なんでもアカデミック!|まちに眠る遊びを取り戻す。これからの遊び再考【前編】

「学問の街」と呼ばれる神田。
それは大学や書店が多く集まっていることから来ていますが、学問という言葉が「知の体系」を意味するように、人々の学びへの熱量が絡み合ってきたまち、とも言えます。

「なんでもアカデミック」は、そんな学びが深く根づくこのまちで、多様な分野で活動する方々とあらゆるものをアカデミックに捉えて掘り下げていく企画です。

第二回目のテーマは「遊びは学び」。相反するような言葉ですが、子どもの頃に遊びを通して学んだことは多いのではないでしょうか。
車に遊び道具を詰め込んで神田をはじめ日本各地に遊び場を仕掛ける星野諭さんをゲストにお迎えし、ナビゲーターの丑田俊輔さんとともに、遊びの真髄に迫ります。
今回は遊びがテーマなのでかしこまってトークをしてもちょっと味気ないということで、公開インタビュー+ワークショップ形式にて決行。前編後編の2回に分けてお届けします。

星野諭さん

移動式あそび場全国ネットワーク 代表 /プレイワーカー/一級建築士/こども防災活動家
1978年新潟生まれ、野山で遊び、薪風呂で育つ。2001年の大学時代にNPO団体設立。神田で空き家を改装した子ども基地や地域イベント、子ども参画のまちづくりやキャンプなど実施。また、2008年には、移動式あそび場を本業とし、大都市部から里山、被災地など数人~数万人の多様な事業を展開している。

丑田俊輔さん

神田錦町の公民連携まちづくり拠点「ちよだプラットフォームスクウェア」を運営。日本IBMを経て、新しい学びのクリエイティブ集団「ハバタク」を創業し、国内外を舞台に様々な教育事業を展開。2014年より秋田県五城目町在住。遊休施設を遊び場化する「ただのあそび場」、住民参加型の小学校建設や温泉再生、コミュニティプラットフォーム「Share Village」等を手掛ける。

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⚫︎STUDY1 そして誰も外遊びをしなくなった、となる前に

さまざまなエンターテイメントコンテンツが生まれ、新しい遊びの体験に溢れている現在。一方で、身一つで外に繰り出して遊ぶことも、アイデアや工夫次第でいかようにも遊ぶことができ、無限の自由度があります。しかし、外での遊びが昔と変わってきているのだとか。一体何が起きているのでしょうか?

丑田 星野さんは長年遊び場を手がけていらっしゃいますが、どういったきっかけがあったのでしょうか?

星野 僕は新潟の妙高生まれで、大自然に囲まれて育ちました。大学進学とともに東京に出てきたんですけど、あまりにも生まれ育った環境と違うぞ…と。公園には禁止事項があるし、まちは石ひとつ落ちてないようなきれいさだし、もっと言うと外で誰も遊んでもいない!といった状況で、その衝撃が大きかったんですよね。
そんなことを感じつつ、建築を学びながらも子どもたちと何かしたいと思ってプレーパークのお手伝いをしたり子どもキャンプを企画したりして、そのままNPOを立ち上げて2001年に本格的に活動を始めました。

丑田 20年以上取り組まれる中で、遊びに対して感じる変化ってありますか?

星野 子どもの外遊びに関する研究でちょっと衝撃的なデータがあって。コロナ禍に入る以前の2017年に千葉大学の研究室で実施されたものなんですが、平日の一週間に外で遊ぶ日数を調査をしたところ、都市部で8割の子どもが「0日」と回答しているんです。

丑田 週5日中、ゼロですか…。コロナの影響関係なくそういった状況になってるんですね。

星野 公園の禁止事項の話に繋がりますが、余白のないルールの中で遊びなさい、と大人が決めてしまったことが大きいと思うんですよね。
一方で、我々大人は子ども時代に何をして遊んでたか思い返したいんですけど、丑田さんはどこで何をされてました?

丑田 育ちは東京の清澄白河で江戸の下町という感じなんですけど、近所にあった駄菓子屋をアジトにしてドロケイしていた記憶がありますね。

星野 まちを舞台に、いいですね。駄菓子屋を勝手に自分の拠点にしちゃうことなんかまさにそうですが、やっぱり大事なのは遊びを受け入れる豊かな環境をまちが持っているかだと思うんですよ。
僕のもうひとつ上の世代なんかは、規制が全然ないのでとんでもなく面白い遊びが開発されてるんです。例えば神田だと、野球をしたい子どもたちが、野球できるほど広い場所がないのでゴロベースという道でできる遊びを編み出して。球を下投げで転がして指先をバットがわりにコンクリートすれすれのところを思い切り振るっていう。めちゃくちゃ怖いんですけど(笑)

丑田 野球をしたいという願望から、この環境の中でどうできるか、新しい遊びを開発するということが自然に起きていたんですね。

星野 そうです。なので、まちとして野球ができるような広い場をつくることもできたらもちろんいいですが、いまある環境を活かして遊べるまちであることが大事だと思うんです。

丑田 それこそまちでプレイフルに遊ぶことに繋がりますね。合理的に設計された都市の中で、余白という意味での遊びを持たせた環境をどうつくっていくかが、すごく重要な気がします。

⚫︎STUDY2 場所を問わない、移動式あそび場の可能性

外での遊びの現状や可能性を語っていただいたところで、あらゆる遊びを提供する星野さんは実際どういった場をつくっているのでしょうか。さすが遊びのプロ…とこぼさずにはいられない、柔軟な発想と行動力にあふれたエピソードが飛び出しました。

星野 ちょうど25年前、僕の原点と言える活動があって。神田多町2丁目の路地にある築45年の空き家を借りて、子どもの遊び場をつくったんです。当時関わるメンバー全員学生だったのでお金がなく、頼み込んで家賃下げてもらってセルフビルドでなんとかやりくりして、2階は学生のシェアハウス、1階は子どもの基地みたいに開放して、遊べる場所をつくりました。

神田多町2丁目につくられた遊び場の様子

星野 特に神田は道路率(道路が区域の面積に占める割合のこと)がとても高く、道文化が根付いている地域なので、道を使って子どもたちの作品を展示したり、いろいろと街を巻き込んでいきました。
そこから2年半ぐらい活動を続けていたのですが、建物が取り壊しとなってしまって。困ったぞと思いつつ生まれたのが、いまメインで活動している移動式あそび場でした。

丑田 さらっと大きな転換を遂げていますが、どのようにして思いついたんですか?

星野さんが手がける移動式あそび場

星野 新しい拠点探しに難航していた頃、ふと目の前に自動販売機に商品を補充するボトルカーがやってきたんです。それを見て、この中に子どもの遊びの材料を詰め込めばいいじゃん!巨大なおもちゃ箱になるぞ!と閃いて(笑)
すぐにボトルカーを持っていそうな大手飲料メーカーに「子どもたちに遊びを出前したいので車ください!」と片っ端から電話しました。その中で、自動車会社の財団で地域活性に関する助成の募集をしていると教えてもらい、無事通って2008年にできたのが第1号です。いまでは4号にまで増えました。

丑田 発想も行動力もすごい…!移動式だと、いつでもどこでも遊び場にできるというのが強いですよね。

星野 そうですね。移動式あそび場にしたことで日本各地で展開できるようになって、遊び場をつくる目的も広がりました。
まず一つは、将来的に僕らが行かなくてもいいように常設の遊び場をつくりたいと思っていて、その点で移動式あそび場は実証実験的な役割を持たせられるんですね。月に一度遊び場を展開しながら今後どういった場をつくるといいか、地域の方々の意見を聞くワークショップもやったりしています。

丑田 どういう場がほしいかって、頭だけで考えてもなかなか思いつかなかったりするので、実際に遊び場を見ながら考えられるのはすごく建設的ですね。

星野 あとは、企業とコラボレーションして環境や防災について遊びを通して学ぶ場をつくったり、遊びを介して多世代交流の場をつくったり、被災地に遊び場を届けたり。いろいろな形で遊びの可能性や価値を発信しています。

丑田 遊びのパワーが災害支援に繋がるということって、確かにありますね。僕のもう一つの拠点である秋田の五城目町は、7月の豪雨災害で復旧作業に追われていて、子どもたちの居場所をどうするかという問題がありました。浸水後の家屋や屋外は衛生環境的にもハードな側面もあって。なので、商店街の遊び場や廃校を活用したシェアオフィスを開放して、そこの給湯室で炊き出しなんかもしてるんですけど、子どもたちは遊びの延長線でひたすら野菜を切ったり調理を手伝ってくれてるんですよ。
そういう光景を目の当たりにして、遊びって学びとか社会の繋がりとかいろいろなものの原動力になるんだなと改めて感じますね。

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なんとなく捉えていた「遊び」について、研究データや活用事例を交え、その輪郭が少しずつはっきりとしてきました。後編では、神田のようなオフィス街での遊びのつくり方やビジネスパーソンが遊びを取り戻すには?など、実践に向けてさらに語っていきます。

後編へ続く

Text/Edit: Akane Hayashi
Photo: Yuka Ikenoya(YUKAI)
Title Design: Kosuke Sakakibara(BAUM)

神田祭密着レポート|夜まで続く町内渡御編

神田の街の一大祭事、「神田祭」が5月に斎行されました。
かつては江戸城内も巡行し、徳川幕府も支援した天下祭の伝統が受け継がれたこのお祭りは、祇園祭、天神祭と並ぶ日本三大祭りの一つです。氏子の人々にとって待ちに待った“ハレの日”であり、地域の心が一つになる場でもあります。

絢爛豪華な行列や、お揃いの半纏で練り歩く地域渡御など、神田祭は地元民でなくても高揚するもの。
今年は4年ぶりの開催ということで、当日を向かえる前からそわそわした空気が神田の街に漂っていました。そんな待ちに待った神田祭を、街の人たちと楽しみたい! あわよくば御神輿を担いでみたい! と意気込んだ「オープンカンダ」編集スタッフが神田祭をレポート。

第3回は、駿河台下交差点での神田中央連合による激しい「もみ合い」から町内渡御を経て、感動のフィナーレまで。最後までみんなで力を振り絞り、神輿を担ぎ切る姿をお届けします。

TOPIC
1.半纏を身につけたら担ぎ手の仲間入り
2.いざ出陣!担いでわかる、御神輿の重さと重み
3.オフィスビルの下で近隣の御神輿たちと出発式
4.いよいよ担ぎ手だけが入れる宮入りへ!
5.交差点で5基の御神輿がもみ合い…!
6.担いで歩いて食べて飲んでの町内渡御

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5.交差点で5基の御神輿がもみ合い…!

お昼休憩の後は、駿河台下交差点で神田中央連合による「もみ合い」が行われます。
「もみ合い」とは、各町の5基の神輿が向き合い、その名の通り、押し合いへし合いしながら自分たちを鼓舞するように祭りを盛り上げるのですが、それがこの交差点でぐるぐると回りながら行われていて、ものすごいエネルギーを持った渦ができあがります。

笛や和太鼓が鳴り響き、観光客も参加者も、ボルテージマックス!! さらにはずっと我慢してくれていた雨が、ここに来て強く降ってきたことも、汗を流す恵の雨というのか、一層ドラマティックな雰囲気でした。

6.担いで歩いて食べて飲んでの町内渡御

交差点での熱い「もみ合い」を終えて、錦町エリアに戻ってきた一行。ここから町内渡御です。
神田警察署、学士会館、ほぼ日本社など錦町三丁目内を神輿を担いで転々と練り歩いていきます。

各スポットには、お茶やビール、カツサンドにおいなりさん、ぼんち揚げにチョコレートなど嬉しい振る舞いが用意されていて、ついついバリボリと食べてしまいます。
「おつかれさま!」「頑張ってね〜」と声をかけながらお代わりをくれるスタッフの方々、ああ、お祭りってこうして支える人がいて成り立っているのだな〜としみじみ。各所で振る舞いを受けて、ポケットにはお菓子がパンパンでした(笑)。

ほぼ日本社では糸井重里さんが一本締め!「さあ!まだまだいくぞ〜!」

神田警察前では署長が一本締め! お巡りさんも今日だけはノリノリです。祭りの期間は道路を半分封鎖して巡行、普段は自動車が通る道も祭礼だけは神輿専用道路になっていて、こうして安全に巡行できるのも警察の方々のサポートがあるからなんですね。感謝です!

学士会館のシェフもソイヤ!

編集スタッフ林もおじさまたちに混じって先頭で神輿を担いでいる〜!ソイヤ!ソイヤ!

みんなで最後まで力を振り絞る姿に胸を打たれます…!ソイヤ!
気づけばあたりは暗くなっていて、時計を見ると19時過ぎ。最後に安田不動産の本社に立ち寄り、盛大な振る舞いをいただきます。ここではビールで乾杯している方がたくさん。みんながとてつもない達成感を抱いているのが伝わってきて、編集スタッフも幸福感で満たされます。

そして、一行はスタート地点の神酒所へと戻ります。

「4年ぶりの神田祭、みなさんおつかれさまでした!無事に収めることができました。準備は大変でしたが、みなさんの笑顔が見られて、苦労がすべて吹き飛びました!ありがとうございました!!」と、前田会長の挨拶でまた拍手が沸き起こります。
そして、「祭りののどにも龍角散」のCMに出てらっしゃったという株式会社 龍角散の方が木遣り(きやり)を披露してくださいました。

「えぇ~~、いぃお〜~~~~!」

続いてその声にあわせて会場全員で大合唱!!なんですか、この実にニッポンを感じさせる掛け声は!(感涙)。

木遣りとは元来作業唄で、複数の人員で仕事をする時、その力を一つにまとめるための掛け声、合図として唄われたものなのだとか。みんなで力を合わせて神輿を担いだあとの木遣り、感無量です。
その後、これが本当の最後の最後!三本締めで終わりです!

出発から約10時間、やりきった!と、みんなが拍手でお互いを労います。

まい泉のお弁当をいただいて、神田ポートビルの休憩所でばったり倒れ込む神田ポートのスタッフを激写。みなさん、本当におつかれさまです〜!

踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々♪ という歌もありますが、祭りって、観るものではなく、参加するものだと改めて実感した一日。
一日中共に御神輿を担ぎ、見守りながら応援して、はじめましての人同士でも気さくに話すことができて、こういった一体感を感じられることも祭りの醍醐味なんだろうし、なにより、街をもっと愛することができる素晴らしいお祭りだと感じました。気分はすっかり神田っ子。いまから2年後も楽しみです!

Text: Kana YOKOTA(BAUM)
Edit: Akane HAYASHI
Photo: Masanori IKEDA, Yuka IKENOYA(YUKAI)

神田祭密着レポート|緊張の宮入り編

神田の街の一大祭事、「神田祭」が5月に斎行されました。
かつては江戸城内も巡行し、徳川幕府も支援した天下祭の伝統が受け継がれたこのお祭りは、祇園祭、天神祭と並ぶ日本三大祭りの一つです。氏子の人々にとって待ちに待った“ハレの日”であり、地域の心が一つになる場でもあります。

絢爛豪華な行列や、お揃いの半纏で練り歩く地域渡御など、神田祭は地元民でなくても高揚するもの。
今年は4年ぶりの開催ということで、当日を向かえる前からそわそわした空気が神田の街に漂っていました。そんな待ちに待った神田祭を、街の人たちと楽しみたい! あわよくば御神輿を担いでみたい! と意気込んだ「オープンカンダ」編集スタッフが神田祭をレポート。

第2回は、錦三丁目、猿楽町、神保町、小川町、錦連合の各町会の神輿がテラススクエアに大集結! そして神田明神での宮入りまでの貴重な風景をお届けします。

TOPIC
1.半纏を身につけたら担ぎ手の仲間入り
2.いざ出陣!担いでわかる、御神輿の重さと重み
3.オフィスビルの下で近隣の御神輿たちと出発式
4.いよいよ担ぎ手だけが入れる宮入りへ!
5.交差点で5基の御神輿がもみ合い…!
6.担いで歩いて食べて飲んでの町内渡御

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3.オフィスビルの下で近隣の御神輿たちと出発式

神田明神に向かう途中で、錦三丁目、猿楽町、神保町、小川町、錦連合の各町会の神輿がテラススクエア集合し、出発式を実施しました。オフィスビルに囲まれた空間が、神輿と担ぎ手に埋め尽くされ、がらりと様相を変えます。トラックの荷台で笛や太鼓を演奏する祭囃子の方々も登場し、さらに熱気が高まります。

5基の神輿が一堂に会すと、拍手が沸き起こります。半纏もそれぞれの町会で特徴が出ていてどれもかっこいい…!

ここでも前田会長からの挨拶があり、みんな揃って一本締め!
異なる町会の人とも一体感が生まれ、宮入りに向けて高揚が増していきます。

その後、神田明神に向かって再出発! 途中、神保町の大通りで神輿をトラックに乗せて御茶ノ水まで移動するという意外なシーンも。交通の規制や距離があるので、こういった神輿ワープも時には取り入れるのですね。担ぎ手と見守り隊はトラックを追いかけてぞろぞろと歩みを進めます。

御茶ノ水では子ども神輿にも遭遇! 一生懸命担ぐ姿が微笑ましい…。ちなみに、子ども神輿も同様、希望すれば地元の方以外でも担ぐことができます。
ワンコも応戦!

4.いよいよ担ぎ手だけが入れる宮入りへ!

神田明神に近づくにつれて、沿道には観光客の方の姿が見え始め、多くの警察が交通整理をしていました。外国人観光客もたくさん。さすが、日本三大祭です。 

12時過ぎ、いよいよ錦三丁目の御神輿は神田明神へと接近! ベビーカステラや串もんじゃ、焼きそばなど屋台が並ぶ参道を通って大鳥居を抜けて境内へと向かいます。4年ぶりの宮入りに、掛け声にますます熱がこもる担ぎ手たち。見物客のギャラリーに見守られながら、神輿は進んでいきます。

境内に入ると一層厳かなムードに。神輿を神前まで近づけたあと、前田会長が壇上に上がり、「ようやく帰ってきました!」との第一声にみんなが感動。初参加の編集スタッフたちも思わず目を熱くしてしまいました。本殿前にて全員で参拝し、祓い清めます。そして、前田会長の掛け声で一本締め! 爽快な気分です!

神田祭は天平2年(730年)の神田明神創建から数えて約1280年続くお祭りで、その長い歴史の中で、不況や災害、戦争を乗り越えて江戸っ子たちが守り続けてきました。コロナ禍で4年という長い時間が空いたことで、神田っ子がこの日にかける想いや熱量は並々ならぬものと想像します。

この日のビッグイベントの宮入りを終えた後は、小川広場に移動するとおにぎりとお茶が配られてお昼休憩へ。神輿巡行はまだまだ続くので、しっかり腹ごしらえをして備えます。

その3へ続く

Text: Kana YOKOTA(BAUM)
Edit: Akane HAYASHI
Photo: Masanori IKEDA, Yuka IKENOYA(YUKAI)

神田祭密着レポート|はじめての神輿担ぎ編

神田の街の一大祭事、「神田祭」が5月に斎行されました。
かつては江戸城内も巡行し、徳川幕府も支援した天下祭の伝統が受け継がれたこのお祭りは、祇園祭、天神祭と並ぶ日本三大祭りの一つです。氏子の人々にとって待ちに待った“ハレの日”であり、地域の心が一つになる場でもあります。

絢爛豪華な行列や、お揃いの半纏で練り歩く地域渡御など、神田祭は地元民でなくても高揚するもの。
今年は4年ぶりの開催ということで、当日を向かえる前からそわそわした空気が神田の街に漂っていました。そんな待ちに待った神田祭を、街の人たちと楽しみたい! あわよくば御神輿を担いでみたい! と意気込んだ「オープンカンダ」編集スタッフが神田祭をレポート。

はじめて御神輿を担ぐにはどうすればいい?
実際どれくらい重い?肩が腫れるというけど大丈夫?
そもそも御神輿はどこからやってきてどこに向かっているの?

これを読めば、一度御神輿を担いでみたかった…! という方もこれからは臆せず参加できるはず。
見るだけでは体験できない、神田祭の一歩踏み込んだ楽しみ方を3回に分けてお届けします。

TOPIC
1.半纏を身につけたら担ぎ手の仲間入り
2.いざ出陣!担いでわかる、御神輿の重さと重み
3.オフィスビルの下で近隣の御神輿たちと出発式
4.いよいよ担ぎ手だけが入れる宮入りへ!
5.交差点で5基の御神輿がもみ合い…!
6.担いで歩いて食べて飲んでの町内渡御

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1.半纏を身につけたら担ぎ手の仲間入り

5月14日(日)、神輿宮入りの当日。朝9時過ぎに「ちよだプラットフォームスクエア」に集合します。今回神輿担ぎにトライする編集スタッフの林は、事前に受け取った半纏に袖を通して現場入り。

この半纏と帯は神田ポートビルがある錦町三丁目の町会からお借りしたもの。半纏を借りるには、神田祭の1週間ほど前から設けられる町会ごとの「御神酒所」に前日までに行きましょう。錦三丁目町会と錦町三丁目第一町会は、ちよだプラットフォームスクエアに御神酒所ができます。
※クリーニング代だけでOKですが、さらに奉納金を包んで持っていけば、もれなく名前が奉納版に掲げられますよ〜!

半纏の下に着たのは黒い長袖とズボン。黒い足袋は自前で準備(エアー入り3000円弱をネットで購入)。半纏一つで、身も心もグッと引き締まるよう。う〜ん、キマってる!

錦三丁目は企業単位で参加されている方が多いそうで、襟に「錦三」と書かれた町会の半纏をはじめ、「安田不動産」「ゆかい」「新日鉄興和不動産」「ほぼ日」などの企業名が書かれた半纏を着た人たちが各所からぞろぞろと大集合してきます。初めての参加でも、お揃いの半纏に身を包めばあっという間に溶け込めます。

女性も想像よりたくさんいて少し安心。髪を高い位置でお団子にして、その上に鉢巻をぐるっと巻いたものを乗せたスタイルがかっこいい!

2.いざ出陣!担いでわかる、御神輿の重さと重み

10時、担ぎ手たちが揃ったところで、錦町三丁目町会の前田智彦会長と、錦町三丁目第一町会の神田錦町「更科」の堀井市朗会長によるご挨拶。夜まで続く御神輿の巡行に向けて、士気を高めます。

まずは神田祭で最も見応えのあるビッグイベント・神輿宮入りへ。
神輿宮入りには大小200を超える各町の神輿が参加し、それぞれが神田の街を練り歩きながら神田明神を目指します。
さあ、いよいよ出陣です!

「エイサ!」「ソレ!」などの掛け声をかけながら進んでいく姿にこちらも胸が高鳴ります。
足袋を忘れたのか、時折裸足のままの方も!? と思いきや、これはベテランの証とのこと。

錦三丁目の神輿は、担ぎ手と見守り等、総勢150名。ひとまず編集スタッフは、イメージトレーニングを兼ねて担ぎ手たちを神輿のそばで見守ることに。

神輿はかなりの重さがあるため、想像以上にゆっくりと進みます。重さは、担ぎ棒も含めると1トンほどあるのだとか…! 長く受け継がれてきたものということもあり、二重の重みがあります。

当然ながら、重い神輿を最初から最後まで同じ人がずっと担ぐことは到底できません。先導する方が担ぎ手のバランスを見て、だいたい5〜10分ごとに「安田不動産さん入って〜!」などの声掛けがあり、担ぎ手が入れ替わっていきます。 積極的に担ぎたい時は、神輿のそばを歩いて隙間が空いたらさっと入ったり、「もう、限界…」という顔をしている担ぎ手の人と自ら交代しても◯。

編集スタッフ林を発見! 後ろのお兄さんが大きくて、肩に棒が乗っていない感じもしますが…うん、指の腹でしっかり担いでる!!
背が高い人に負担がかかりがちなので、タオルなどを肩に忍ばせているのだそう。

入れ替わり立ち替わりみんなで力を合わせながら歩を進め、最初の目的地へと近づいていきます。

その2へ続く

Text: Kana YOKOTA(BAUM)
Edit: Akane HAYASHI
Photo: Yuka IKENOYA(YUKAI)

なんだかんだって結局なんだった?|路上実験イベントなんだかんだレポート

3月30日、4月1日に開催された路上実験イベント「なんだかんだ」。
「あたらしい神田の縁日をつくろう!」をテーマに、
ご近所の方やゆかりのある方が集まって
あたらしい出会いや体験を楽しむ場がたくさん生まれました。​​

路上を実験するイベントということもあり、
普段は見られないようなあんなことやこんなことが次々と起こった二日間。

果たして「なんだかんだ」とは、一体なんだったのでしょうか?
神田の一角で生まれたさまざまな光景をレポートでお届けします。

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▶︎SCENE 1
街の人の協力があれば、路上に畳をたくさん敷ける

なんだかんだの大きな求心力となった畳たち。
路上に敷くなんて、おそらく畳も驚いたことでしょう。
前代未聞のチャレンジングな試みでしたが
町会や警察署の協力により実現しました。

畳を敷けることになったものの、広〜い路上に敷き詰めるとなると一大事!

かと思いきや、
畳を待ち構える行列が。
ボランティアの学生のみなさんの出動により
瞬く間に敷かれていきます。
特に打ち合わせしていないのに、きれいなまでの流れ作業。
すいすいと敷かれていく様子はもはや心地よい。
おかげで100枚以上の畳が数分で設置完了!

作業はあっという間でも、みんなで敷くと達成感もひとしおです。
たくさんの準備ののち、いよいよ舞台が整いました。

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▶︎SCENE 2
畳を敷くと、〇〇が起きる

畳を敷いてみると、
あちこちでさまざまなことが起きていきました。
街中に畳があるという光景は、日常ではそうあり得ない不思議なものですが
すんなり馴染んでしまうのは神田の土地柄か、畳のパワーか。

畳を中心に繰り広げられたあれこれをダイジェストでご紹介します。

畳に入ってしまえば、路上でも周りを気にせず無になれる。
畳の上では、赤ちゃんも身を委ねてのびのびできる。
畳を敷けば、ギャラリーがお茶の間になる。
畳でかるたは当然に盛り上がる。
畳で書道は当然に落ち着く。
畳があるとおしゃべりが弾む。
畳があると、読み聞かせに集中できる。
畳に茶道の精神が揃えば、結構なお手前をじっくり楽しめる。
畳があると、身体をめいっぱい使って踊れる。
畳なら、こんなに大胆になっても大丈夫。
畳をフロアに、DJプレイができる。
畳のそばに脱いだ靴が並ぶと、
誕生日会で同級生たちが家に来た日みたいでわくわくする。

屋外なのに、いや屋外だからこそ
ポテンシャルがおおいに発揮された畳。

畳には、懐かしくほっとする心地よさと
あらゆることを受け入れる懐の深さがありました。

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▶︎SCENE 3
道のたのしみ方いろいろ

なんだかんだは、神田の道のおもしろい使い方を考え、
あたらしい出会いや体験の場となることを目的とした
「実験イベント」​​ということもあり、道の使い方も実にさまざまでした。

ここから道の様子をご紹介。

通り沿いのビルも使って、ダイナミックに演劇ができる。
みんなの視線を感じつつも、プロに写真撮ってもらえると嬉しい。
文房具が並んでると、なんだかときめいて引き寄せられる。
道路の袖に芝生があればモルック大会が開催できる。
サウナチャンピオンだって開催できる。
道端で右ストレートを披露すると拍手がもらえる。
道にお店が並べば、あっという間にお祭りムードになれる。
道端で、超老舗店にふらりと出会えるとより嬉しい。
道路の上でも神社は出張できる。
竹尾の紙絵馬が並ぶと道が華やぐ。
路上であっても、全身を委ねるハンモックは気持ちいい。
最先端のモビリティに乗れば、優雅に神田の街並みを楽しめる。
道端でも工作大好き。
ちょっと開けた場所には即席でプレーパークだってできる。
道の一角でも神輿を担げばたちまち熱気に包まれる。

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神田の道の上が一人一人にとっての
「あたらしい出会いの場」になってほしいという思いではじまったなんだかんだ。
たった二日の出来事でしたが、同時多発的にこんなにもの光景が生まれ
あたらしさとうれしさが溢れる場だったように思います。

なにより路上でたのしいことが起きていると、
歩くたびにたのしい光景がすぐに目に飛び込んできて
街自体がその空気に包まれていきます。

たのしいことを考えて披露した皆さんと、たのしく過ごす皆さんが出会う様子に
たくさん触れることができた、なんだかんだでした。

Text: Akane Hayashi(BAUM LTD.)
Photo: TADA(YUKAI), Mariko Hamano

神田いらっしゃい百景|竹尾 見本帖本店

神田の街を歩くと次々に目に飛び込んでくるお店たち。色とりどりの看板や貼り紙は、街ゆくすべての人に向けて「いらっしゃい」と声をかけているようで、街の人の気風を感じることができるでしょう。

神田いらっしゃい百景は、街に溢れる「いらっしゃい」な風景をご紹介します。

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竹尾 見本帖本店
〒101-0054 東京都千代田区神田錦町3-18-3
アクセス:
地下鉄神保町駅 A9出口より徒歩8分
地下鉄竹橋駅 3bKKR出口より徒歩5分
地下鉄新御茶ノ水駅 B7出口より徒歩8分

訪問者 林亜華音
オープンカンダ編集スタッフ。
制作の仕事は大変なことが多いけれど、紙選びはいつも楽しい。

フォトグラファー 池ノ谷侑花
オープンカンダ撮影スタッフ。
もう取り扱い終了してしまったようですが、
「桃はだ」という本物の桃のような
触り心地の紙がすきでよく撫でていた思い出。

なんだかんだ ふたりの町会長と街あるき

2023年3月31日、4月1日に開催がせまる路上実験イベント「なんだかんだ」。
神田ポートビルと神田スクエアを会場に、神田の道のおもしろい使い方を考え、たくさんの人をつなぎ、あたらしい出会いや体験の場をつくります。

ふたつの会場は歩いて5分ほどと行き来しやすい距離ですが、当日はそれぞれの会場を巡回をするモビリティが登場。モビリティに乗って風景を楽しむのもよしですが、街の歴史を感じながら回るともっと楽しいのでは?
ということで、イベント開催に先立って町会長による神田の街歩きツアーを決行。
春の訪れを感じる陽気に、どこか色めき立つ街をぐるっと巡りました。

当日お越しになる方はこのレポートとともにお楽しみください。

〜案内してくださった人〜

〜なんだかんだ 会場MAP〜

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学士会館の前に参加者の皆さん集合。
この日は5月くらいの暖かさで、絶好のお散歩日和です。
前田町会長が用意してくださったガイドを片手にいざ出発。
錦町コーデでいらっしゃった前田町会長。
隣りの大きなブロンズ製のモニュメントは、「日本野球発祥の地」の碑。
かつてこの地にあった第一大学区第一番中学で
アメリカ人教師が学生に野球を教えたのが始まりだそう。
この日は日本中が湧いたWBC優勝直後ということもあり、石碑も一層輝いて見えます。
学士会館の建物は、1928年に竣工したもの。
ドラマ「半沢直樹」で土下座が行われた部屋があり、中も立派です。
いまでこそきらびやかな印象ですが、
火災や震災による2度の全焼を経ていまの姿があります。
さらに学士会館をぐるっと回っていくと…
生垣の間に「東京大学発祥の地」の碑と
新島襄生誕の地の碑が。
このあたりはかつて蕃書調所(江戸幕府直轄の洋学研究教育機関)があったり
上州安中藩の江戸上屋敷だった背景があったりと、
あらゆる物事がはじまった地である学士会館。
学士会館を後にし、桜を横目に神田警察通りを歩いて行きます。
通り沿いにある神田税務署は、かつて錦輝館という大規模な多目的会場があり、
1897年に東京で初めて映画上映が行われた場所です。
(税務署からは到底結びつかない歴史…)
当時は三等席でも盛りそば11枚相当の料金だったのだとか。
こちらは東京電機大学の創立者でもある、
廣田精一​​が立ち上げた電気科学系出版社のオーム社。
紙の専門商社の老舗、竹尾も100年以上神田錦町に本社を構えます。
一見ビルが並んでいるように見えますが、実は古くから高校もあります。
こちらは1896年創立の正則学園高校。部活動が盛んで、最近は花いけ男子部が有名。
そのお隣には錦城学園高校。1880年に創立し、1889年に神田に移転しました。
100年以上もの歴史を持つ場所が次々と現れる驚き。
そしてなんだかんだの会場、神田スクエアに到着。
この石はもしかして…
電機学校(後の東京電機大学)発祥の地の碑でした。石碑多し。
日本で初めてテレビの公開実験が行われたのもここなのだそう。
一方で、町会長たちが子どもの頃はここがラジオ体操の会場だったとか。
野球、大学、テクノロジーと発祥のジャンルが多岐にわたる神田錦町、奥が深い。
続いて神田スクエアからすぐの老舗そば店、更科へ。
ランチタイムが明けたばかりのお店を抜けて堀井町会長が合流です。
更科の前にあるビルもかつては映画館で、
神田の町にはどこにでも一軒は映画館があったのだそう。
神田錦町三丁目にあった「南明座」という映画館は
そのさらに昔、南明館という勧工場​​(百貨店の前身のようなもの)で
↓のような立派な建物があったようです。見てみたかった…
『風俗画報』増刊 第193号「東京名所圖會 神田區之部 上巻」
(明治32年7月25日発行)
堀井町会長はアドリブの案内スタイル。ずんずん紹介してくれます。
ビルの隙間にひょっこり現れる五十稲荷神社。400年(!)以上鎮座する神社。
なんだかんだでは、神田スクエアに出張所をつくり、限定御朱印スタンプを行います。
左にある社殿・社務所は、次の100年に向けて2021年に建てられたのだそう。
やはり神社は見据える時間のスケールがすごい。
なんだかんだのポスターも貼ってくれていました。
神田スクエアの方へ戻ります。
敷地内を見ると、ここにもひっそりと豊川稲荷がありました。
明治時代にこのあたりで立て続けに火災があり、社殿も荒れ果てていたところを
町内の有志が集まって清掃修復を行い、以来残り続けているそうです。

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徒歩5分圏内をあちこち巡ってあっという間に1時間。
町会長のお二人の話には、この街に生まれ育ち、これからを考えているからこその想いが溢れていて、歩いたり調べただけではたどり着くことができない、街の一面を見ることができました。

ツアーの最後に、堀井町会長がこうお話ししてくださいました。
「当時の街の商人は、あらゆるものに神が宿ると考え、植物から建物まで街にあるものすべてを大切にしていました。時代とともに街の風景は変わっていきますが、いまの時代の人にも街を大切に思う気持ちは変わらず持ち続けて、もっといい街にしてほしいと思いますね」

街の歴史は自然に積み重なるものではなく、実際に過ごし、残し、語り継ぐ人の存在が欠かせません。
街のみなさんとあたらしい出会いや体験をつくる「なんだかんだ」も、神田の歴史をつむぐ特別な日となりますように。ぜひお誘い合わせの上、お越しください!

Text: Akane Hayashi(BAUM)
Photo: Yuka IKENOYA(YUKAI)

神田いらっしゃい百景|TOBICHI 東京

神田の街を歩くと次々に目に飛び込んでくるお店たち。色とりどりの看板や貼り紙は、街ゆくすべての人に向けて「いらっしゃい」と声をかけているようで、街の人の気風を感じることができるでしょう。

神田いらっしゃい百景は、街に溢れる「いらっしゃい」な風景をご紹介します。

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TOBICHI 東京
〒101-0054 東京都千代田区神田錦町3-18
ほぼ日神田ビル1F
アクセス:
地下鉄神保町駅より徒歩5分
地下鉄竹橋駅より徒歩6分
地下鉄新御茶ノ水駅より徒歩7分

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訪問者 林亜華音
オープンカンダ編集スタッフ。
2022年一番のお買い物は、
『MOTHER2』オネットのレプリカスクリーン。

フォトグラファー 池ノ谷侑花
オープンカンダ撮影スタッフ。
ほぼ日手帳愛用!食べたものを記録してます。

神田いらっしゃい百景|神田錦町 更科

神田の街を歩くと次々に目に飛び込んでくるお店たち。色とりどりの看板や貼り紙は、街ゆくすべての人に向けて「いらっしゃい」と声をかけているようで、街の人の気風を感じることができるでしょう。

神田いらっしゃい百景は、街に溢れる「いらっしゃい」な風景をご紹介します。

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神田錦町 更科
〒101-0054 東京都千代田区神田錦町3丁目14
アクセス:
地下鉄神保町駅より徒歩5分
地下鉄淡路町駅より徒歩5分
地下鉄小川町駅より徒歩5分

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訪問者 林亜華音
オープンカンダ編集スタッフ。
そばはつゆをつけずに嗜む派だった幼少期の思い出。

フォトグラファー 池ノ谷侑花
オープンカンダ撮影スタッフ。
ナスが大好きなので、ナスぶた肉汁せいろをよく頼みます!

神田いらっしゃい百景|レ・シャルトロン

神田の街を歩くと次々に目に飛び込んでくるお店たち。色とりどりの看板や貼り紙は、街ゆくすべての人に向けて「いらっしゃい」と声をかけているようで、街の人の気風を感じることができるでしょう。

神田いらっしゃい百景は、街に溢れる「いらっしゃい」な風景をご紹介します。

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ボルドーワイン専門ショップ レ・シャルトロン
〒101-0054 東京都千代田区神田錦町3丁目6
アクセス:
地下鉄神保町駅より徒歩5分
地下鉄淡路町駅より徒歩3分

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訪問者 林亜華音
オープンカンダ編集スタッフ。
初めて買ったワインは母への誕生日プレゼント。

フォトグラファー 池ノ谷侑花
オープンカンダ撮影スタッフ。
ワインが似合う素敵な大人になりたい31歳。

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