思いがあるところに建築は生まれる。建築に親しみ、まちに触れる「東京建築祭」 後編

大小、新旧さまざまなものが建ち並び、東京の風景をつくっている建築たち。多くを語らずじっと佇むそれらには、それぞれに刻まれた時間や想いがあります。
そうした建築をめぐり、人の思いやまちの魅力に触れる「東京建築祭」。上野、神田、日本橋、丸の内、銀座、港区…といった東京の各所で、歴史ある名建築から新たに注目を集める建築まで、多様な建築が一斉に門戸をひらき、じっくり楽しむことができる壮大なイベントです。

神田錦町周辺も一つのエリアとして参加し、さまざまな建築が公開されました。東京全体から見ると小さなエリアですが、個性豊かな建築が潜んでいる神田錦町。建築を通して見ると、新たな発見に溢れていました。

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③安井建築設計事務所 東京事務所「美土代クリエイティブ特区」

3つ目の建築は、安井建築設計事務所へ。文化施設だけでなく、オフィスビルも対象になっていることに東京建築祭の幅広さが伺えます。
安井建築設計事務所は1924年に創業し、サントリーホールや東京国立博物館などの文化施設をはじめ、幅広い分野の建築設計を手掛けています。今回公開された東京事務所は、築約60年のオフィスビルを2024年に自らリノベーションしてまちと混ざり合う新しいオフィス空間として誕生しました。
さまざまな建築や空間設計の知が詰まったオフィス空間とはどういったものなのでしょうか?

大きなエントランスの向こうには、
企業のオフィスとは思えないオープンな空間が覗きます。
入ってすぐのところに置かれた模型は、社内設計チームが考えたオフィス計画。
1階は「まちとつながりながら、私たちも自らやりたいことを実践する場所」、
2・3階は「自ら働き方を組み立てる場所」として設計されています。
模型に所狭しと貼られていたのは、
この場所でしたいことが書かれた付箋たち。
社員の思いが反映されていて、風通しの良さが伺えます。
1階のオープンスペースには、オフィスらしからぬ大きなキッチンとカウンターが。
社員やまちの人とのコミュニケーションの場となるように設けられたのだそう。
作り込まないことをテーマにしていて、
天井の下地材として使用される建材を装飾として活用。
ドライフラワーを吊るしたりと、
社員の方が思いつきで工夫できる場所になっているそうです。何とも柔軟。
青々とした植物たちに誘われるように2階へ。
この植物は、設計に活かせる環境づくりを目指す
バイオフィリックデザインチームによる活動の一つ。
移転の際に廃棄となったオフィス家具を活用した植木鉢が2階でお出迎え。
ユーモラスな姿が、オフィスに朗らかなやすらぎを添えてくれます。
仕上げを施していないという天井は空間を高く見せるためかと思いきや、
仕上げを省くことで脱炭素に寄与するとともに、
空調設備や照明の配置がよく見えるので若い社員の学びにもなっているのだそう。
ガラス張りの個室やカーテンで仕切られたスペース、高級感ある応接室と、
個性あふれる会議エリア。
廊下を路地と見立てて、各部屋で交わされる議論のエネルギーを
感じられるような空間になっていました。
大きな木が地上へ貫く地下1階は、ビル入居者専用の共有部。
ここも緑が添えられていて、働く人たちが息抜きできる秘密基地となっています。
1階から外に大きく開かれたこの窓は、元々壁だったのだそう。
社員の行き来はもちろん、
お客さんやまちの誰もが自由に入れるような空間が目指されていました。

④岡田ビル

続いては、ガラス張りのオフィスビルとは打って変わってコンクリート剥き出しの「岡田ビル」。
1969年築の不適合建築を「減築」によって適法化するとともに、建築やエリアに新たな価値をもたらす空間として生まれ変わり、その社会性とデザイン性の高さが注目を集めています。

変哲のないビルでも工夫一つで、新たな息吹を吹き込み特別になれる。従来のリノベーションとは一線を画す「再生」のあり方が随所に感じられました。

「いわゆる違法建築を適法化しながら、
デザインとして昇華させて価値あるものへと生まれ変わらせる。
このことはストックが多い東京においてとても可能性を感じられます」と十時さん。
重厚なコンクリート壁にある、切り開かれたような開口は「減築」によるもの。
壁を一部除くことで、カフェのエントランスが開放的になり、
隣地とも緩やかなつながりが生まれています。
ファサードのタイルは再生前から使われていたものを活用。
さまざまなコントラストが多様な人を受け入れるこの場とマッチしています。
反対側はさらに大胆に抜けた側面。入口の開放感を際立たせます。
補強した鉄骨はすべて赤く塗装されてアクセントに。
お店の入口すぐにある大きな吹き抜けも減築のためのアイデア。
減築することで補強量を抑えるとともに風通しの良い空間に。
ワイルドな吹き抜けも5階まで続いて壮観!
階段にある塞がれた扉は、かつてのエレベーターの名残。
かつてのエレベーターは、外階段に付随する形で設置され、
外階段を数段昇る必要があったのだそう。
現在のエレベーターは、吹き抜けに面してとてもオープン。
エレベーター自体、各フロアの顔となる場所に設置されることが
主流となったため、そういった潮流の変化に合わせた
アップデートも行われているそうです。
この日は屋上も一般公開され、
階段を登りながらさまざまな角度から建物を楽しめる機会に。
上から下までじっくり見ることで、
減築という斬新さを肌で体感することができました。

⑤JINS東京本社

最後に訪れたのは、アイウエアブランド「JINS」の東京本社。2023年に飯田橋から移転したという社屋は、将来的に解体予定のオフィスビルです。入居は期間限定で、大胆に全面リノベーションしたオフィスのコンセプトは、「壊しながら、つくる」と「美術館×オフィス」の二つ。
設計を担当した建築家・髙濱史子さんの案内による建築ツアーに参加し、ユニークな機能満載の各フロアをめぐりました。

設計を担当した建築家・髙濱史子さん
「オフィスは室内にあるもの」という常識を覆してつくられた半屋外空間。
コーヒースタンドもあり、一般の人も利用できます。
いまあるものを壊しつつ生かしつつ、
新しいものをつくり出すことを目指した建築には
随所にユニークな工夫が見られます。
建物の外にあった立派なエントランスは、なんと商談室に…!
代わりにつくられた入口は無骨なコンクリート壁のまま。
まさに「壊しながら、つくる」ように、
元の形をほぐしながら新しいあり方の模索が感じられます。
2階にあるフルフラットな空間は、その名も「原っぱ」。
建築家・青木淳さんの著書『原っぱと遊園地』から引用したネーミングで、
「社員が自由な発想で使う『原っぱ』のような場所であってほしい」
という思いが込められています。
フロアに埋め込まれているベニヤ板は通称「種ベンチ」。
床から「芽」のように引き上げてみると、なんと折りたたみ式の椅子に!
3階の商談室エリアは、「美術館×オフィス」というコンセプトの通り
ホワイトキューブのようで実際にアート作品が展示されることも。
美術館の中で仕事しているような感覚を味わえるそう。
各商談室はすべてメガネのフレームの名前になっていてJINSらしい。
5階から8階にかけてはワークフロア。
部署を横断した交流が生まれやすい、フレキシブルな空間。
ワークフロアの中央に設置された吹き抜け階段。
各フロアの様子を感じることができてとても風通しが良い。
下から吹き抜けを見上げると虹色に包まれた空間に。
プリズムシートによって角度や時間によって見え方が変わる様子は幻想的です。
シンボリックな植栽はアートピース「Fabbrica dell’Aria®(ファブリカ・デラリア)」。
空気を浄化する機能性とアートとしての美しさを兼ね備えています。
最後に訪れた9階にはなんとサウナ室が!
グループサウナとソロサウナの2部屋完備され、
リフレッシュはもちろんコミュニケーションの場としても使われているそう。
ホワイトボードがあるのがオフィスのサウナらしい設計。
日本サウナ学会代表理事である加藤容崇先生やフィンランド大使館の方に
相談しながらつくられたサウナは本格的。
水風呂はキンキンに冷えて見えるよう
青い照明で演出されているという芸の細かさ。
スタイリッシュな浴槽は、
実は馬の水飲み用の桶を活用しているそうです。
合理性に安住せず、実験的な要素が多く取り入れられていることが印象的で、
働く環境としてあらゆる思考が詰まっていることが随所に感じられる建築でした。

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5つの建築を通して神田錦町周辺の人やまちに触れた東京建築祭。歴史的な文化施設から、新たなアイデアに溢れたオフィスビルまで、「建築」と一口に言ってもあらゆる思考がめぐらされ、それぞれ多様な風景を生み出していました。

静かに佇む建築たちも、少し意識を変えて身を置いてみるだけでいろいろなことに気づくきっかけを与えてくれます。そしてそれは、建築が人の手によってつくられ、随所にその人の思いが宿っているからだと体感させられました。
東京建築祭の事務局長の大久保さんがお話しされていた「思いがないところには何も生まれない」ということは翻って、強い思いがあるところには自然と魅力が宿ります。そう思って建築を眺めてみると、単なる構造物ではなく、人の思いの化身のようにも見えてきて、どこか身近に感じられる気がしました。

東京建築祭は来年も5月末の開催を予定されているのだそう。次はどんな建築と、どんな時間を過ごせるのか今から楽しみです。ぜひチェックしてみてください!
https://tokyo.kenchikusai.jp/

Edit/Text: Akane Hayashi
Photo: Yuka Ikenoya(YUKAI), TADA

思いがあるところに建築は生まれる。建築に親しみ、まちに触れる「東京建築祭」 前編 

大小、新旧さまざまなものが建ち並び、東京の風景をつくっている建築たち。多くを語らずじっと佇むそれらには、それぞれに刻まれた時間や想いがあります。
そうした建築をめぐり、人の思いやまちの魅力に触れる「東京建築祭」。上野、神田、日本橋、丸の内、銀座、港区…といった東京の各所で、歴史ある名建築から新たに注目を集める建築まで、多様な建築が一斉に門戸をひらき、じっくり楽しむことができる壮大なイベントです。

神田錦町周辺も一つのエリアとして参加し、さまざまな建築が公開されました。東京全体から見ると小さなエリアですが、個性豊かな建築が潜んでいる神田錦町。建築を通して見ると、新たな発見に溢れていました。

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東京で、建築からひとを感じ、まちを知る

東京のあらゆる建築をめぐる「東京建築祭」。東京中が会場という無謀にも思えるこのイベントはどのようにして立ち上がったのでしょうか。東京建築祭の実行委員会事務局長の大久保佳代さんに、開催を終えてお話を伺いました。

——今回で二回目の開催となりますが、「東京建築祭」はどういった場を目指していたのでしょうか?

大久保 建築を対象物として見るというより、建築と触れ合って距離を近く感じられるような機会にしたいと思っていたんです。さまざまな側面を少しずつ知りながら、次第に建築と仲良くなっていく感覚というか…。昨年の開催では、多くの方に来場いただいた反面、ゆっくり交流するような環境をつくれなかったなと感じたんです。そうした反省を踏まえて、今回はエリアを大幅に拡大してスポットを分散し、混み合わないように調整しました。参加建築数でいうと54件から128件と倍以上に増やして、交流会やワークショップなど、対話型のプログラムも取り入れました。いろんな工夫をして、今回は余裕を持って建築と親しめる機会を作れたかなと思います。

——確かに程よく人が行き交い、椅子に座ってゆっくりしている方も多かったことが印象に残っています。

大久保 あともうひとつ、参加者だけでなく建築を公開する側の人にも気付きを得てもらいたいと思ったんです。特にオフィスビルや大学施設だと、社員や職員の方にとっては普段の職場なのでその価値を意識することはそうありません。
でも、東京建築祭を通して多くの人に関心を持ってもらい、普段身近にいる人もこんなにもいいものなんだと気付くことってとても重要なんです。建築はつくる人と使う人と守る人がいてこそ価値あるものとして残り続けると思うので、そうした立場の人も建築の価値に触れて思いを持つ機会となることを目指していました。

——東京建築祭のキャッチコピーにも、「建築から、ひとを感じる、まちを知る」とあるように、人の存在を大事にしていらっしゃいますね。

大久保 そうなんです。建築って、人の思いがモノとして現れていると思うんです。そもそも思いがないところには何も生まれませんしね。建築ほどの規模になると、膨大なデータや課題を分析しながらどういった方向性や合理性を持ってつくるか、さまざまな情報が関わっていきますが、そもそもは「こうしたい」という思いが出発地点にあります。建築自体は多くの人が目にすることができるけれど、思いとか裏側を感じられる機会はなかなかないので、そういったことに触れられるものにしたいと思ったんです。
まだ場所によって公開の仕方に差がありますが、東京建築祭としての思いも少しずつ広げていきたいですね。

——東京建築祭でさまざまなエリアをご覧になっている大久保さんから見て、神田錦町はどういった印象でしょうか?

大久保 神田錦町はなんというか、かわいいんです(笑) 派手で凝った建築があるというわけでないけれど、ヒューマンスケールでみんながそれぞれ楽しもうとしている空気をすごく感じます。中心になる企業やエリアマネジメント団体があるわけでもなく、いい意味でバラバラというか、ゆるい連携をもちながら各自で頑張っていますよね。東京都心でそうしたコンパクトなスケール感で頑張ろうとしているところが応援したくなるし、だからこそユニークなことが起きているなと思います。そのかわいさが、とても魅力的で大好きです。

建築でめぐる、神田錦町

大久保さんの言葉を借りるなら「かわいい」サイズ感の神田錦町。老舗店が残る神田駅周辺や神保町、自然溢れる皇居、高層ビルが並ぶ丸の内エリアに囲まれたこのエリアですが、今回の東京建築祭では周辺エリアにて5箇所の建築が公開されました。

まちの風景であり、人の営みに関わってきた建築たち。それぞれどういった建築で、どんなことを語りかけてくれるのでしょうか? 神田錦町エリアをよく知る安田不動産の十時さんにガイドいただき、一緒にめぐっていきました。

①神田ポートビル

まず訪れたのは、1964年築の印刷会社旧社屋をリノベーションし、2021年に誕生した「神田ポートビル」。歴史と文化の積み重なった神田錦町という場所を背景に、カルチャーやアカデミズム、ウェルビーイングをテーマにした文化複合ビルです。

一見リノベーションとは気づきづらいほど、かつての佇まいを残しているこの建築。ですが、よくよく見ていくとさまざまな仕掛けやギミックが散りばめられています。早速見ていきましょう。

「『神田ポートビル』という名には、
旅の出発点であり嵐の日には避難する場所ともなる「港」のように
たくさんの人々が自由に活用してほしいという思いが込められているんですよ」と十時さん。
建築を見たり、スタッフの方と話したり、ひと休みしたり。
まさに港のようにいろいろな人たちが行き交います。
入ってすぐ左に広がる白い壁の空間は、ギャラリーにも写真館にもなるのだそう。
商品や本が並ぶ棚の先に「?」の掛け軸が覗くのは、なんと茶室。
建築家の藤本信行さんによって、お茶会や展示目的のために手がけられたもので作品の一つ。
茶室の入口にある「?」と書かれた木箱を開けてみると、小さなご利益がありそうな仕掛けが。
茶室をはじめ、神田ポートビルのコンセプトに合わせて
作家の方が制作したアート作品が随所に点在しています。
地下は元々印刷会社の倉庫だった場所を丸ごとサウナに。
階段上の壁に掛かっているのもアート作品の一つ。
白樺などの植物がたくさん吊るされていて、まるで森。
フィンランドではサウナがまちのコミュニティ形成に重要な役割を果たしているように、
ここ神田ポートビルにも、まちの人がやすらぎ、集える場所として
サウナをつくることになったのだそう。
天井が高く、休憩スペースには丘のような傾斜があり
地下であることを忘れてしまう開放感。
続いて2階へ…
元々の建築をあまり変えずに、馴染ませる形で新しい要素が取り入れられています。
自然の木を力技で捻ったというダイナミックな手すり。
2階は「ほぼ日の學校」のスタジオ。
エントランスの壁は本物のレンガが埋め込まれていて、由緒正しい校舎の雰囲気が漂う…。
壁には谷川俊太郎さんの詩が掲げられていました。
奥へ進むと和田誠さんから譲り受けたという本棚がさらっと置いてある驚き。
さまざまな著名人が講義を開いていてきたスタジオ。
アプリに登録すると動画コンテンツとして見ることができ、どこでも学ぶことができます。
再び1階に戻ると、建築家の藤本信行さんがお茶を振る舞いながら
建築の説明をしてくださいました。なんというおもてなしの精神。
かつての佇まいを残してまちに馴染みつつ
ユニークさと居心地の良さが程よく調和した、まさに港のようにやすらぐ場所でした。

②共立講堂

次は、東京タワーの設計者・内藤多仲博士が構造設計、前田健二郎が意匠設計を手がけた「共立講堂」へ。1938年に建てられ、日比谷公会堂に並ぶ大型の講堂で音楽関係の公演のメッカとして親しまれていました。その後関係法令の改正や社会環境の変化を受け、現在は学校の講堂として活用されています。

外観にも感じられるように、昭和初期のモダンなデザインを先導した建築家・前田健二郎による意匠設計は、格式がありながらどこかチャーミング。圧倒されたり愛でたりと、夢見心地な気分で楽しみました。

「現在は共立女子学園の講堂として使われていて一般の方が入る機会は限られているので
こうして中を見学できるのはとても貴重なんです」と十時さん。
まず入口で迎えてくれるこの作品は、かつて舞台幕だった一部。
以前の舞台幕の全体像はこちら。中央上の木に並んでいる猿が先程の写真で、
舞台幕の壮大さと繊細な表現を同時に感じられます。
講堂に入ると目に飛び込んでくる立派な桜の木は、現在の舞台幕。
面一杯の黄金色が舞台を一層華やかに際立たせていてじっと見入ってしまう…。
格式に一役買っている壁の木片は、吸音するために施されているのだとか。
均等に並ぶ木片と模様の移ろいがとても美しい。
見上げると天井と2階席のアーチが混ざり合ってダイナミック。
この緩やかな曲面は豊かな音響を生み出すために考えられたもので、
鑑賞と実用が兼ね備えられているそうです。
アーチはさまざまなところに散りばめられていて、
行き届いた一手間に名建築たる所以を感じる…。
耐震のために補強した梁もアーチ仕様に! 元々のデザインに馴染んでいます。
アーチを探し求めるように2階へ。
ここにもカーブの効いたアーチを発見。
2階席は傾斜がしっかりありいい眺め。
客席もアーチになるように中央と左右で高さが異なるように設計されています。
この日ボランティアとして案内に立たれていたのは、なんと共立女子中学高等学校の卒業生!
「久しぶりに中に入りましたが、改修を経てきれいになっていたり変わっている箇所がありつつも、
いま見ても懐かしいと思えてとても感動しています」と
かつての建築を実際に体験していた方のお話を聞き、味わいが一層増しました。
1938年の創建当初の様子。正面のデザインはいまと大きく異なっていたようです。
1956年に発生した火災の後、再建されたのがこの写真。
記録によるとわずか1年で再建したそうで、並々ならぬ思いがあったことが伺えます。
2000年以降耐震などの改修を何度か行っているものの、
このまちに欠かすことができない風景の一部として守り続けられる共立講堂。
次に見学できる機会まで、その美しさに思いを馳せつつ楽しみに待っていたい建築でした。

後編に続く

Edit/Text: Akane Hayashi
Photo: Yuka Ikenoya(YUKAI), TADA

神田祭、陰の立役者たち|其の三・神田明神 神職

日本三大祭のひとつとされる神田祭。
壮大な歴史と規模を誇る日本屈指のお祭りですが、そこには、まちの人々の手によって絶やすことなく受け継がれてきたという背景があります。時代とともに、地域に関わる人もまちの形も変わりゆく中で、伝統としてあり続ける神田祭。どういった人たちが、どのようにしてこの日を支えているのでしょうか。
約400年の歴史を持ち、108町会が参加するほどの規模ゆえに、関わる人の数も膨大ですが、その中で中心となって支え続ける「陰の立役者」に密着します。

三人目は、祭礼の主な舞台となる神田明神に仕える「神職」。神田明神がこれまで発展を遂げてきた背景には神職の存在が不可欠ですが、神田祭も同様です。神職が中心となって各氏子地域と連携しながら、神田明神に祀る神様と地域のための祭礼として守り続けています。
多くを語ることはそうないものの、常に地域を見守る神職。神田明神の禰宜ねぎとして仕えられる岸川雅範さんにお話を伺いました。

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●神田祭はなぜあるのか

——神田明神は神田祭の中心となる場所で、もっとも注目が集まります。神田明神と神田祭はどういった関係なのでしょうか?

岸川 そもそもなぜ神社があり、お祭りがあるかという話からすると、神様がいるからなんです。神様がいて、その神様が守る地域があり、その地域に住む氏子がいる。いわゆる「氏神氏子」の関係性が根底にあります。
ただ、氏子の方はそれぞれにお仕事や生活があり、神田祭のような規模のお祭りを一から準備してすべてを執り行うことは困難です。そのため、専門の人間である神職が仲執持なかとりもちとして代わりにお祭りを行っているんです。今でこそ神田明神は神田祭の中心的な立場で関わっていますが、我々は氏子の皆さんの代役をする、ということが本来の立ち位置になります。

——神田明神のお祭りではなく、地域全体のためのお祭りなんですね。

岸川 そうなんです。神田祭の中に「神幸祭しんこうさい」という神事があり、それは氏子区域の人びとのために神社が主導して行います。神様をお乗せした3基の鳳輦ほうれん神輿を筆頭とした行列が、すべての氏子区域を清めるために一日かけて約30kmの距離を巡るんです。
神田祭というと、神輿宮入がメインだと思う方も多いですが、神幸祭と神輿宮入の二つが合わさって神田祭なんです。他にも献茶式や例大祭といった神事がありますが、氏子をお祓いして清めること、そしてまちの人たちが神様に対して奉仕すること、この二つが神田祭の大きな目的になります。

神幸祭の行列の様子

——岸川さんご自身はどういったことを担当されるのでしょうか?

岸川 神職何人かに分かれて108の町会を担当し、神田祭に向けた会議に参加したり、お祭りの道具を届けたりと細かなやりとりをします。さらに町会に出向いて神輿神霊入れを行いますが、神輿宮入当日は基本的にまちに出ることはありません。むしろまちのためのお祭りなので、我々は神田明神に宮入する各町会の神輿をしっかりお迎えすることが重要な役割になります。

神田明神での宮入は町会全員が見守るハイライト
そんな町会を滞りなく迎える神田明神 神職の方々

●神田にある神社だからできること

——宮入はまちの人にとって大きな見せ場でとても盛り上がりますね。一方で、100以上の町会が集まる唯一の場所なので運営面での苦労がありそうです。準備はどのように進められるのでしょうか?

岸川 前年に祭典委員会というものが立ち上がり、そこから大きな方針の話し合いを始めます。御神輿担ぎは車道を使用するので警察や消防の方との調整も神田明神や各町会が行います。その他には多くの方に関心を持っていただけるように、ガイドブックやウェブサイト、映像コンテンツなど広報物の制作から、イベントや外部とのコラボレーションなどの企画もしますね。

——神職のイメージからは想像つかないほど多岐に渡ることを担当されていますね…!
特に神田祭はアニメや漫画、スポーツ関連などコラボレーションの幅が広く、とても開かれているように感じます。

岸川 各町会でも独自でポスターをつくったり御神輿を展示したりと工夫して盛り上げている中で、神田明神だからこそできる発信を意識して取り組んでいます。例えばアニメとのコラボについては氏子区域に秋葉原が含まれていますし、神保町周辺もアニメの原作を扱う出版社が多いので親和性が高いんです。地域の特徴を活かしたコラボは、個性豊かな地域に囲まれた神田明神だからできることだと思いますね。

——他の神社では実現し得ないような一見突飛なコラボも、地域性を汲んでいるんですね。

岸川 特にアニメとのコラボは、はじめは反対の声もありましたが、徐々に地域に根付いていきました。とは言え、コラボする作品はなんでもいいというわけでなく、歴史的背景や思想などマッチする要素があるかを重視しています。今年コラボした『薬屋のひとりごと』は、神田明神が薬の神様を祀っているのでとても親和性がありました。作品への関心から神田祭への興味にうまく繋げられるよう、そういった文脈は意識していますね。
また、「若者をターゲットにしてアニメとコラボしているんですか?」と質問されることが多いですが、アニメに親しむ世代はいまや10代から60代まで幅広いんです。神社というのは常に多様な世代を受け入れてきた場所なので、時代の変化に応じて各世代の興味関心を捉えようと心がけています。

●「神田祭を行う」ということを変えない

——いろいろな要素を取り入れつつも、神田祭の軸として大事にされていることはありますか?

岸川 伝統というものは時代に応じて形が変わっていくものなので、神田祭も形式自体はさまざまな点が変わっています。例えば、地域外からはじめて参加する人が増えればマナーや安全の問題についてルールを整えなければなりません。ですが、基本的には「変えないということを念頭に置いた上で変えていく」という姿勢が非常に重要です。歴史に則った上で変えることはあっても、基本はいかに変えないでやるかということがお祭りにおいて目指すべきことだと思います。

——まち自体の変化もある中で、神田祭が変わらないようにされていることはあるのでしょうか。

岸川 まちが変わってしまうことは今に限った話ではなく、江戸時代から現在にかけてさまざまな変化がありますし、致し方ないことだと思っています。その中でも、「神田祭を行う」ということを変えないことが重要なのではないでしょうか。
そのためには事故を起こさないための細かな調整が不可欠です。お祭りはみんながみんな喜ぶというわけではなく、騒音や道路封鎖によって苦情が来ることもあります。それでも伝統として続けられる形を模索し続ける。変わらないということは続けるからこそできることだと思いますね。

——続けること自体もそう簡単なことではないと思います。

岸川 過疎化で受け継ぐ人がいなくなって自然淘汰されたり、時代が変わって形式が見直されたり、受け継いできたお祭りがなくなることは珍しくありませんからね。その点、神田祭は担ぎ手も多いし、関わる企業も多いのでとても恵まれているんです。その中で、今後も長く続けていくためには、もっと地域外の人にも知ってもらいたいですね。

——神田祭は神様と氏子の関係のお祭りということでしたが、外に開いていくことはどういった意味があるのでしょうか?

岸川 もちろん氏神氏子の関係性が大前提にはありますが、神田明神は昔から名所として地域外から訪れる方が多く、そうした方の存在も神社には欠かすことができません。お祭りも同様で、行う人と見る人の両方がとても重要だと思うんです。やはり見物人が多くいた方が担ぎ手も盛り上がりますし、お祭りとして活気が生まれる。地域外の人にもより関心を持ってもらうということは神田祭を今後も続けていく上で大事なことですね。

——氏子総代の廣瀬さんが「盛り上げるのはまちの人の役割」とおっしゃっていましたように、見る人も大事な盛り上げ役ということですね。本当に多くの方が関わるお祭りですが、改めて神田明神にとって神田祭はどういった存在でしょうか?

岸川 本来お祭りというものは神社の創建とともに行われます。神田祭の場合は創建当時の記録が残っていないため、どういった形で行われていたかはわかりませんが神社の歴史と密接に関わる存在です。だからこそ変えてはいけないし、続けていかなければならない。もちろん震災やコロナなどで中断した時期もありましたが、その都度復活させてきました。神田祭が続いているということは、まちの人も神社も活気を持ち続けているということでもあるので、「神田祭は、氏子のまちがあり続けている証」と言えるんじゃないかと思います。

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神田祭に限らず、あらゆる伝統の背景にはそれらを受け継いできた人々がいます。その一人ひとりについて語られることはそうありませんが、伝統が残っていることがそうした存在の確かな証拠です。
そんな中、今回お話を伺った三人が揃って大事にされていたのは「氏子であるまちの人に楽しんでもらう」ということ。まちの人を主役として、そのためにきめ細やかに尽力する様子はまさに陰の立役者だと言えます。

崇高な神事であり、神田を誇る伝統であり、まちの人の晴れ舞台である神田祭。参加者としては祭りの空気に身を任せて素直に楽しむことが一番の仕事ですが、陰で支える人たちの尽力に思いを馳せながら存分に楽しみたいと感じました。

Edit/Text: Akane Hayashi
Photo: Yuka Ikenoya(YUKAI)

神田祭、陰の立役者たち|其の二・氏子総代

日本三大祭のひとつとされる神田祭。
壮大な歴史と規模を誇る日本屈指のお祭りですが、そこには、まちの人々の手によって絶やすことなく受け継がれてきたという背景があります。時代とともに、地域に関わる人もまちの形も変わりゆく中で、伝統としてあり続ける神田祭。どういった人たちが、どのようにしてこの日を支えているのでしょうか。
約400年の歴史を持ち、108町会が参加するほどの規模ゆえに、関わる人の数も膨大ですが、その中で中心となって支え続ける「陰の立役者」に密着します。

二人目は、地域住民である氏子を代表する「氏子総代」。衆望のある氏子として選ばれ、地域や神田明神と細やかに関係を築き、まちの未来に向けた重要な判断を担います。
100以上の町会で構成される氏子地域をごく数人で背負う氏子総代。そのひとりである廣瀬直之さんにお話を伺いました。

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●地域の代表として神田がどうあるべきか

——「氏子総代」という言葉自体、あまり馴染みがない人も多いかと思います。まずはどういった役割をされているかお伺いできますか?

廣瀬 神様が守る地域に住む人を氏子と言い、その代表ということで「氏子総代」と呼ばれています。神田明神に対する崇敬心を強く持った地域の代表として、神田明神の宮司から直接任命されます。現在は神田から6名、日本橋から4名により構成されています。
主な役割は、神田明神と連携して祭礼や神社の保持活動を支えること。神田明神は大きな神社なので神職の数も多く、非常に重層的な組織となっていますが、その中で氏子総代のポジションは会社で言うところの「取締役」に近いかもしれません。神田明神で検討されるあらゆる執行に関して意思決定をする責任者という立場ですね。

——まさに企業のように役割が分かれているんですね。町会長とはどういった違いがあるのでしょうか?

廣瀬 神田祭の例で言うと、参加する町会は100を超え、さらに町会によって御神輿の管理や担ぎ手の数など状況が異なるので、実務的な部分は町会のことを一番把握している町会長が担います。
それに対して氏子総代は、神田祭自体をどういった方針や予算で実施するのか、神社の今後も見据えた理念的な判断に関わります。神田祭は地域のための伝統行事なので、検討の場には氏子が参加する必要がありますし、多様な知見や経験を踏まえて議論できる体制になっているんです。

——地域の代表として、まちの方とは普段どのようにコミュニケーションされているのでしょうか?

廣瀬 町会のお店に行ったり一緒に飲みに行ったり、息子が青年部に入っているので寄り合いに参加してさまざまな声を伺うようにしています。とはいえ、氏子総代になる以前からの付き合いの方も多いですし、なるべく日常の中で畏まらない形で接点を持てるようにしていますね。

——変わらない距離感でいることこそ、まちからの信頼につながっている気がします。神田祭当日は、氏子の方々は御神輿を担いで宮入を目指しますが、氏子総代の方はどういったことを担当されるのでしょうか?

廣瀬 神田祭は宮入の一日が本番だと思っている方も多くいらっしゃいますが、その前後6日間に渡ってさまざまな行程があるんです。大きなところで言うと、宮入の前日に神幸祭という大行列があり、神様に鳳輦ほうれん(屋根に鳳凰を飾った御輿)にお乗りいただいて氏子地域を巡ってご祈祷をいただくもので、氏子総代も参列します。宮入とは別の日にも能の披露や献茶式があり、神様に対する御奉仕の儀礼として代々受け継がれている通りに執り行っています。氏子全員がすべてに参加することは難しいので、氏子の代表としてそれらを始まりから終わりまで見届けることが大きな役割かもしれませんね。

●氏子総代になって見えるまちの景色

——氏子の代表という立場にはかなり責任を伴うかと思いますが、氏子総代になられてから神田との関わりに変化はありましたか?

廣瀬 もともと父が氏子総代を長く務めていたこともあって神田とは長く関わりがありましたが、これを機に改めてまちの成り立ちを学び直しています。神社のことはもちろん、それを取り巻くまちの文化がどのように紡がれてきたのかを踏まえることは、氏子の代表として然るべき判断をするためにも大事だと思いますしね。他方で、まちの歴史を知らない方も増えてきているので、知っていただく機会もつくるようにしています。

——まち自体もさまざまな変化がありそうです。

廣瀬 そうですね。神田は多様な専門店街が集積する地域という特徴がありますが、その背景には歴史的に職人が多く行き来し、さまざまな専門分野において秀でた人が集まる地域だったからと言われています。さらに大学が集まるようになって古書店が増えたり、留学生の交流が始まったことでインド料理や中華料理が増えたりと、あらゆる歴史が現在のまちの姿に繋がっているんです。今後も再開発の計画があり、それに伴って神田祭にも影響があるかもしれません。ただ、まちが変わることはもはや当たり前なので、そういった背景を踏まえて神田らしい変わり方をしていきたいと思います。

専門店街から、老舗店、ビル群を練り歩くのは神田祭らしい風景

——神田祭に対しても変化を感じることはありますか?

廣瀬 神田祭の内容自体はそこまで変わっていませんが、お祭りを取り巻く人は変わっているように感じます。住民の数は減ってきている一方で勤務されている方が非常に多く、そういった方々が伝統を受け継ぐ担い手として神田祭に参加してもらうことも増えてきました。ただ、外から来られた方はまた外に戻ってしまうので、より深くシンパシーを感じていただける工夫をしなければならないと思っています。

●次の世代に繋げるために必要なこと

——改めて、神田祭ほどの規模のことが当たり前のように行われているのは本当にすごいことだと思います。まちを大いに使って開かれていることで、地域の祭礼でありながら地域外の人も入り込みやすいように思います。

廣瀬 氏子総代としては、前に出るのではなく氏子の方々に楽しんでもらうことに徹している点が上手くいっているのかもしれませんね。町会には大いに盛り上がっていただいて、我々は現場の状況を見たり意見を吸い上げたりと、俯瞰的に地域を面として捉えてまとめる立場にいることが、こうした規模の行事には必要だと思います。

——俯瞰して見るというのはまさに取締役ですね。神田明神では神田祭以外にも多様な取り組みをされているので、氏子総代の活動も多岐に渡りそうです。

廣瀬 そうですね。例えば、神田明神の創建1300年記念事業として御社殿の大規模改修の計画がありますが、そういった方針の議論にも参加します。他にも日々の運営から初詣や季節ごとのお祓いなど、年間通してさまざまな取り組みの検討に関わっています。

——具体的にどのような検討をされるのでしょうか?

廣瀬 改修一つとっても、歴史的な建造物に手を加えるわけですから、どこをどういった方法で改修するかは非常に重要です。大幅改修するとなれば、当時の設計がどのようになされていたのか研究者の意見を伺うなど、理解を深めた上で改修の方針を慎重に判断します。単にお金をかければいいということでも合理的であればいいということでもなく、祈りの場である神社をどのように次の世代へ持続させられるかを軸に、一つひとつを議論しているんです。

——いま、次の世代に繋げるためにはどういったことが重要でしょうか?

廣瀬 お祭りには二面性があって、神様を祀っておもてなしをする神聖な面と、神様をもてなす場で地域の人も楽しんでしまう祝祭的な面があるんです。特に子どもの頃なんかは、祈りの場というより屋台がたくさん出ていて楽しかった記憶の方が強いですよね。でもそれが儀礼として続いていくための大事な要素です。
そうした時に氏子総代は、神聖な儀礼として執り行いつつも、まちのみなさんがいかに難しいことを考えずに楽しめるようにできるかが、次の世代に繋げるために重要だと思っています。

——確かに、実際に参加してみると厳かというよりもまちのみなさんの笑顔で溢れていたのがとても印象的でした。

廣瀬 もちろん大規模な行事なのでトラブルが起きないようさまざまなルールを設ける必要がありますが、定めすぎても窮屈になってしまうので、楽しめる場であることを一番に考えながら守るところは守るようにしています。例えば、屋台で焼きそばを買って食べることはもちろんいいけれど、拝殿の階段に座って食べることは著しく神域を穢す行為なので注意しないといけない。どこまで緩めてどこまで規制すべきかの線引きは常に悩ましいですが、まちのみなさんからの意見も伺いながら柔軟に判断するようにしています。

——歴史があればあるほど「変えない」という意識が強くなりそうですが、時代に適応しながらあるべき姿を考えていらっしゃるんですね。本当に難しく責任のある立場だと改めて感じます。
最後に、そういった立場の氏子総代として神田祭はどういった存在でしょうか?

廣瀬 「神田」という地名を掲げている通り、神田祭は一地域のお祭りではありますが、神田は江戸を代表するまちなので、日本を誇る存在と言っても過言ではないと思っています。まちの方々も神田祭に強く誇りを持っているので、そうした想いを最大限に引き出せるようにしていきたいですね。

其の三に続く

Edit/Text: Akane Hayashi
Photo: Tada, Yuka Ikenoya(YUKAI)

神田祭、陰の立役者たち|其の一・鳶頭

日本三大祭のひとつとされる神田祭。
壮大な歴史と規模を誇る日本屈指のお祭りですが、そこには、まちの人々の手によって絶やすことなく受け継がれてきたという背景があります。時代とともに、地域に関わる人もまちの形も変わりゆく中で、伝統としてあり続ける神田祭。どういった人たちが、どのようにしてこの日を支えているのでしょうか。
約400年の歴史を持ち、108町会が参加するほどの規模ゆえに、関わる人の数も膨大ですが、その中で中心となって支え続ける「陰の立役者」に密着します。

まず一人目は、神田祭の大事な風景をつくる「鳶頭とびがしら」。神田祭の時期になると、各町会に神様に献上する食事や御神輿を飾るための神酒所みきしょが建ち、建物には軒花提灯のきばなちょうちんが掲げられますが、それらを手掛けているのは鳶頭です。また、御神輿渡御など出発する際に歌われる木遣きやりも鳶頭を筆頭に行います。
そんな神田祭の風景に欠かすことができない重要な要素を担っている鳶頭。今回は神田錦町の鳶頭である渡辺晋作さんにお話を伺いました。

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●まちに神田祭の風景をつくる

——お忙しい時期にお時間いただきありがとうございます。(取材時は4月後半)
いままさに準備の真っ只中だと思いますが、毎年いつ頃から準備をされるのでしょうか?

渡辺 神田祭の開催は5月ですが、その前に各町会で神輿体験や前夜祭といったイベントを行うのでそこから逆算して動き始めます。私は神田祭では、錦町二丁目町会、小川町三丁目南部町会、錦三丁目第一町会、錦町三丁目町会を担当していて、それぞれ4月中には御神輿を飾る神酒所を完成させました。他にも軒花提灯の下地を作って各所に取り付けたり、紙垂しでを張ったりと4月初めから作業を進めていましたね。

——町内のお店やビルの入口に掲げられる提灯が「軒花提灯」ですね。あの光景を見かけるといよいよ神田祭だなと感じます。

渡辺 ありがとうございます。まちの中で作業を行うのは4月に入ってからですが、細かな作業は2月頃から進めていますね。紙垂を折ったりだとか、雨で仕事が中断される時なんかにやっているんです。

——そうした装飾物は毎回一からつくっているのでしょうか?

渡辺 そうですね。昔は錦町三丁目内に親父の家があったので使い回せるものは保管していたんですけど、もう場所がなくなってしまったので基本は一からです。パイプなど嵩張らないものだけ場所を借りて置かせてもらっていて、丸太やベニヤといった大きな材料は毎年新たに仕入れています。

錦町三丁目町会の神酒所

——御神輿は代々受け継がれていますが、神酒所はその都度材料を仕入れてつくられるんですね。神酒所には設計図などはあるのでしょうか?

渡辺 いや、ないですね(笑) すべて記憶を頼りにつくります。そもそも神酒所を建てる場所自体、まちの変化の影響もあり昔からずっと同じというわけではないんです。現在は施設のオープンスペースを借りることが多く、当然使用できる範囲が限られています。例えばこの場所は奥行きが出せないから横幅を広くしようかとか、基本的な構造はありつつ、その場所や条件に応じて見せ方を考えているんです。

——熟練の技術と勘所が必要ですね…!

渡辺 町会からの依頼ではありますが、どのようにつくるかは完全に任されているからこそできるつくり方でもありますね。自分の場合もそうでしたが、基本はつくりながら学ぶしかないんです。一緒に脚立に登ってその場その場で判断しながらつくり上げていくので、やりながらでしか受け継ぐことはできないと思いますね。

錦連合の神酒所

——どうつくるかは鳶頭に委ねられているとのことですが、つくり方の匙加減はどういったところで決まるのでしょうか?

渡辺 毎回壮大な神酒所をつくっている町会もありますが、そうしたところはやっぱり予算と期間をかなりかけているんですよね。結局は商売なので、そこが一つの基準になります。ただ、この仕事は町会との信頼関係によって成り立っていて、長い付き合いを通して認めていただいてから、やっと仕事を頼んでもらえるので、神酒所をつくるということはとても貴重でありがたいことなんです。一からつくるということは当然とてもお金がかかることなので、他の地域では既製のテントで済ませることもあるんですよね。
それでも神田のみなさんはこういった伝統に誇りを持って依頼してくださるので、その想いをしっかり汲んで、できる限り立派なものをつくろうと工夫しています。

●裏で現場を先導する

——神田祭当日には鳶頭としてどのようなことをされるのでしょうか?

渡辺 基本的には全体の工程を把握して現場を先導します。御神輿の担ぎ手も、御神輿を運ぶルートや段取りを把握している人はごく一部ですからね。
例えば宮入の前日に行われる神幸祭では、朝5時に神田明神に集合して行列に同行します。実は神田祭と同じ日に、神田駿河台にある太田姫稲荷神社でも例大祭があるのでそちらにも顔を出さないといけなくて。そこからまた各町会の手伝いをして夕方になったら神田明神に行ったりと、終日歩き回ってますね。翌日の宮入では、はじめに神酒所の前に御神輿を出して出発式の木遣を担当します。その後は町会の御神輿に同行したり、宮入で再び木遣をしたりと、この日もあちこち行くわけです。他の鳶頭もだいたいこういった動きだと思います。

神幸祭当日の鳶頭。雨が滴る中、高らかに木遣を響かせる

——木遣はとても迫力があり、神田祭に欠かすことができない光景だと思います。もともとは鳶の方々の作業唄だったそうですね。

渡辺 そうですね。私も木遣を行いますが、神田明神などの大きな場面では町火消の伝統を紡ぐ「江戸消防記念会」という寄り合いにお願いして木遣をしていただきます。東京都指定無形文化財にもなっているように、一つの伝統文化として受け継いでいますね。

——最後の工程まで見届ける立場かと思いますが、鳶頭の方の一日の締めはどこになるのでしょうか?

渡辺 神田祭はとにかく規模が大きいので、神幸祭の大行列に同行する若手の鳶や、宮入で木遣をしてもらう他の鳶頭たちを呼んでいるんです。多くの人に協力してもらっている手前、ひと通りの工程が終わってすぐ解散というわけにもいかないので、みんなに一杯やってもらうようお店を用意しますね。要は労い、もてなすことが締めですね。
撤収については宮入の日にある程度片付けてしまって、翌朝にはバラすだけにしています。月曜日になると仕事で来れない人が多いので、名残惜しさもありますが町会の人もある程度いるその日のうちにみんなで一気に作業してしまうんです。

宮入には各町会の鳶の方々が集合して圧巻

●鳶頭としての意地

——鳶頭がある意味「仕事」として淡々とこなすことで、神田祭の空気が締まるような気がします。渡辺さん自身はいつ頃から関わっているのでしょうか?

渡辺 高校生の頃から関わっているので40年程ですね。うちの組はだいたいそれくらい長く関わっていて、中には生まれた時からという人もいます。ただ、親や自分の代で辞めることが結構増えているんです。昔は一人一町会を担当すればよく、若手が町会を持つことなんてできませんでしたが、いまはみんなで手分けして複数の町会を担当しているような状況で、正直いつまで続けられるかわかりません。

——こういう景色が見れるのは本当に貴重なことですね。

渡辺 ただ、神田祭自体だって最近でも震災やコロナによって開催を見送った年があり、絶えず続いているわけではないんですよね。変化を受け入れながらどう続けていくか、ということはずっと考えていることだと思います。まちも人も変わっていて、住民がいないので地域外から担ぎ手を呼んだり、企業が参加することも増えました。企業の軒花提灯も私たちが取り付けますが、人によっては単なる施工業者のように扱われることもあります。関係性が薄い人にとっては仕方のないことかもしれませんが、伝統ある祭事であり、まちの人が想いを持って続けてきたことなので、そうした背景はうまく伝えていかなければならないと思いますね。

——鳶頭の方々は神田祭の現場を支えながら、その精神も受け継いでいる重要な存在だと思います。そんな大きな役割を担う渡辺さんにとって、神田祭とはどういった存在でしょうか。

渡辺 御神輿に同行していると「鳶頭も神輿を担ぐんですか」とよく言われますが、それは鳶頭の仕事ではないんです。二年に一度、町会の旦那衆を楽しませるということが我々に任された仕事です。壮大な祭礼を問題なく開催することも大事ですが、何よりも普段世話になっているみなさんに楽しんでいただかないといけない。終わった後に、「頭、お祭りよかったよ」といっていただけることが一番嬉しいんです。仕事といえば仕事ですが、町会との信頼や鳶頭としての意地を背負った大きな存在ですね。

其の二に続く

Edit/Text: Akane Hayashi
Photo: Tada, Yuka Ikenoya(YUKAI)

#3「写真+リズム」|写真家・白鳥建二さんと、リズミカルな神田の街歩き。【前編】

カレーの街として名高い、神田。学生が本を片手に、スプーン1本で簡単に食べられるということから、カレーの需要が高まったという。読書のおともにカレー、新幹線旅行のおともに駅弁、ドライブのおともに音楽。おともがあると、楽しみもぐっと増す気がします。この企画では「〇〇のおともに」をテーマに、あるものとあるものをたし算することで広がる神田のたのしみ方を、その道のプロフェッショナルをお迎えして紹介します。

第三回のゲストは、美術鑑賞者・写真家の白鳥建二さん。全盲という立場から、独自の方法で美術鑑賞や写真活動を行っています。
静かにじっと作品を鑑賞するのではなく、作品を囲んで対話しながら鑑賞する時間を楽しんだり。立ち止まってカメラを構えて写真を撮るのではなく、歩きながら心が動いた瞬間を刻むようにシャッターを切ったり。
白鳥さんが編み出す方法には、感情の赴くままにものごとを楽しむヒントがあるように思えてきます。実際に一緒に街を歩いてまわってみると、あらたな街の感じ方がありました。

今回は、街歩きに同行したオープンカンダのクリエイティブディレクター・池田晶紀さんがレポートをお届けします。

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●写真家・白鳥建二さんと街を歩くまで

こんにちは、写真家の池田晶紀といいます。オープンカンダではクリエイティブディレクションを担当しております。いきなりですが、今回の「おともにどうぞ」は、全盲の美術鑑賞者であり写真家の白鳥建二さんをゲストに、ちょっとスペシャルな企画に挑戦してみたので、そのレポートと合わせていつもと違った見方で神田の街歩きをご紹介したいと考えました。

中央左が白鳥さん、中央右がぼく

ぼくが白鳥さんとはじめてお会いしたのは、2024年に企画したイベント「なんだかんだ5」にゲストとしてお声かけしたことがきっかけです。そのイベントでは、白鳥さんとともに美術鑑賞をするワークショップとドキュメンタリー映画の鑑賞会を行っていただきました(イベントレポートはこちら)。


その際に、美術鑑賞の方法や写真の撮り方についてたくさんお話を伺ったのですが、イベントの最中から「今度は一緒に歩いてみたい!」という思いが湧き上がってきました。そんなことを白鳥さんに相談してみると、あっという間に話が広がり神田ポートで展覧会までやってもらうことに。
それから約半年後、ついにその日がやってきたのです。

街歩きは、ぼくがおすすめする道を2日間にわたって合計約10時間も歩きました。右手には白杖を持ち、左手にコンパクトデジカメを腰のあたりでキープし、動きながらシャッターを押すというスタイルの白鳥さん。ノーファインダーでウエストレベルの視点で撮るといったストリートフォトタイプでした。

撮影当日、神田ポートビルを出発地点として撮影をはじめていきました。


初日のコースは、まず神田ポートビルから徒歩10分ほどの距離にある皇居へ向かい、
→広大な敷地で歩きやすい庭園広場へと向かい
→
戻ってきて学士会館へ立ち寄り
→神田駅方面へと歩いて
→中華料理屋の「味坊」で羊の串焼きをたらふく食べ、高級ナチュラルワインを流し込み
→軽くフラフラになりながらも、軽快な足取りで東京駅を目指しました。

二日目は、神保町駅からスタートし、
→古本街を抜けて淡路町にあるワテラスへ行き、クラフトビールで喉を潤して秋葉原方面へ
→電気街を抜けてアーツ千代田3331のあった元錬成中学高校のくすの木を眺めて上野方面へ
→湯島の飲み屋街を物色しつつも通過してアメ横に向かい
→やっぱり湯島に戻って「岩手屋」という居酒屋で乾杯
→またしても心地良い足取りで上野駅まで行って解散
といったコースとなりました。

●白鳥さんの写真を見て思い出したこと

そして、この時に撮影した写真をぼくがセレクトして展覧会を開催しました。展覧会タイトルは「リズム」。ぼくが白鳥さんと一緒に歩いて感じたことから、このタイトルを考えました。

展覧会では、この時のドキュメンタリー作品として、写真家の池ノ谷侑花が写真を撮り、映像ディレクターの菊池謙太郎がムービーを撮影し、編集したものも展示しました。

展覧会をつくるにあたって、キュレーション担当として記したステイトメントがこちらです。


先入観なしでこの写真たちをみて、どう思うか?を試してみたい。そもそも写真って、どう感じたらいいか?とか、食や絵や音楽と違って、わからない。という人が多い気がしています。これを仕方がない。で、済ませるわけにはいかないのが、写真家の気持ちとしてはあるんです。では写真とは?という定義の話になってしまうのですが、わたしの考える写真とは、「みんなのモノ」であり、それは「時間」のことを意味します。そこで、これらの写真を撮ってきた白鳥さんの写真をご覧ください。何が写っているでしょうか?街、人、道路、光、車などなど…。神田の街を約5時間くらい歩くことを2回行いました。この何が写っているのか?について、考えたりしてみる時間がまず、展覧会のテーマになってくるのかもしれません。また、白鳥さんは写真を腹で撮ります。ウエストレベルのノーファインダーで、歩きながら。決して立ち止まらないんです。ここにもヒントがありました。さらに、腕を掴んで一緒に歩くとどうでしょう?呼吸が伝わってくる「リズム」の中で、ただ歩いている。それだけのことなのに、物凄いことをしていることに、はじめて気がつきました。ふと、何か聞いたことがある音楽を思い出しました。フィッシュマンズの「WALKING IN THE RHYTHM」という曲です。もしお時間ございましたら、携帯でこの曲を探してみてください。そして、このスライドショー作品とセットで鑑賞してもらえると、なんか気分が伝わるように思えます。白鳥さんは凄いです!この体験は、「モノをみる」ということが、眼球ではなく、脳でみていることがよくわかりました。
キュレーション:写真家・池田晶紀



と、いった出来事から、白鳥さんの写真作品たちが生まれたわけでございます。
まずはそんな作品の一部をご覧ください!(ぜひ「WALKING IN THE RHYTHM」も一緒に聴いていただきながら)

すんごいでしょ!
どうやってシャッターを切っているんだろう?と気になっていたのですが、白鳥さんによると「ある一定のリズムでただ撮る」ということだけをしているそうです。自分が写真を撮るときは「ハッ!と感じて撮る」や「よくみて撮る」ことをするけれど、そうじゃない世界の見方はこうなるのか!と、だいぶ考えさせられる出来事となりました。

そしてもう一つ気づいたことがあって、白鳥さんの写真は、ずっと見ているとちょっと酔ってきてしまって(実際にも酔っ払ってはいたんですが…笑)、不穏なようにも見えるかもしれないけど、実は気分がいい時の時間が写っているんです。以前のイベントで写真の撮り方について伺った時に「気分が乗らないときは撮りません(笑)」とお話していたのですが、そのことを実際に見て知れたことが一番うれしいことでした。


特に何かを考えることもなく姿勢をピンと張りながら、電信柱や人にぶつからないように歩く。当日ぼくは白鳥さんの隣でそれだけのことしかしていなかったんですが、そんな時間がなんだか贅沢に感じて、なんてことない時間でも「白鳥さんが一緒にいる」ということがものすごく大事だったのかもしれない、と思えてきました。
つまり、誰かと一緒に街を歩き、気分いい時だけシャッターを切ることで、目には見えてなかったその人との時間が残る。このことがあまりにも素敵なので、みんなも真似してみるとおもしろいよ!と思いました。
見落としていたものが、実は大事なものだったことに気づくという楽しみがあるからね。

中編に続く

Text: Masanori Ikeda(YUKAI)
Photo: Yuka Ikenoya(YUKAI)
Edit: Akane Hayashi

神田いらっしゃい百景|think coffee

神田の街を歩くと次々に目に飛び込んでくるお店たち。色とりどりの看板や貼り紙は、街ゆくすべての人に向けて「いらっしゃい」と声をかけているようで、街の人の気風を感じることができるでしょう。

神田いらっしゃい百景は、街に溢れる「いらっしゃい」な風景をご紹介します。

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think coffee
〒101-0054 東京都千代田区神田錦町2丁目9-15 1F-2F
アクセス:
地下鉄竹橋駅より徒歩5分
JR・地下鉄神田駅より徒歩10分

フォトグラファー 池ノ谷侑花
オープンカンダ撮影スタッフ。
think coffeeさんの入り口の近くにはLUUPが設置されており
サイクリングがてらお店に寄れて便利です!

たくましさを与えてくれる、いい出会いの場を目指して。|こんなだった、なんだかんだ9 #1

2023年3月に第1回を開催し、2024年11月には9回目の開催となった路上実験イベント「なんだかんだ」。1年半の間で、大小さまざまな規模で居心地のよい出会いの場を多くの方とつくってきました。
特に2024年は、路上実験イベントからスピンオフし、レディースデー、福祉、ケア、カルチャー、防災といったひとつのテーマに絞って多数展開。さまざまなテーマを通して、これからの生活に役立つものごとに、出会い、触れ、考える場を積み重ねてきました。

<これまでのなんだかんだ>
なんだかんだ3
ひな祭りの日をレディースデーにして考えたことやってみました
なんだがかんだ4
障がいのある人とない人がごちゃ混ぜになれる場所。「駄菓子屋 横さんち」の話
なんだかんだ5
誰かと一緒に鑑賞するからこそたどり着く何かがある。写真家・白鳥建二さんとの美術鑑賞会
なんだかんだ6
障がいや病気があっても旅を諦めてほしくない。「ume, yamazoe」から広がる旅の未来
なんだかんだ7
歴史が根付く場で生まれる、ドラマチックないい時間
なんだかんだ8
より安全で、より快適な、あたらしい防災を考える

そして、文化の日である11月3日に開催した「なんだかんだ9」では再び路上を舞台とし、畳を敷き詰めてこれまでのテーマが一堂に介す場に。

今回のスローガンは、「なんだかんだと、たくましい」。
あたらしい、やさしい、に続いて掲げられた「たくましい」とは一体どういうことでしょうか? 当日の様子を振り返りつつ、第1回目から一緒に場をつくってくださっている出演者の方にもお話を伺い、「なんだかんだ」が考えるたくましさに迫りたいと思います。

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開催にあたって、クリエイティブディレクターの池田晶紀さんは以下のようにコメントを寄せました。

これまで重ねてきた経験を活かしたカタチでさまざまな課題に取り組んでいこうと計画しています。
わたしたちの考える場は、その問いや問題に対して、不確実なことでも、受け入れて居れることを目指しています。
つまり、問題の解決が目的ではなく、まずは大丈夫な場をみんなで作り、「対話し触れること」。この時間を出会いの場と捉えて、楽になれたり、楽しくなったりできたらと思っています。

畳の上には、はじめて触れるものや一見何だかわからない不思議な出来事が盛りだくさん。知らないものに触れることは勇気がいるものですが、なんだかんだではどこか踏み込んでみたくなる安心感や解放感がある場となるようにつくられています。
書道の横で心臓マッサージを体験したり、熱々のピザを食べつつ熱々の鉄を叩いたりと…渾然一体としていた当日。緊張と緩和がほどよく混ざり合った全体の様子を、たっぷりの写真とともに振り返っていきましょう。

●ここだけのなんだか不思議な出会いたち

路上に畳が敷き詰められている。それだけでも普段と違う過ごし方がありますが、さらにそのまわりには普段はなかなか出会えない体験が散りばめられました。畳でくつろいでいるだけだったはずなのに、否応なしにいろいろなことに巻き込まれていくのも、もはやなんだかんだのお馴染みの風景です。

鉄作家・小沢敦志さんによる「鉄をぺちゃんこにするワークショップ」
熱して真っ赤になった鉄を思い切り叩く、叩く、叩く!
熱した鉄の感触や、狙いを定める難しさ。叩くだけでもはじめて知ることがたくさん。
ダンサー・伊藤千枝子さん(a.k.a.珍しいキノコ舞踊団)と声の魔術師・中ムラサトコさんの
即興パフォーマンスは、お客さんとの会話からその場で歌と踊りを捧げていくスタイル。
仕事明けで来た、娘に痛風を心配されているなど、
どんなワードも最高のパフォーマンスにしてしまうので話を聞いてほしい人が続出!
編み物ワークショップ「あおいちゃん、がおがお」
畳に寝転がるあおいちゃんが着るニットに、みんなで編み物を繋いでいきます。
はじめましての人に直接編み物するってスリリングで楽しい。
アウフグースマスター・HIKARIさんの風を受けながら、
インスピレーションの赴くままに作品を描いていく「サウナマットアートコンテスト」。
参加者のみなさんは突然開催されたコンテストに半ば巻き込まれるように描き始めていきますが、
そんな戸惑いがかえって感性を解き放ち、名作が爆誕していきました。

●心強さを与えてくれる出会いたち

賑やかな演目の傍らでは、ちょっと真剣な空気が流れるエリアも。防災をテーマに開催したなんだかんだ8に参加してくださった方々もこの日集まっていただき、災害や備えについて考える場をつくりました。
「いざという時」に役立つ知識は、誰にとっても必要なことだけれどなかなか得る機会がないもの。それだけに、ほんの数分の体験でも大きな心強さを与えてくれました。

男性看護師による救命処置体験『大切な人の命を救えるのはあなたしかいない!』
畳でくつろいでいる時でも何が起きるかわかりません。
現場で活躍する看護師の方から本気のレクチャーを受けると
少したくましくなれた気がしてきます。
災害時に都市で生き残るためのサバイバル術を教えてくれる
「かーびーの防災ワークショップ 都市サバイバル編!身近なモノで生き残れ!!」。
知識はいつでもどこでも持ち運べる大事な備え!
神田ポートでは、個人向け防災グッズセット「THE SOKO 錦町」を販売。
非常食ってこんなに豊富で、こんなに美味しいあらたな発見。
さらにご近所の神田消防署からはポンプ車の展示も。
消防署員の方からポンプ車の装備や消火器の使い方を教えてもらいたい子供たちが大集合。

●大丈夫な場から生まれる出会いたち

クリエイティブディレクターの池田さんのステートメントにもあったように、「問題の解決が目的ではなく、まずは大丈夫な場をみんなで作り、対話し触れること」を目指していた今回のなんだかんだ。
「大丈夫な場」とは、安心できたり、受け入れられたり、居心地を感じたり、靴を脱いで畳に上がることと同じように、どこか心がほぐれるような場とも言えるかもしれません。そんな場を、みなさんの力をお借りしながらつくっていきました。

福祉事業所〈ハーモニー〉の幻聴妄想かるた大会。
ハーモニーのメンバーが実際に体験した幻聴や妄想などを句と絵にしたかるたで、
「トゥルルルルと幻聴で電話 ケンタッキーに行くとおさまります」
「弟を犬にしてしまった」
など、勝敗よりもかるたの内容が気になって仕方がない。
篠崎芽美さんのダンススル会では
今回は朝に集合して練習してから、お客さんの前でダンスの発表へ!
教えてもらった振り付け通りでなくても飛び入り参加でも大丈夫。
身を任せて思いのまま踊ると気持ちいい。
京都を拠点に展開する画材循環プロジェクト「巡り堂」。
家で使われなくなった画材たちが畳にずらりと並び
膨大な画材に囲まれると、創作欲も爆上がり。!
眠っていた画材も息を吹き返したように大いに彩りを放ちます。
ウィスキングマイスター・千葉有莉さんの青空ウィスキング。
無防備すぎる後継だけど、周りの気配を感じるからこそ
リラクゼーションの世界により集中して没入できる。
茶道裏千家の専任講師・石澤宗彰さんの茶道教室「露天風炉3」。
普段はなかなか見ることができない茶道の様子が大公開されていて
道ゆく人たちも興味津々。
旧ホテル跡地では劇団カクシンハンによる
プロアマ混合のシェイクスピア「十二夜」を上演。
演者と観客の境もほぼなく、プロアマが混ざり合った空間は臨場感が一層あり、
あっという間にシェイクスピアの世界へ引き込まれていく!

●一緒に場をつくる心強い仲間たち

かなりの演目をご紹介してきましたが、なんだかんだをともにつくってくださった仲間はまだまだたくさん。入れ替わり立ち替わり、いろいろな方がとっておきのひとときを楽しませてくれました。

オープニングアクトに登場した正則学園ビッグバンド部。
路上に力強い演奏がよく響く!
路上に遊びの空間が広がる「移動式あそび場」
子どもたちがのびのび遊んでいると、周りの大人も嬉しくなる。
税務署の駐車場が会場の一つということもあり、
税金について遊びつつ学べるワークショップも。
楽しく知るって、とっても大事。
会場の所々に設置されている標識は、
東京都市大学都市空間生成研究室企画の妄想標識スタンプラリー。
標識の意味を考えてみると、この場の楽しみ方ももっとわかる。
TOBICHI東京の「おちつけ書道会」
「おちつけ」の文字に、その人の落ち着き具合が見えてくる気がする。
茨城県日立市にある就労支援事業所ひまわりの「なんだかんだコーヒー屋さん」
茨城県さんの立派なさつまいもを大量に持ってきてくれました!
大きい農作物ってなんだか嬉しい。
誰でも楽しめる「ロウリュ投げ大会」はギャラリーを囲んで大盛り上がり。
神田錦町にお店を構える炭をテーマにしたカフェダイニング「廣瀬與兵衛商店」も出店。
炭焼きソーセージの香ばしさは絶品!
神田ポートのご近所にある名店・カレーハウス「ボルツ」の特製ポップコーン。
ポップコーンの箱の心踊るデザインって改めて秀逸!
神田ポート内ではほぼ日が紹介する能登のとっておきワインを販売。
楽しい気分になるといいお酒もほしくなる。
ストリート写真館で、この日を思い出の1ページにパシャリ。
日が暮れたら寝たままできるリストラティブヨガ体験も。
皆さんすっかりこの場に慣れきって、畳で寝ていても誰も気にしない様子がまたいい光景。
最後お馴染みの木遣りで締め!
楽しい時間を一瞬で切り替えてくれる潔さがあります。

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なんだかんだは9回を迎え、お客さんも出演者の方も程よく分け隔てなく、のびのびと楽しむ様子が見られました。今回目指していた「問題の解決が目的ではなく、まずは大丈夫だと思える場をみんなでつくる」ことが実際に現れていたように思えます。

それにしても、「大丈夫だと思える場所をつくる」ということはどういうことでしょうか。
次の記事では、そうした場に日々向き合い、なんだかんだがお手本にもしているお二組にお話しを伺いました。

#2に続く

Text/Edit: Akane Hayashi
Photo: Yuka Ikenoya(YUKAI), Mariko Hamano

神田いらっしゃい百景|watage

神田の街を歩くと次々に目に飛び込んでくるお店たち。色とりどりの看板や貼り紙は、街ゆくすべての人に向けて「いらっしゃい」と声をかけているようで、街の人の気風を感じることができるでしょう。

神田いらっしゃい百景は、街に溢れる「いらっしゃい」な風景をご紹介します。

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watage
〒101-0044 東京都千代田区鍛冶町2丁目8−14
アクセス:
JR・地下鉄神田駅より徒歩1分

フォトグラファー 池ノ谷侑花
オープンカンダ撮影スタッフ。
watageで池田さん(オープンカンダ撮影スタッフで私の上司)の講座に
はじめて参加した子が、とても刺激になったそうで
他の講座にも参加するとのこと!
思わぬ出会いや新しい発見がある素敵な場所です。

日本が誇る一杯を求めて。「COFFEE COLLECTION」で体感するコーヒーカルチャーの最前線

コーヒー文化が根付く神田錦町。学生や文化人が多く行き交うこのエリアでは、彼、彼女らが語り合う場として古くから喫茶店が親しまれてきました。
そんな街で、世界トップクラスのコーヒーが集まり、最先端の味を楽しめるフェスティバルが開かれています。その名も「COFFEE COLLECTION」。神田錦町に店舗を構える「GLITCH COFFEE & ROASTERS」が旗振り役となって2015年に立ち上げられ、「シングルオリジン」かつ「世界トップレベル」かつ「スペシャルティコーヒー」のみが集まる場としてコーヒーファンに注目されています。

コーヒー文化が根付くこの街で、最前線の空気に触れることができる「COFFEE COLLECTION」。古きと新しきが渦巻く神田から、どんなコーヒーの未来が見えるのでしょうか。

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●神田に吹き込む、あらたなコーヒーの風

世界トップレベルのコーヒーが集まる「COFFEE COLLECTION」。そんな大きなフェスティバルを立ち上げから牽引するのは、GLITCH COFFEE & ROASTERSのオーナー・鈴木清和さん。そして、ともに企画プロデュースを行うのは、CafeSnapの大井彩子さんです。
目まぐるしく変化するコーヒーカルチャーを最前線で捉えながら、9回の開催を重ねてきたCOFFEE COLLECTIONにかける想いついてお話を伺いました。

——COFFEE COLLECTIONは2024年で10回目を迎えられました。大規模なコーヒーフェスを立ち上げ、続けることはそう簡単なことではありませんが、どういった想いから始まったのでしょうか?

鈴木 まず、自分の店であるGLITCH COFFEE & ROASTERSを神田にオープンした2015年当時というのは、シングルオリジン(単一の農園・生産者によって作られた豆)の浅煎りコーヒーの存在がまだ全然知られていなくて、お店で出しても「酸っぱい」とか「薄い」という反応ばかりだったんです。そういうこともあって、シングルオリジンというジャンルがあることと、その味をちゃんと知ってもらうためにはどうしたらいいか考えていました。
当時はコーヒーフェスもほとんど存在していなかったので、他のシングルオリジンコーヒーを提供する店も巻き込んで業界一体でアプローチする場があるといいんじゃないかと思い至ったのがはじまりです。

大井 今でこそコーヒーフェスは全国各地で開催されていますが、COFFEE COLLECTIONはその先駆けだったと思います。私自身もGLITCHさんで初めてシングルオリジンのスペシャルティコーヒー(特定の評価基準をクリアした高品質のコーヒー)に出会いましたし、現在のスペシャルティコーヒーの発展に繋がっているとも言えます。

——第1回目から神田錦町を開催地としていますが、なぜこの地で開催することに至ったのでしょうか?

鈴木 神田錦町に自身の店舗を構えていたこともあり、関わりの深いこの街なら場所を確保しやすかったという点が正直なところです。ただ、神田錦町は昔からの喫茶店が多く、コーヒーとの親和性が高い街という特徴がある。そうした文脈を汲むことで、まちづくりの一環として住友商事さんや安田不動産さんが協賛してくださり、大きな規模で開催できました。

大井 結果的に生まれたものですが、COFFEE COLLECTIONは古くからのコーヒー文化が根付く街で最先端のコーヒーを発信するという組み合わせが面白いと思っていて。第1回目の開催は私はお客さんとして参加しましたが、コーヒー文化がまさに発展していく現場にいる感覚を味わいましたね。

——街の文脈を汲んでいることが長く続くイベントにつながっている気がします。もう少し遡ってお伺いしたいのですが、GLITCH COFFEEさんが神田錦町にお店を構えようと思われた背景には何があったのでしょうか。

鈴木 神田には物件探しではじめて訪れたんです。元々は新宿や渋谷で探していたんですが、たまたま神田にいい物件があると聞いて。あまり先入観のないまま歩いてみると、古い街並みの中に職人肌みたいなものを感じて日本の中心っぽさがある。そんなところに惹かれて、店舗を出すならここだと思ったんです。
店舗を出してから10年近く経ちますが、街の印象は変わらないですね。流行のお店ができてもすぐなくなってしまうのを見ると、この街で何かをやっていくにはそれなりの気持ちがないと続かないんだろうなと思います。

●まだ見ぬコーヒーの可能性

——COFFEE COLLETIONが発展し続けているのも、関わる方々の気持ちの強さが影響していそうです。参加される店舗はさまざまな地域から集まっていらっしゃいますね。

鈴木 エントリーを募って審査方式で出店店舗を決めるシステムなので、全国各地から応募があります。ただ、初期はまだシングルオリジンコーヒーを出す店が少なかったので運営メンバーで出店店舗を選出していました。まずはシングルオリジンで浅煎りのコーヒーの認知を広げようと有名店に声をかけて参加してもらっていました。
そうしたことを毎年続けていくうちに、認知が広がりロースターも客層も増えてきたので、審査基準を設けて大会をやってみようと発展していったんです。

大井 現在は「NATURAL/WASHED/INNOVATION」の3部門があり、世界的に活躍する審査員が各部門をジャッジする形式になっています。COFFEE COLLECTIONのイベントに出店できるのは、各部門の上位2店舗と審査員の店舗のみで、とても厳選されたレベルの高い味を楽しめるフェスになっていると思いますね。これも鈴木さんがいち早く活動されていたからこその座組みで、本当に他では実現し得ないような錚々たる方々が協力してくださっています。
そういった文化の発展も受けながら、「街に開かれた新しいコーヒーフェス」から「プロフェッショナルが集まり、コーヒーカルチャーを高め合うフェス」に変化していきました。

——フェス自体もコーヒーカルチャーの発展に合わせて成長しているんですね。
審査員の方や審査基準はどのように決めているのでしょうか。

鈴木 審査員は、エントリーした人たちが審査してもらいたいと思うような方にお願いしています。有名な大会で好成績を収めていたり世界チャンピオンだったり、それくらいのレベルの人が審査しないと参加する方も面白くないですしね。
審査基準は世界基準のスコアシートがあるのでそれに沿っています。風味、甘さ、酸味、後味、バランスなどの項目があり、世界大会と同じ基準でスコアをつけているんです。

——部門にはどういった違いがありますか。

鈴木 NATURALとWASHEDは古典的な作り方で、INNOVATIONはそれ以外と括りを分けています。製法のカテゴリーは今も広がっているので、部門のあり方も今後変わるかもしれません。

大井 INNOVATION部門はコーヒーの多様性と可能性を引き出すために農園の方が精製処理方法を研究して生み出された豆がエントリーしています。この種のコーヒーは今まで飲んだことのない味わいが楽しめるんです。

各部門の定義(COFFEE COLLECTIONエントリーサイトより引用)

——コーヒーはまだまだ進化の途中にあるんですね。これからのコーヒーの可能性について、現在体感していることや取り組もうとしていることはありますか?

鈴木 現状としては、気候変動の影響でコーヒー豆の収穫数が減ってきているんです。また、コーヒー豆にどのように付加価値をつけるかという流れが起きていて、新たなアプローチのINNOVATION部門が活発になっていると思います。ただ、INNOVATION系の製法はさまざまなトレンドがあって移り変わりも激しいので、今しか飲めない味になるかもしれませんね。

大井 豆の収穫数が減っているだけでなく、コーヒーを消費する人口も増えているので質の良い豆の争奪戦が起きています。そういう状態だからこそ、美味しいコーヒーの価値を深く理解してもらった上で飲んでほしいと思っているんです。さまざまなお店とコーヒーの価値を高めつつ、その価値に触れる機会を広げるという意味でCOFFEE COLLECTIONをやっているとも言えますね。

鈴木 それが一番の目的かもしれないですね。多くの人にとってコーヒーというのは500円前後で飲むもので、日本の喫茶店文化にはそういったコーヒーを中心に親しまれてきた歴史があります。一方で、GLITCH COFFEEでは1,000円から8,000円を超えるコーヒーまであるように、別軸で発展してきたスペシャルティコーヒーの歴史もあるんです。

大井 これまでの喫茶店の歴史の先に、スペシャルティコーヒーがあるということを知ってもらおうと取り組んできたのがこれまでの10年でしたね。そこからその価値をより深く理解してもらうために、優れたスペシャルティコーヒーというのはこういうものです、としっかりお手本を提示して飲んでもらう機会をつくることが大事だと感じています。
私自身、GLITCH COFFEEさんのコーヒーを飲んでその世界から戻れなくなってしまったように(笑)、もっと多くの人に出会ってほしいと思いますね。

——お店としてもフェス発起人としてもさまざまな影響を与えているGLITCH COFFEEさんですが、スペシャルティコーヒーをやっていこうと思われたのはどういったきっかけがあったのでしょうか?

鈴木 元々は「Paul Bassett」という世界チャンピオンが手がけるカフェで10年ほど働いていたんです。そこではブレンドが一番売れていてミルクドリンクを多く出していましたが、豆の味の話になるのはやっぱりシングルオリジンなんですね。ブレンドだとひとつひとつの豆の味がわかりづらいし、ミルクドリンクは味が消えてしまいがちなので。そういった葛藤もあり、素直に自分が美味しいと思うものだけを出そうと思い、シングルオリジンに絞ったお店を考えるようになりました。
それと同時期に、海外発のコーヒーショップが次々と日本に上陸して注目を集めていて。そうした様子を見る中で、日本人として日本のコーヒーにもっと誇りを持って作るべきなんじゃないかという気持ちも強くなっていったんです。

——海外のコーヒー文化も見てきた中で、日本のコーヒーとして誇れるべきものはどういったことがありますか?

鈴木 海外の方にとって、軽食やお酒は出さずに豆だけがずらっと並んだGLITCH COFFEEのようなコーヒー専門店って珍しいんです。
オーストラリアやイタリアはエスプレッソ、アメリカはラテというように海外にもそれぞれのコーヒー文化があって、その中で日本はハンドドリップが文化の特徴としてある。それをもっとフォーカスすべきだと思っていて、しっかり受け継いでいけば日本と言えば寿司や天ぷらといった代表的なイメージに並ぶものになり得ると思っています。
むしろ、そこにもっていかないと日本のコーヒーカルチャーはよくわからないまま、どこかの国のコピーのようなものとして終わりかねないんじゃないかと危惧しています。

——そういった想いが店舗立ち上げからフェスへの展開へと広がっているんですね。改めて、COFFEE COLLECTIONではどういったところに注目するとよいでしょうか。

鈴木 コーヒーの大会はさまざまなものがあり、味以外にもパフォーマンスやプレゼンテーションが審査の対象になるものもありますが、COFFEE COLLECTIONは完全に味だけで審査します。そのため、本当に美味しいものを作る人しか勝てない。とても明確でわかりやすい大会なんです。ロースターの方たちも自分が今持っている焙煎技術を試したり、他の方法を学ぶために参加しているので、お店の方と会話しながら味を楽しんでもらえるといいですね。

世界に目を向けながら、日本特有のコーヒー文化を築いていく。カップ一杯といえど、弛まぬ思考と技術、そして熱い想いが込められるコーヒーが愛されてやまない理由を改めて感じました。

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●世界トップクラスの味が大集結。COFFEE COLLECTION現地レポート

ここからは2024年11月2、3日に神田スクエアにて開催された「COFFEE COLLECTION」の様子をレポートします。

会場では事前に行われた審査会で各部門の上位1、2位となった店舗が一堂に会するとともに、審査員の店舗や海外からの招待店舗も出店。まさに世界トップクラスの味にどっぷり浸ることができる贅沢な機会で、会場には多くのコーヒーフリークが集まり、じっくり味わい、深い会話に華を咲かせていました。

出店店舗は全国各地から集まり、普段なかなか足を運べないお店の味を楽しめるのもここならでは。豆や機材などの違いを見比べるのもツウな楽しみ方です。お客さんもお店の方も交流が活発で、立場に関係なく刺激し合うような空気がありました。

もちろん各部門の優勝店舗には長蛇の列が。総エントリー数104のロースターから各カテゴリで一位に選ばれたコーヒーの味に注目が集まりました。

NATURAL部門の優勝は、蔵前と表参道に店舗を構えるコーヒーロースター「Coffee Wrights」
「フレーバーが明確で、シンプルに美味しい」と評価が集まったハイクオリティな味わい
WASHED部門の優勝は、愛知県の「Toy&Co-」
クリアな味わいながら複雑な味のレイヤーを体感できる
INNOVATION部門優勝の「Days Coffee Roaster」は新潟のコーヒースタンド
さまざまなフルーツをチョコでコーティングしたような味わいで
コーヒーの表現の幅広さを実感する一杯

厳正なる審査を経て出店が決まったお店の方たちはこのイベントにどのように挑み、何を感じていたのでしょうか。出店者の方からこんな声が聞こえました。

「大会によっては焙煎機の指定やルールがありますが、COFFEE COLLECTIONは普段のスタイルで挑戦できるので自分の突き詰めているものを評価してもらう機会としてとても意義のある存在です」
「大会に参加することでコーヒーに深く向き合うきっかけに繋がるし、他のお店と交流もできるので刺激になります」
「地方の店舗にとっては多くのお客さんに味わってもらえる貴重な機会。熱心な方が多くこちらも勉強になりました」

ただ味を評価するのではなく、コーヒーに向き合い、高め合う時間として大切する。そんなコーヒーに対する真摯な姿勢がその場に現れているように、コーヒーカルチャーの熱い空気が感じられました。

●舌で味わうだけでなく、脳に染みるディープなセミナーも

他にも豪華なゲスト講師を迎えたコーヒーセミナーも開催されました。
セミナーのテーマは「家で楽しむエスプレッソマシンの厳選ツール」や「ミルクの徹底比較」、「量ることの重要性」など、プロ向けのディープな内容ばかり。どのセミナーも満員で、講師は第一線で活躍する方だからこそリアルな話に参加者の方は熱心にメモを取って前のめり。参加者からの質問も飛び交い、最先端の意見が交わされる場に高い熱量を感じました。

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コーヒー文化が根付く街・神田錦町。
「根付く」というと「定着」に近い意味を持ちますが、それは安定することではありません。その場に根付いたものは根を深く張り巡らしながら、芽を高く伸ばしていきます。
神田に根付くコーヒーカルチャーも、COFFEE COLLETIONを通してより深く根を張りながら、新たなコーヒーの可能性を育んでいる。そんな現場を目の当たりにした気がしました。

なによりコーヒー一杯から五感が揺さぶられる衝撃は、COFFEE COLLETIONの空気ならでは。次回はどんな味に出会うことができるのでしょうか。ぜひ体感してみてください。

Text/Edit: Akane Hayashi
Photo: Yuka Ikenoya(YUKAI)

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