事だと思っている人がまだまだいません。でも、誰しも何十年か経てば体の変化が起きるはずで、いまのように何も気にせずに旅ができるとは限らない。そう考えると障がいや病気がある方に向けた活動に見えるかもしれないですけど、本当は自分たちの未来を作るためにやってるんじゃないかなと思ってます」

●参加者のみなさんと対話実験

梅守さんと桂さんのお話は多くの気づきを与えてくれるとと同時に、大事な問いを置いていってくれました。ここからは参加者のみなさんと対話という形式で、そんな問いについて話を深めていきます。

「大変な話、難しい話で終わらせないためはどうするか」「障がいや病気でフィルタリングしない関わり方」「障害や病気のある人が身近にいない立場ができること」など、それぞれの経験や考えを通してゆっくりじっくりと言葉を重ねていきました。

さまざまな立場の参加者の言葉を受け取り、また自分の中で新たな言葉が湧き上がり、じんわりと熱を帯びていくその対話の場は、答えに向かっているわけではないけれど、確かな兆しに向かっているように感じられました。
1時間の対話を経て、改めて梅守さんと桂さんから感想をいただきました。

「言葉としては知っているけどわかっていなかったことがたくさんあるなと思っていて、例えば『自閉症』と言っても、感覚過敏の方も大きな声を出してしまう方もどちらも当てはまります。でも梅守さんを手伝うまで身近にいなかったので、漠然としたイメージしか持ってなかったことに気付かされました。

私自身、そこまで当事者意識があるとは言いづらくて苦しく感じることもあるのですが、たどり着いた考えがあって、『俺か、俺以外か』に尽きると思うんですよね。ローランドさんの言葉なんですけど(笑)
多様性ということでもなく、そもそもが違うというか。同じ障がいや病気でも、みんな違うし、嬉しいことも違うんですよね。というか一番身近な家族でさえ、お互いに根っこで考えてることを実は知らなくて、すれ違うこともあるじゃないですか。それくらい人のことは実はわからない。そういうスタンスで目の前の人に向き合って、都度理解していくと、当事者かどうかに関係なくすごくフラットに考えられるので、改めてそこはぶれないように活動していきたいです」

梅守「今日はもっといろんな人に取り組みを知ってもらいたくて、山奥から東京までやってきました。これまで活動してきた中で、人によってはすごく尊い取り組みという印象だけで終わってしまうこともあったのですが、いざみなさんの話を聞くと、自分たちが思っている以上のことを受け取ってくれてすごく感動しました。
先ほども言ったように私たちは福祉のことをやっている感覚はなくて、ただ単純にもっと楽しい未来の方がいいと思っていて。そのために、私たちが考えていることをどう伝えて、受け取ってくれた人がどう変わっていけるといいのかずっと難しく考えていたんです。でも答えは結構シンプルで、今日来てくださった皆さんが身近な人に伝えてくださったり、街で障がいのある人がいたらちょっとおおらかな目で見るとか、それくらいのことでも心の中に芽生えていたとしたら、素晴らしいし嬉しいと思いました」

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悩みながらもがきながら未来に向かうお二人の言葉は参加者にも深く届き、これからも折に触れて思い返すであろう大切な時間になりました。
そして、投げかけられた問いは一筋縄ではいかないものだとしても、自分一人がまずできることとして『俺か、俺以外か』の心持ちがあればいい。それがわかっているだけで未来につながる一歩を踏み出せる気がしました。

この日の話を、温度のある声として受け取ることと、画面上の文字として受け取ることで、言葉の届く深さは異なるかもしれませんが、この記事を通して少しでも多くの方に届き、何かの支えになることを願います。

Text/Edit: Akane Hayashi
Photo: Yuka Ikenoya(YUKAI)

障がいのある人とない人がごちゃ混ぜになれる場所。「駄菓子屋 横さんち」の話|こんなだった、なんだかんだ4 【前編】

『もっと日常的に、障がいのある人とない人がごちゃ混ぜになれる場所がなくてはならない』
静岡県掛川市にある駄菓子屋「横さんち」は、そうした思いから生まれた場所。さまざまな障がいを持つスタッフたちで日々お店を運営しています。

神田から遠く離れたところにありますが、これまでの路上実験イベント「なんだかんだ」にもはるばる参加してくださっている横さんち。
改めてその取り組みをじっくり聞き、そして多くの人に知ってもらいたい!ということで、運営サポートをしている池島麻三子さんとボランティアスタッフとして通う高校生の佐野夢果さんをゲストにお招きし、たっぷりとお話を伺いました。
題して、「なんだかんだ4 〜駄菓子屋横さんちの取り組みとそこに通う夢果ちゃんの願いとかいろいろ聞いてみようか〜」の開催です。

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春の訪れを感じる暖かな陽気の3月16日。畳を敷き詰めた神田ポートビルの会場に30名近くのお客さんが集まり、ゆるやかにスタートしました。

●駄菓子屋 横さんちのきっかけとは?

はじめに、駄菓子屋「横さんち」の運営サポートをしている池島麻三子さんから、取り組みを紹介いただきました。
店長である横山さんの愛称が店名の由来である横さんち。元々は企業に勤めていた横山さんですが、ある経験がお店をつくるきっかけとなったそうです。

「幼少期から車いす生活を送っている横山さんですが、釣りやスキー、飲み会などどこへでも出かけるパワフルな人なんです。そんな横山さんは、企業に勤める傍ら、障がいへの理解を深めるために学校で講演をしたり、車いす体験会を開いたりと福祉教育の活動をされていました。しかし、そうした機会はせいぜい年に一度、人によっては一生に一度しかないようなもので、それだけでは伝え切ることができません。そこから『もっと日常的に、障がいのある人とない人がごちゃ混ぜになれる場所がなくてはいけない』と考えるようになり、駄菓子屋『横さんち』の誕生につながっていったんです」(池島さん)

運営サポートをしている池島麻三子さん

そんな横さんちの店舗は、車いすユーザー向けに空間設計がなされており、スタッフはさまざまな障がいのある方、後期高齢者の方、障がいはないものの生きづらさを抱える方などがそれぞれできることを発揮して働いています。

「例えば、キラキラなビーズが好きなスタッフの服部くんは、アクセサリーを作るワークショップを毎週開いています。参加するのは小学校高学年の悩み多き年頃の子たちなんですけど、服部くんは受け止め上手なのでアクセサリーを作りながらお悩み相談をしていて信頼が厚いんです。

横さんちで働く人には、なるべく個々の得意なことに合わせたお仕事をお願いしたいと思っていますが、それを見つけるのもそう簡単にはいかなくて。服部くんもいろいろな仕事をしてもらいつつも、長い間お互いにこれだ!と思えるものが見つけられなかったんです。
横さんちのコンセプトは『障がいのある人がいきいきと働く』なので、社内会議でもその仕事はその人がいきいきしているかどうかということが論点に必ず挙がってくるんですが、ビーズのワークショップを始めてから、服部くんは楽しそうで私たちも嬉しいんです」(池島さん)

●働く人も訪れる人も補い合うことは当たり前

それぞれの得意を仕事として活かすことができる横さんちですが、得意ではないことは補い合いながら働いています。補うのはスタッフ同士だけではないそうです。

「レジに時間がかかってよく行列ができるんですが、お客さんが商品のスキャンや袋詰めを自然と手伝ってくれるんです。ここを利用するお客さんの間には、補い合うことは当たり前という感覚があっていいなと思っています。手伝ってくれるのは子どもたちが本当に多くて、手伝ううちに違う学校の子同士で仲良くなったりと交流の場にもなっていますね」(池島さん)

働く人も訪れる人も自然に関わり合うことができ、街に開かれた場所として親しまれている横さんち。
肩肘張らない「駄菓子屋」という場の力も絶妙に関係しているように感じますが、いまの時代にはなかなかめずらしい形態です。実は、運営会社による一事業という側面もあります。

「『横さんち』の形態は、ITエンジニアの人材派遣会社が運営会社となっていて、そこの一事業として取り組んでいます。そのため、ここで働いているスタッフは“社員”という扱いで、いわゆる一般就労になります。
きっかけとしては運営会社の規模拡大に応じて障がい者雇用をすることになったものの、エンジニア向けの会社なので新たな仕事やポジションを考える必要があったんです。ただ、当初から見えないところで単純作業をするだけではなく、いきいきと働ける職場をつくろうという思いがありました。そこを出発点に生まれたのが、駄菓子屋というアイデアなんです。
いまの時代、駄菓子屋という形態のみで利益を出すことは難しいですが、その代わりに地域に開いた福祉や教育の場になったり、子どもたちの居場所となるように取り組むことが事業の役割になっています。地域に貢献するお仕事としてみなさん働いていますね」(池島さん)

この日は「駄菓子屋 横さんち」が神田ポートに出張出店してくださり、
お子さんはもちろん大人も「懐かしい!」と目を輝かせていました。

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横さんちの様子を思い浮かべながらじっくりお話を聞いていると
すっかりお店のみなさんに会いにいきたい気持ちに。
この日も出張で駄菓子屋さんを開いてくれましたが
駄菓子を囲むとあっという間に距離が縮まるようでした。

続いては、そんな横さんちに通いながら自らさまざまな活動を行う
高校生の佐野夢果さんにお話を伺っていきます。

後編へ続く

ひな祭りの日をレディースデーにして考えたことやってみました|こんなだった、なんだかんだ3 【#1】

3月3日のひな祭り。ひな祭りといえば、女の子の健やかな成長を祈るイメージがありますが、実は年齢に限りはないそうです。
あらゆる女性が主役となるそんな一日を、なんだかんだ3では“レディースデー”として広くとらえて、神田ポートビルに関わるさまざまなメンバーと考えたイベントを開催しました。

題して、「なんだかんだ3 〜ひな祭りの日をレディースデーにして考えたことやってみます!〜」。
踊ったり、語ったり、ととのい尽くしたり。さまざまな身体や心に嬉しいことが集まって、生まれてまもないレディーから人生経験豊富なレディーまで、のびのびと過ごす一日となりました。

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●身体と創造力をとことん解き放てば、どこまでも踊れる
伊藤千枝子・篠崎芽美ワークショップ「なんだか不思議な体感」

神田ポートビル一階では、ダンサー・振付家の伊藤千枝さんと篠崎芽美さんによる、ダンスのワークショップ。心のそこから、身体のそこから、自由に、思いついたままに、感じたままに、あれやこれやと一緒になってダンスをしていきます。

ワークショップはたっぷりコースの1時間半。会場に集まったみなさんに一体何が起きるのか若干の緊張感がただよう中、「まずは体を洗っていきましょう!」という伊藤さんの明るい一言で、体をごしごしと洗うところからスタートしていきます。

自分の体中をさすったあとは、近くの人と背中、脇、お腹、お尻同士をごしごし。
不思議なポーズで体を寄せ合っていると、だんだんと笑いがこぼれていきます。

今度は床に寝転がって、誰かと出会ったらその人にごろんと乗っかってみます。
子どもも大人も一緒に乗っかりあって大はしゃぎ!

乗っかった後は、トンネルくぐったり自分がトンネルになったり。
みんなで大きなジャングルジムをつくってくぐっていきます。

一人をくぐる。

二人の間をくぐる。

複雑にくぐる。

とにかくくぐる!

くぐり、くぐられ数十分。
「くぐる」という一つの動きに対しても、
全身を使うとかなりのレパートリーができて新たな発見の連続です。

その後は、いろいろな足の数で歩いてみたり(0本や20本という難題も!)、
馬や象になってみたり。

どんどん創造性が広がっていき、みんなで作った大きなタワーは芸術的な仕上がりに。

最後は記念撮影をパシャリ!

伊藤さんと篠崎さんに誘われるまま、身体と創造力を解き放って踊った一時間半。
ほぼ初対面のみなさんでしたがえも言われぬ一体感が生まれていて、なんだか不思議な体感にたどり着いたような光景が見られました。

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● 意外と身近にある薬草の味に出会う
新田理恵(tabel)「薬草のちから」

ダンスワークショップの隣では、伝統茶「tabel」の薬草調合師・新田理恵さんによる薬草茶shopがオープン。
独自のアプローチで薬草茶の味わい方や薬草のある暮らしを提案する新田さんが、一人ひとりに合わせてブレンドティを淹れてくださり、日本の薬草茶の世界を味わえます。

はじめて薬草茶を飲む人向けに用意してくださったのは、月桃、よもぎ、はす、黒文字と生姜、葛、紅花、金木犀の中からそれぞれ一種類の薬草を選びます。
効能で選ぶのはもちろん、どれも身体にいいので香りで選ぶもよし。

日本中をリサーチし回って選んだという、厳選された薬草でいただく一杯はよく染みる。45都道府県までコンプリートしていて残るは埼玉と宮城のみなのだとか。

「金木犀や紅花などはじめて薬草茶を飲む方にも馴染みのあるものをご用意しましたが、道を歩いていても薬草って意外とたくさんあるんです。これまで機会がなかった方も、身近なものとして楽しんでほしいですね」と新田さん。
聞き慣れた草木でも、味や効能を知るだけで風景の見え方がぐっと広がりそうです。お客さんも新田さんの解説に聞き入って薬草の世界に引き込まれていました。

#2へ続く

Text/Edit: Akane Hayashi
Photo: TADA(YUKAI), Mariko Hamano

#2「食+デザイン」|アートディレクターの秋山具義さんと、地元・秋葉原をめぐり直す。後編

「〇〇のおともに」をテーマに、あるものとあるものをたし算することで広がる神田のたのしみ方を、その道のプロフェッショナルをお迎えして紹介する「おともにどうぞ」。

第二回のゲストは、アートディレクターの秋山具義さんをお迎えし、具義さん縁の場所や最近気になるスポットを巡りながら、今と昔の神田の話を聞いていきます。

あらゆる食とデザインに触れてきた具義さんだからこそ見える神田のおもしろみとは? 多忙なはずなのにとにかく情報収集力がものすごい具義さんと歩いてみると、ちょっとした散歩でも思わぬ発見にあふれたひとときになりました。

前編はこちら

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 ●店のデザインってここが面白い

具義さんが初めてお店のデザインをしたという
ご実家でやっていた“お好み焼き アッキィ”の、カエルのロゴマーク

神田祭のポスターを通して地元を応援し続けている具義さんですが、最近では広告界きっての美味しいもの好きということもあり、お店のデザインを手がけることが増えているそうです。
お店もまた人の想いがこもった場所。どのようにデザインに向き合っているのでしょうか?

「やっぱり看板が大事。ネオンなのかのれんなのか、外からどんな風にお店の名前を見せるのかを一番考える。
よく行く店のスタッフさんが独立されたり、新店を出すときにオファーされることが多いけど、相談してくれる人がどんなお店にしたいのか、好きなロゴとかイメージしているロゴがあるか、ちゃんと会話して聞かないといいものはできないよね」

かたちにする前に、相手の思いをしっかり引き出すこともアートディレクターの大きな役割。この日もデザインの仕事ではないものの、ほたて日和の店主にいろいろと質問をしておしゃべりが弾んでいた具義さん。作り手との対話に長けている姿が印象的でしたが腑に落ちました。

「店名を考えることも結構あって、住所が南青山七丁目だから”南青山 七鳥目”とか、警察署の横にあるから“Buger POLICE”(バーガーポリス)とか、オーナーが若い頃サッカーをしていてポジションがライトウィングだったから“右羽”(うう)になったりとか、いろんな方向で案を出すんだけど、意外とひょんなところから決まったりする。
Buger POLICEなんかはお客さんがお店に行ったことをSNSで『出頭してきました!』って言うようになったりしてるんだけど(笑)、その場所らしいコミュニケーションが生まれるのもいいよね」



 ●とっておきの日の手土産は「竹むらの揚げ饅頭」

さて神田・佐久間町界隈を中心に具義さんの庭をそぞろ歩いたあとは、お世話になっているある方への手土産を買いに、具義さんお気に入りのお店に向かうことに。池波正太郎はじめ、多くの食通に愛された1930年創業の甘味処『竹むら』で、名物の揚げ饅頭を買います。

連続テレビ小説『虎に翼』でヒロインの寅子が度々訪れる
甘味処『竹もと』は、ここ『竹むら』がモデル。

『竹むら』の揚げ饅頭は、具義さんにとっては「ここぞ」という時の手土産なのだそう。
大学時代、アートディレクターである友人の青木克憲さんとともに、グラフィックデザイン界の巨匠・仲篠正義さんに作品を見せに行くというときも、『竹むら』の揚げ饅頭を持っていったという勝負土産です。

そんな思い出を振り返りつつ到着したのは…

ジャン!ほぼ日の本社!

ごめんくださ〜いとエレベーターを上がると、糸井重里さん!

具義さんはほぼ日のキャラクター「おさる」もデザインしていて、糸井さんとはほぼ日刊イトイ新聞の創刊当初からのお仕事仲間。しかし、実は具義さんが広告業界を目指したきっかけは、広告や雑誌やテレビで活躍していた糸井さんに憧れたからなんだそうです。

揚げたてで熱々の揚げ饅頭を見て
「なんかこう見ると卵の天ぷらみたいだね」と糸井さん。

さっそく竹むらの揚げ饅頭をお渡しすると、「これめちゃくちゃ甘いんだよね〜。しかも揚げたてじゃない」と目を細める糸井さん。熱々の揚げ饅頭を続けざまに2つ、ぺろっと食べてくれました。

揚げ饅頭をほおばりながら近況をお話しするお二人。

「糸井さん、今日僕ら“ほたて日和”に行ったんですよ。めちゃくちゃ美味しかったです」
「あ、あの昆布水のところ? いいねぇ。神田のつけめんと言えば、金龍もうまいんだよ」
「(食べログを開いて)あ、行きたいマークつけてるところだ」
「俺はさ、今日ついに行ったんだよ。謎のうなぎ屋。メニューがない店でさ、でね……」

と、神田のグルメ情報や、最近の店の変なシステムとか、トンカツとかうどんとか食の話で大盛り上がり。年を重ねても衰えることなき好奇心と情報収集力。さすがです!

具義さん愛用の2024年度版「ほぼ日手帳」に
「超素敵」の言葉を添えてサインを書く糸井さん。
この儀式は毎年行われているそうで昨年は「豆大福」だったそう。

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ほぼ日を出た我々は、本日の最終目的地、神田ポートビルに到着。お疲れさまでした!

ゲーム、アニメ、漫画、アイドル。さまざまなカルチャーが渦巻くまちで、具義さんはどう過ごしたのか想像しながらまわった今回の散歩。
たった数時間の散歩でしたが、個人的な思い出とともに立ち上がる風景を見ると、まちから具義さんへ脈々と流れる血筋ならぬ地筋を感じました。

お話の中では、作品にしても食にしても、膨大な数をキャッチしていることが印象的だった具義さん。そしてただ受け取るだけでなく、その「良さ」の理由を見渡して捉えるアートディレクターたる姿勢に、ものごとを広く深く楽しむヒントがありました。
幼少期から秋葉原カルチャーを浴び続けることで培われた業のようでもありますが、そんな眼差しを少しでも意識してみると、一皿の食事もぐっと豊かなものになりそうです。

さて、次は神田でどんな〇〇+〇〇をたのしみましょうか。


Text: Miyuki Takahashi
Edit: Akane Hayashi
Photo: Masanori Ikeda(YUKAI)

#2「食+デザイン」|アートディレクターの秋山具義さんと、地元・秋葉原をめぐり直す。前編

カレーの街として名高い、神田。学生が本を片手に、スプーン1本で簡単に食べられるということから、カレーの需要が高まったという。読書のおともにカレー、新幹線旅行のおともに駅弁、ドライブのおともに音楽。おともがあると、楽しみもぐっと増す気がします。この企画では「〇〇のおともに」をテーマに、あるものとあるものをたし算することで広がる神田のたのしみ方を、その道のプロフェッショナルをお迎えして紹介します。

第二回のゲストは、アートディレクターの秋山具義さん。広告、パッケージ、ロゴ、キャラクターデザインなど幅広い分野でアートディレクションを行うかたわら、広告界きっての美味しいもの好きとしても有名な具義さんですが、実は神田佐久間町のご出身。秋葉原周辺で漫画やゲームに囲まれた幼少期を送ってきたそうです。

今回は、そんな具義さん縁の場所や最近気になるスポットを巡りながら、今と昔の神田の話を聞いていきましょう。
あらゆる食とデザインに触れてきた具義さんだからこそ見える神田のまちやお店のおもしろみとは? 多忙なはずなのにとにかく情報収集力がものすごい具義さんと歩いてみると、ちょっとした散歩でも思わぬ発見にあふれたひとときになりました。

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●ホームタウン・神田佐久間町。
電気街のそばで過ごした幼少期を振り返る。

本日のスタート地点は、秋葉原駅の昭和通り改札前。電器屋がぐるりと囲む秋葉原のど真ん中ですが、ここは具義さんのホームタウンです。
全員集合していざ出発と歩き始めて10秒、さっそく第一思い出スポット発見! 駅前の「秋葉原公園」で足を止めました。

「昔はここらへんに大きいロケット型の遊具があってさ」と具義さん。
今はベンチとちょっとした緑がある広場ですが、かつては遊具もあり子どもたちの間で「ロケット公園」と呼ばれて親しまれていたそうです。

「この辺りは公園が結構あって、よく行っていたのは佐久間公園。ラジオ体操しに夏休みは毎日通ってたね。しかも近くに美味しいパン屋があって、帰りに必ずあんぱん買ってたんだよ。小学校から帰ってきて公園に行く前に立ち食いそば屋でコロッケそば食べるのにハマってた時期もあったなぁ」
とおもむろに歩き始め、佐久間公園に向かいます。

道中、この辺りには
漫画『月下の棋士』の舞台となった将棋倶楽部や
メロンソーダ飲み放題のゲームセンターがあったことなど、
知る人ぞ知るディープな情報が次々飛び出します。
佐久間公園近くの「青島食堂」は
具義さん行きつけの人気ラーメン店。
新潟5大ラーメンの、長岡生姜醤油ラーメンが食べられる。
昨年末には1時間半並んで食べたほどお気に入りだそう。

駅から300メートルほどの距離を濃密に歩いたところで佐久間公園に到着。カラフルな新しい遊具のある公園ですが、歴史は古く、片隅にお稲荷さんが祀られているのが特徴的です。

「当時はブランコに乗りながら時計塔を狙って靴飛ばししてたなぁ」
と具義さんが振り返りながら公園を見渡すと、なにやら立派な石碑が。なんの気なしに覗いてみるとびっくり。

ここ佐久間公園はなんと、ラジオ体操会発祥の地!
1928年に国民の健康増進のためにテレビ放送を通して広まったラジオ体操ですが、朝に集まって体操を行う「早起きラジオ体操会」を全国に先駆けて始めたのがここ佐久間公園というわけ。
具義さん、すごい由緒正しき公園でラジオ体操していたんですね。

そんな秋葉原のど真ん中で育った具義さん。このまちでいったいどのように過ごしてきたのでしょうか?

「小学生の頃は、ジャンプ、マガジン、サンデー、チャンピオン、キングあたりの少年漫画雑誌はほとんど読んでたよ。アニメージュやジ・アニメっていうアニメ雑誌も愛読していて、漫画・アニメ好きだったな。中学に入るとアイドルも追いかけるようになって、伊藤つかさ、石川秀美、林紀恵と、ファンクラブに三つ入ってた。
あとは電気街が近所だったからゲームセンターによく通ってて、インベーダーゲームなんか40分くらいゲームオーバーなしでプレイし続けたこともあったな。ヘッドオンっていうゲームが好きで、すごく音がいいからいまでもたまに聞きたくなるね」

まさにあらゆるカルチャーを網羅していた具義さん。秋葉原がゲームやアイドルのまちとして知られるようになる前の時代なので、アキバ系のはしりと言えます。
作品やコンテンツをキャッチする量の膨大さがいまの具義さんの活動につながっているように思えますが、その類稀なるスキルはこのまちで育ったことで培われてきたものなのかもしれません。



 ●地元に誕生した注目グルメ。行列必至のつけ麺をいただく

公園をぐるりと回ったところでお昼の時間に。具義さんがいま一番気になっているという佐久間町の「Tokyo Style Noodle ほたて日和」へ向かいます。

「ほたて日和」は2022年12月にオープンしたばかりですが、有名ラーメン情報サイトのランキングで1位を獲得したこともあり、テレビでも度々取り上げられる超人気店。この日は編集部が朝8時に並んで記帳しておいたためランチタイムぴったりにお店へ入れましたが、事前予約必須の代物。具義さんも嬉しそうです。

この日注文したのは「特製 帆立の昆布水つけ麺 黒【醤油】」。
割烹かと思うほど盛り付けが美しく、昆布水に浸った麺が光輝いて見えて期待が高まります。
お店の方が美味しい食べ方を丁寧にレクチャーしてくださり、言われた通りの方法でいただきます。

はやる気持ちを抑えて、
いただく前にスマホでぱしゃり。
真俯瞰で構えるのがおいしく撮るポイント。

最初は、店名にもなっている北海道産帆立のカルパッチョを一口いただいてから(当然美味!)、次にぬるぬるの昆布水に絡んだ三河屋製麺の麺をそのままいただきます。

昆布水の旨味とぬめり、こしのある麺の食感が合わさって、何もつけてないのに抜群の美味しさ。ここに鰹塩やわさび、ディル(さわやかな香りとほろ苦さを持つセリ科のハーブ)などで味変しながら麺とトッピングを楽しみます。

美味しすぎてどんどん食べ進めてしまいますが、つけダレで食すのも忘れずに。マイルドなつけダレでいただく麺も当たり前ながら最高です。さらに、味変効果の高いトリュフオイルを絡めて麺だけを楽しみ、最後はスープ割りを堪能しました。

店主の及川さんと。ごちそうさまでした!

味の変化を感じながらいろんな食べ方を楽しんだからか、コース料理を食べ終えたかのような満足感!
「めちゃくちゃ美味しいし食べ方も楽しいし、すごかった!」と具義さん。気さくな店主とのおしゃべりも弾み、充実度たっぷりのひとときになりました。

味はもちろん、食べるまでのプロセスや作る人の背景など、「美味しい」という気持ちに少し立ち止まってそのまわりを眺めてみる。そんな具義さんの眼差しに、広く深く食を楽しむヒントを感じられました。



●“中の人”として続けてきた神田祭の町会ポスター制作

昼食後は秋葉原を抜けて、
旧3331 Arts Chiyoda(現ちよだアートスクエア)へ。
旧練成中学校の校舎を改修してできた建物ですが、
なんとここが具義さんの母校。

佐久間公園やほたて日和のある神田佐久間町は、まさに具義さんが生まれ育ったまち。通っていた小・中学校へをめぐりながら、30年近くボランティアで作り続けている神田祭の佐久間3丁目ポスターについて聞いてみました。

「ポスターは1991年くらいからやってるかな。まだ広告代理店に勤めていた頃に近所の知り合いにお願いされて引き受けたんだよ。会社の仕事とは違うところで、自分で自由にデザインしたいと思っていた時期でもあったし。
あと、自分の地元に関わるデザインをしている人はたくさんいるけど、町会という規模でやってる人はなかなかいないでしょ? 町会くらいの距離感になると本当に中にいる人じゃないとできないことだし、そこに取り組むのはおもしろいと思ったんだよね」

江戸時代から続くこのまちの一大イベント・神田祭。具義さんもポスター制作だけでなく、神輿担ぎや子供神輿のサポートなど、町会の一員として担当したこともあります。

「デザインは毎回3〜4案出してるけど、30年以上デザインを続けているともうネタが尽きて大変なんだよ(笑)。だから、ポスターに入れる要素と、赤と黒の2色刷りというルールは決めておいて、その時代に合わせた内容でデザインを考えるようにしてる」

例えば令和5年度版では、コロナ禍を経て久しぶりの開催だったため、「かつげるって、しあわせ。」のコピーと涙を流すイラストがデザインされました。

「あと、普段の広告の仕事だと看板にきれいに掲示されるけど、町会のポスターはまちの人たちが自分の家や店先とかフェンスとかにベタベタと貼っていて、そういう風景もいいんです」

そこで暮らす人の思いを汲み取って、まちに一体感を作ってきた神田祭のポスター。そこには、30年以上関わり続けている具義さんとまちとの長く培われてきた信頼関係が感じられました。


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まだまだ続く具義さんとの散歩。
後編ではお店のデザインについてお話を伺いながら
具義さんがお世話になっているというあのお方に会いに行きます。

後編に続く


Text: Miyuki Takahashi
Edit: Akane Hayashi
Photo: Masanori Ikeda(YUKAI)

神田いらっしゃい百景|BOOK SHOP 無用之用

神田の街を歩くと次々に目に飛び込んでくるお店たち。色とりどりの看板や貼り紙は、街ゆくすべての人に向けて「いらっしゃい」と声をかけているようで、街の人の気風を感じることができるでしょう。

神田いらっしゃい百景は、街に溢れる「いらっしゃい」な風景をご紹介します。

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BOOK SHOP 無用之用
〒101-0051 東京都千代田区神田神保町1-21−2 一和多ビル2F
アクセス:
地下鉄神保町駅A7出口より徒歩2分

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訪問者 林亜華音
オープンカンダ編集スタッフ。
共同店主の美帆ちゃんは学生時代のインターン仲間。
こんなに愛される場所をつくってるなんてしびれる!

フォトグラファー 池ノ谷侑花
オープンカンダ撮影スタッフ。
神保町よしもと漫才劇場から歩いて3秒のところにあるお店。
ライブ終わりはここに決まり

なんだかんだ2って結局なんだった?|
#1 協力と許可と仲間と資金と

2023年11月3日。
神田錦町にて、路上実験イベント「なんだかんだ2」が開催されました。
第一回目を春先に開催してから半年足らず。
前回の手応えと反省を活かして、
パワーアップした第二回目となりました。

路上に畳を敷き詰めて、さまざまなものごとに出会うそのイベントは
どのようにできて、どんな場所を目指していたのでしょうか。
なんだかんだ2って、結局なんだった?
その疑問に、オープンカンダ編集部が迫ります。

INDEX
#1協力と許可と仲間と資金と
#2 盛りだくさんすぎる演目。みんな何やってた?
#3 クリエイティブディレクターに聞く。これからのなんだかんだ

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プロローグ

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#1
協力と許可と仲間と資金と

神田での路上実験イベントとして立ち上がった「なんだかんだ」。前例がなく、規模の大きい取り組みゆえ、実現はまさに修羅の道でした。
その中で必要となったのが、公共の場で新しい取り組みを始めるにあたって不可欠となる「協力」と「許可」、そして取り組みをより良いものにするためにあると嬉しい「仲間」と「資金」です。

なんだかんだもこれらを地道に集めることで開催にまで至ったわけですが、その裏側を知るのは運営メンバーのごく一部だけ。けれど、こうした取り組みをもっと広く参考してもらえれば更なる街の活用につながるかもしれません。
そう思い立って、なんだかんだ2の開催に先駆けて、開催までの過程を事細かに明らかにしてしまう「なんだかんだプロセス展 ~どのようにして実現できたの?〜」を実施しました。
展示の様子とともに、開催までの過程をご紹介します。

前身となる路上活用の取り組みからはじまりつつ、千代田区による実証実験の公募への落選という苦難の背景があったなんだかんだ。

その後、神田プレイスメイキング実行委員会を発足して体制を整え、実現に向けた千代田区とのすり合わせを重ねていきます。道路という公共空間を使用するとなると、千代田区だけでなく警察や町会などの協力も必要になり、各関係機関への許可申請のプロセスまでつまびらかに大公開。
展示には許可申請書の原本まである驚き!

さらにクラウドファンディングの実施や開催後の来場者アンケート、今後の運営体制など、継続的に続けるための仕組みも明らかにしました。

この街の課題は何か、これをやると誰が嬉しいのか、道路占有よる問題はないか。ひとつひとつ向き合って資料にまとめて各所に説明し、課題点をクリアにしていく。
地道なことですが、膨大な資料はそれらに費やされた時間や労力、さまざまな協力があったことを雄弁に物語っていました。こうしたプロセスを明らかにする展示は今後も路上実験イベントに合わせて継続していく予定です。

そんな流れを経て開催することとなったなんだかんだ2。実際にどんな空間になったのでしょうか。

#2に続く

Text/Edit/Manga: Akane Hayashi
Photo: Yuka Ikenoya(YUKAI)

なんだかんだって結局なんだった?|路上実験イベントなんだかんだレポート

3月30日、4月1日に開催された路上実験イベント「なんだかんだ」。
「あたらしい神田の縁日をつくろう!」をテーマに、
ご近所の方やゆかりのある方が集まって
あたらしい出会いや体験を楽しむ場がたくさん生まれました。​​

路上を実験するイベントということもあり、
普段は見られないようなあんなことやこんなことが次々と起こった二日間。

果たして「なんだかんだ」とは、一体なんだったのでしょうか?
神田の一角で生まれたさまざまな光景をレポートでお届けします。

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▶︎SCENE 1
街の人の協力があれば、路上に畳をたくさん敷ける

なんだかんだの大きな求心力となった畳たち。
路上に敷くなんて、おそらく畳も驚いたことでしょう。
前代未聞のチャレンジングな試みでしたが
町会や警察署の協力により実現しました。

畳を敷けることになったものの、広〜い路上に敷き詰めるとなると一大事!

かと思いきや、
畳を待ち構える行列が。
ボランティアの学生のみなさんの出動により
瞬く間に敷かれていきます。
特に打ち合わせしていないのに、きれいなまでの流れ作業。
すいすいと敷かれていく様子はもはや心地よい。
おかげで100枚以上の畳が数分で設置完了!

作業はあっという間でも、みんなで敷くと達成感もひとしおです。
たくさんの準備ののち、いよいよ舞台が整いました。

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▶︎SCENE 2
畳を敷くと、〇〇が起きる

畳を敷いてみると、
あちこちでさまざまなことが起きていきました。
街中に畳があるという光景は、日常ではそうあり得ない不思議なものですが
すんなり馴染んでしまうのは神田の土地柄か、畳のパワーか。

畳を中心に繰り広げられたあれこれをダイジェストでご紹介します。

畳に入ってしまえば、路上でも周りを気にせず無になれる。
畳の上では、赤ちゃんも身を委ねてのびのびできる。
畳を敷けば、ギャラリーがお茶の間になる。
畳でかるたは当然に盛り上がる。
畳で書道は当然に落ち着く。
畳があるとおしゃべりが弾む。
畳があると、読み聞かせに集中できる。
畳に茶道の精神が揃えば、結構なお手前をじっくり楽しめる。
畳があると、身体をめいっぱい使って踊れる。
畳なら、こんなに大胆になっても大丈夫。
畳をフロアに、DJプレイができる。
畳のそばに脱いだ靴が並ぶと、
誕生日会で同級生たちが家に来た日みたいでわくわくする。

屋外なのに、いや屋外だからこそ
ポテンシャルがおおいに発揮された畳。

畳には、懐かしくほっとする心地よさと
あらゆることを受け入れる懐の深さがありました。

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▶︎SCENE 3
道のたのしみ方いろいろ

なんだかんだは、神田の道のおもしろい使い方を考え、
あたらしい出会いや体験の場となることを目的とした
「実験イベント」​​ということもあり、道の使い方も実にさまざまでした。

ここから道の様子をご紹介。

通り沿いのビルも使って、ダイナミックに演劇ができる。
みんなの視線を感じつつも、プロに写真撮ってもらえると嬉しい。
文房具が並んでると、なんだかときめいて引き寄せられる。
道路の袖に芝生があればモルック大会が開催できる。
サウナチャンピオンだって開催できる。
道端で右ストレートを披露すると拍手がもらえる。
道にお店が並べば、あっという間にお祭りムードになれる。
道端で、超老舗店にふらりと出会えるとより嬉しい。
道路の上でも神社は出張できる。
竹尾の紙絵馬が並ぶと道が華やぐ。
路上であっても、全身を委ねるハンモックは気持ちいい。
最先端のモビリティに乗れば、優雅に神田の街並みを楽しめる。
道端でも工作大好き。
ちょっと開けた場所には即席でプレーパークだってできる。
道の一角でも神輿を担げばたちまち熱気に包まれる。

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神田の道の上が一人一人にとっての
「あたらしい出会いの場」になってほしいという思いではじまったなんだかんだ。
たった二日の出来事でしたが、同時多発的にこんなにもの光景が生まれ
あたらしさとうれしさが溢れる場だったように思います。

なにより路上でたのしいことが起きていると、
歩くたびにたのしい光景がすぐに目に飛び込んできて
街自体がその空気に包まれていきます。

たのしいことを考えて披露した皆さんと、たのしく過ごす皆さんが出会う様子に
たくさん触れることができた、なんだかんだでした。

Text: Akane Hayashi(BAUM LTD.)
Photo: TADA(YUKAI), Mariko Hamano

なんだかんだ ふたりの町会長と街あるき

2023年3月31日、4月1日に開催がせまる路上実験イベント「なんだかんだ」。
神田ポートビルと神田スクエアを会場に、神田の道のおもしろい使い方を考え、たくさんの人をつなぎ、あたらしい出会いや体験の場をつくります。

ふたつの会場は歩いて5分ほどと行き来しやすい距離ですが、当日はそれぞれの会場を巡回をするモビリティが登場。モビリティに乗って風景を楽しむのもよしですが、街の歴史を感じながら回るともっと楽しいのでは?
ということで、イベント開催に先立って町会長による神田の街歩きツアーを決行。
春の訪れを感じる陽気に、どこか色めき立つ街をぐるっと巡りました。

当日お越しになる方はこのレポートとともにお楽しみください。

〜案内してくださった人〜

〜なんだかんだ 会場MAP〜

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学士会館の前に参加者の皆さん集合。
この日は5月くらいの暖かさで、絶好のお散歩日和です。
前田町会長が用意してくださったガイドを片手にいざ出発。
錦町コーデでいらっしゃった前田町会長。
隣りの大きなブロンズ製のモニュメントは、「日本野球発祥の地」の碑。
かつてこの地にあった第一大学区第一番中学で
アメリカ人教師が学生に野球を教えたのが始まりだそう。
この日は日本中が湧いたWBC優勝直後ということもあり、石碑も一層輝いて見えます。
学士会館の建物は、1928年に竣工したもの。
ドラマ「半沢直樹」で土下座が行われた部屋があり、中も立派です。
いまでこそきらびやかな印象ですが、
火災や震災による2度の全焼を経ていまの姿があります。
さらに学士会館をぐるっと回っていくと…
生垣の間に「東京大学発祥の地」の碑と
新島襄生誕の地の碑が。
このあたりはかつて蕃書調所(江戸幕府直轄の洋学研究教育機関)があったり
上州安中藩の江戸上屋敷だった背景があったりと、
あらゆる物事がはじまった地である学士会館。
学士会館を後にし、桜を横目に神田警察通りを歩いて行きます。
通り沿いにある神田税務署は、かつて錦輝館という大規模な多目的会場があり、
1897年に東京で初めて映画上映が行われた場所です。
(税務署からは到底結びつかない歴史…)
当時は三等席でも盛りそば11枚相当の料金だったのだとか。
こちらは東京電機大学の創立者でもある、
廣田精一​​が立ち上げた電気科学系出版社のオーム社。
紙の専門商社の老舗、竹尾も100年以上神田錦町に本社を構えます。
一見ビルが並んでいるように見えますが、実は古くから高校もあります。
こちらは1896年創立の正則学園高校。部活動が盛んで、最近は花いけ男子部が有名。
そのお隣には錦城学園高校。1880年に創立し、1889年に神田に移転しました。
100年以上もの歴史を持つ場所が次々と現れる驚き。
そしてなんだかんだの会場、神田スクエアに到着。
この石はもしかして…
電機学校(後の東京電機大学)発祥の地の碑でした。石碑多し。
日本で初めてテレビの公開実験が行われたのもここなのだそう。
一方で、町会長たちが子どもの頃はここがラジオ体操の会場だったとか。
野球、大学、テクノロジーと発祥のジャンルが多岐にわたる神田錦町、奥が深い。
続いて神田スクエアからすぐの老舗そば店、更科へ。
ランチタイムが明けたばかりのお店を抜けて堀井町会長が合流です。
更科の前にあるビルもかつては映画館で、
神田の町にはどこにでも一軒は映画館があったのだそう。
神田錦町三丁目にあった「南明座」という映画館は
そのさらに昔、南明館という勧工場​​(百貨店の前身のようなもの)で
↓のような立派な建物があったようです。見てみたかった…
『風俗画報』増刊 第193号「東京名所圖會 神田區之部 上巻」
(明治32年7月25日発行)
堀井町会長はアドリブの案内スタイル。ずんずん紹介してくれます。
ビルの隙間にひょっこり現れる五十稲荷神社。400年(!)以上鎮座する神社。
なんだかんだでは、神田スクエアに出張所をつくり、限定御朱印スタンプを行います。
左にある社殿・社務所は、次の100年に向けて2021年に建てられたのだそう。
やはり神社は見据える時間のスケールがすごい。
なんだかんだのポスターも貼ってくれていました。
神田スクエアの方へ戻ります。
敷地内を見ると、ここにもひっそりと豊川稲荷がありました。
明治時代にこのあたりで立て続けに火災があり、社殿も荒れ果てていたところを
町内の有志が集まって清掃修復を行い、以来残り続けているそうです。

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徒歩5分圏内をあちこち巡ってあっという間に1時間。
町会長のお二人の話には、この街に生まれ育ち、これからを考えているからこその想いが溢れていて、歩いたり調べただけではたどり着くことができない、街の一面を見ることができました。

ツアーの最後に、堀井町会長がこうお話ししてくださいました。
「当時の街の商人は、あらゆるものに神が宿ると考え、植物から建物まで街にあるものすべてを大切にしていました。時代とともに街の風景は変わっていきますが、いまの時代の人にも街を大切に思う気持ちは変わらず持ち続けて、もっといい街にしてほしいと思いますね」

街の歴史は自然に積み重なるものではなく、実際に過ごし、残し、語り継ぐ人の存在が欠かせません。
街のみなさんとあたらしい出会いや体験をつくる「なんだかんだ」も、神田の歴史をつむぐ特別な日となりますように。ぜひお誘い合わせの上、お越しください!

Text: Akane Hayashi(BAUM)
Photo: Yuka IKENOYA(YUKAI)

神田未来妄想談義 at ちよだプラットフォームスクウェア

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さまざまなオフィスビルが立ち並ぶ神田の街に、日本におけるコワーキング文化の先駆けとなるシェアオフィスがあります。
その名も「ちよだプラットフォームスクウェア」。「シェア」という言葉がまだ新鮮味を帯びていた2004年、神田錦町3丁目に誕生しました。以来、新たなビジネスや文化を生み出していくための拠点として、多様な人や地域と混ざり合う場所となっています。

そんなちよだプラットフォームスクウェアは今年で創立17周年。シェアオフィスとしてはベテランですが、人間でいうとまだまだフレッシュな年頃。新型コロナウイルス感染拡大が様々な影響を及ぼす中、シェアオフィスとして街の一拠点として今後どうあるべきか、ひいてはこれからの神田の街や都市のあり方、一人ひとりの働き方がどう変化していくのか、重要な岐路に立たされているとも言えます。
そうした未来について、シェアオフィスらしくさまざまな人とオープンに模索するべく、神田にゆかりのある方々が集まって鼎談会が開催されました。

ゲストとして登壇されたのは、元東京都副知事であり、都市政策を研究する青山佾さん(明治大学名誉教授)、2020年秋に神田錦町にオフィスを移転された糸井重里さん(株式会社ほぼ日 代表取締役社長)、神田淡路町や錦町のまちづくりに取り組む須川和也さん(安田不動産株式会社 常務執行役員)。
そしてちよだプラットフォームスクウェアを運営する丑田俊輔さん(プラットフォームサービス株式会社 代表取締役社長)をモデレーターに、まだまだ試行錯誤の途中にあるこれからのオフィスや街について、その答えに近づく一歩として、さまざまな立場や視点から考えを深める場となりました。

神田の知られざる魅力やポテンシャルの話に始まり、これからの暮らしや街のあり方にまで幅広く展開されたこの談義。いくつかのトピックとともに今後のヒントとなるお話をご紹介します。    

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●意外と知られていない神田のあれこれ

まずは、ゲストの方それぞれ研究者、クリエイター、デベロッパーという全く異なる立場で神田と関わっているということもあり、各々から見た神田の良さについて語りました。

1.街自体が人懐っこい

2020年秋にオフィスを移転したばかりの糸井さん。神田に来てまだ日は浅いですが、街を歩いていると気さくに話しかけてくれる人が多いようで、この日もご近所の方がたくさんいらしていました。

「そういう身近なやり取りがあることで地域を感じるというか、街自体が人懐っこいですよね。自分はこの場所の人間なんだと思える理由がたくさんあるなと思います。
それに、神田は人が暮らしている匂いがちゃんとする。移転を考えたのも、人の日常や生活がある街に会社を構えたかったからなんです。だから思っていた通りで、毎日やってくるのが楽しみなんです」(糸井さん)

2. 意外と近くて、意外と広い

続いて都市計画に関わる須川さんと青山さんは、神田には地理的なおもしろさがあると言います。

「神田という言葉から思い出すのは、JR神田駅周辺が多いと思います。でも実際に来てみると、神保町や錦町、それから駿河台も秋葉原も全部神田です。かなり広いし、場所によって性格も異なっていて、そのあたりは何度訪れてもおもしろいと感じます」(須川さん)

「向かう方角によって景色が異なりますが、まさにそこが神田の良さですよね。大手町も東京駅も歩いていけますし、秋葉原や御茶ノ水も意外と近い。他のメジャーな街でも、駅から5分歩くともう商店街が途切れしまうといったことがありますが、神田はさまざまな街につながっている。この実力を生かしてくことが、さらに神田の魅力を高めると思いますね」(青山さん)

「神田には長い歴史があって、広い地域の中にいろんな要素がたくさん残っている。神田に含まれるそれぞれの地域の人たちが連合国のように自分は神田の人間だと思っていると逆にポテンシャルとなるんじゃないかなと思いますね」(糸井さん)

●まだまだある、神田ののびしろ

人々の生活が根付いているからこそ、各地域の個性が立っている神田。一方で、まだまだ活かしきれていないポテンシャルがあるようです。

1.23区内でも圧倒的に広い道路

青山さんは、都市計画の視点で東京の他のエリアにはない神田のポテンシャルを指摘します。

「神田に長く関わる中で、いろいろいじった方がいいと思うことの一つが道路。まず神田地域は道路面積率がとても高いんです。東京の23区に占める道路面積の割合は16%ですが、千代田区は圧倒的に高くて28%ぐらい。そういった状況なので、私が参加している神田駿河台まちづくり協議会では、15cmずつ歩道を広くしてきました。やはり人が歩きやすい街になると神田のこの一体性がさらに増すので、そういったことを考えていかなくてはいけないと思いますね」(青山さん)

2.鮭理論と学生寮

神田淡路町のエリアマネジメントにも関わる須川さんは、ワテラスという施設での取り組みを通して期待されていることがあるようです。

「2003年問題が騒がれていた頃、神田の中小ビルからもテナントがいなくなってしまうのではないかという話があり、そうした中小ビルをコンバージョンして学生マンションに転用しようということを考えていた地元の方がいらっしゃいました。その考えを基にワテラスに学生マンションを導入しました。このあたりは大学が多いので需要も見越していましたが、主な狙いとしてあったのは10年20年と長期的なタームで考えて、街にゆかりを持った学生を増やすこと。鮭理論と呼んでいましたが、鮭が生まれ育ったところにまた戻ってくることと同じ発想です。

学生が関われば、神田の賑わいにも資するんではないかと考えて、ここに住む学生は街の取り組みに参加してもらうようにし、自主イベントも盛んになっています。OBOGも増えてきて今後何らかの付き合いができることが楽しみです。息の長い話ではありますが、こうした取り組みは大事だなと感じていますね」(須川さん)

3.観光地としての要素

糸井さんは、外からの目線で、神田の見え方、魅力の伝え方をお話くださいました。

「引っ越してきてから遊びに来てくれる友達みんな、来てみたらいい街だねって言ってくれるんです。特別な場所に行ったわけじゃないけど、ぶらぶらしてるだけでこの街ならではの雰囲気を感じられるというか。観光地的な側面を神田が持っているんじゃないかと思います。
その理由のひとつとして考えているのは、家賃を払わなくていい人が多いので、利益にそこまでガツガツしなくていいところがある。そういう人たちが混じっていることでできている雰囲気なんじゃないかって思うんです。

一方で、利益を出そうとすることで、外の人の行き来がたくさん増えていいんじゃないかとも思いますね。ポツポツとでも人が集まる観光地が混ざらないと、やっぱり街として伸びない。それはどの場所も同じで、ちょっと神田にいってみようかという観光の要素がこれから大事かなと思っています」(糸井さん)

オフィス街としてのこれから

オフィスビルが集積する神田の街。住む人よりも働きに来る人が多い中で、働く場としてどうあるべきか。登壇者の皆さんが仕事の場として何を感じているのかお聞きしました。

1.質的に異なるオフィスのニーズが増える

そもそもオフィス全般の話として、実際のところどういった状況になっているのか。須川さんと青山さんから意外なお話が繰り出されます。

「コロナウイルスの影響でオフィスが今後どうなっていくのか、まだ何とも言えません。現状としてはオフィスを退去したとしても、同じエリアの別の場所に移転したり、増床するケースもあります。
リモートワークの便利さを受け入れつつ、コミュニケーションの質が見直されているように思います。やはり仕事においては他の人がどういった顔をして話を聞いているかだったり、なかなか言葉で説明できないようなノウハウが大事なので、オフィスがまだ減っていない状況につながっていると思います」(須川さん)

「リモートワークの浸透でオフィスの需要は増える要素の方がちょっと多いんです。なぜかというと、再びオフィスに人が集まるというときに、換気対策をきちんと取る必要が出てきます。天井を高くして、部屋の空気のボリュームを増やし、換気を良くする、といったことが求められるので、より床面積のあるオフィスビルを建てなければいけなくなりますよね。リモートワークが進み、地方移住する人もいますが、東京都心のニーズが減るわけではなくて、むしろ質的に違うニーズが求められているんです。なので、これまでとは異なるビル、あるいはマンションを提供していくことが必要になる。常に時代に合わせて、質的な変化に対応していくまちづくりが必要だということを強調しておきたいと思います」(青山さん)

2.コロナに問わず感受性を引き出す環境をつくる

そうしたオフィスの現状を受けつつ、糸井さんはぶれずに考えていることがあるとお話しします。

「コロナはあまりにも大きいニュースだったわけですが、だからこそ足をすくわれないようにしようと考えてましたね。どんな時代でもやりたいことは変わらないと思って、人が元々持っている力や感受性をどう引き出せるかということばかり考えていた気がします。
いまのオフィスはフリーアドレス制になっていますが、コロナは関係なくやろうと思ってました。交じり合うことがすごく大事だと思っていたので。ただ、人って自分の場所というのを確保しないと嫌なので、ロッカーだけは個別に持てるようにして、プロ野球にあるようなロッカールームをつくりました。
結果としてコロナの時代に合っていたかもしれないんですけど、人の快適さをどんな時期でも考えようと思っていたのがよかったような気がしますね」(糸井さん)

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2時間の談義は、縦横無尽にお話が繰り広げられて、あっという間に終了時刻に。
最後は参加者の皆さんへ、同じ神田に関わる立場として問いかけしていただき締めとなりました。

「神田はこうした都心で、元々住んでいる人がいまでも多く商店や事業を営んでる一方で、大学や企業が立地してるというとても珍しい地域。まずそういう良さをこれからに生かしていくということが大切だと思います。すでに神田地域の勉強会なんかは、街場の人が積極的に発言できる場として機能しています。必ずしも既存の法律や都市計画の手法ではない、民主的なまちづくりがもっとできるように、神田から発信していきたいと思っています」(青山さん)

「この神田のエリアでまちづくりは、基本的に地元の方々が集まって膝をつき合わせながら話をします。ただ、この街には住む人の他に働く人が非常に多く、街に関わる存在ですので、企業にも意思表示をするような機会があるといいのでは思っています」(須川さん)

「神田の街にはまだ足りていない部分もあるけれど、そうした要素も前に出していくことで応援したい人が増えていくんじゃないかと思いますね。何かのモデル地域になるというか、神田ができたんだから自分たちもできると思ってもらえるような可能性を持ちたいですね。神田から世界に問いかけることは、僕らいくらでもできるような気がします」(糸井さん)

神田の良いところも悪いところも赤裸々に語られた今回の談義。歴史が深く、確立されているようにも思える神田ですが、お三方それぞれの視点でこの街の可能性が語られました。

この日の談義は街の歴史にとっては束の間の出来事かもしれませんが、さまざまな視点からオープンに語られ、それをさまざまな人と共有できたひとときは、新しい神田につながる瞬間に立ち会えた気がしました。そしてこの話の続きは、これから街で体感できるのかもしれません。

オープンカンダでは、これからも街の会話に耳をすまして、神田に眠るさまざまな発見をお届けしていきます。

Text: Akane Hayashi
Photo: Masanori Ikeda(YUKAI)

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当サイトは、お客様本人から、個人情報が、利用目的の範囲を超えて取り扱われているという理由、または不正の手段により取得されたものであるという理由により、その利用の停止または消去(以下、「利用停止等」といいます。)を求められた場合には、遅滞なく必要な調査を行い、その結果に基づき、個人情報の利用停止等を行い、その旨本人に通知します。ただし、個人情報の利用停止等に多額の費用を有する場合その他利用停止等を行うことが困難な場合であって、本人の権利利益を保護するために必要なこれに代わるべき措置をとれる場合は、この代替策を講じます。

第8条(プライバシーポリシーの変更)
本プライバシーポリシーを変更する場合には告知致します。 プライバシーポリシーは定期的にご確認下さいますようお願い申し上げます。
本プライバシーポリシーの変更は告知が掲載された時点で効力を有するものとし、掲載後、本サイトをご利用頂いた場合には、変更へ同意頂いたものとさせて頂きます。

第9条(お問い合わせ窓口)
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