思いがあるところに建築は生まれる。建築に親しみ、まちに触れる「東京建築祭」 前編 

大小、新旧さまざまなものが建ち並び、東京の風景をつくっている建築たち。多くを語らずじっと佇むそれらには、それぞれに刻まれた時間や想いがあります。
そうした建築をめぐり、人の思いやまちの魅力に触れる「東京建築祭」。上野、神田、日本橋、丸の内、銀座、港区…といった東京の各所で、歴史ある名建築から新たに注目を集める建築まで、多様な建築が一斉に門戸をひらき、じっくり楽しむことができる壮大なイベントです。

神田錦町周辺も一つのエリアとして参加し、さまざまな建築が公開されました。東京全体から見ると小さなエリアですが、個性豊かな建築が潜んでいる神田錦町。建築を通して見ると、新たな発見に溢れていました。

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東京で、建築からひとを感じ、まちを知る

東京のあらゆる建築をめぐる「東京建築祭」。東京中が会場という無謀にも思えるこのイベントはどのようにして立ち上がったのでしょうか。東京建築祭の実行委員会事務局長の大久保佳代さんに、開催を終えてお話を伺いました。

——今回で二回目の開催となりますが、「東京建築祭」はどういった場を目指していたのでしょうか?

大久保 建築を対象物として見るというより、建築と触れ合って距離を近く感じられるような機会にしたいと思っていたんです。さまざまな側面を少しずつ知りながら、次第に建築と仲良くなっていく感覚というか…。昨年の開催では、多くの方に来場いただいた反面、ゆっくり交流するような環境をつくれなかったなと感じたんです。そうした反省を踏まえて、今回はエリアを大幅に拡大してスポットを分散し、混み合わないように調整しました。参加建築数でいうと54件から128件と倍以上に増やして、交流会やワークショップなど、対話型のプログラムも取り入れました。いろんな工夫をして、今回は余裕を持って建築と親しめる機会を作れたかなと思います。

——確かに程よく人が行き交い、椅子に座ってゆっくりしている方も多かったことが印象に残っています。

大久保 あともうひとつ、参加者だけでなく建築を公開する側の人にも気付きを得てもらいたいと思ったんです。特にオフィスビルや大学施設だと、社員や職員の方にとっては普段の職場なのでその価値を意識することはそうありません。
でも、東京建築祭を通して多くの人に関心を持ってもらい、普段身近にいる人もこんなにもいいものなんだと気付くことってとても重要なんです。建築はつくる人と使う人と守る人がいてこそ価値あるものとして残り続けると思うので、そうした立場の人も建築の価値に触れて思いを持つ機会となることを目指していました。

——東京建築祭のキャッチコピーにも、「建築から、ひとを感じる、まちを知る」とあるように、人の存在を大事にしていらっしゃいますね。

大久保 そうなんです。建築って、人の思いがモノとして現れていると思うんです。そもそも思いがないところには何も生まれませんしね。建築ほどの規模になると、膨大なデータや課題を分析しながらどういった方向性や合理性を持ってつくるか、さまざまな情報が関わっていきますが、そもそもは「こうしたい」という思いが出発地点にあります。建築自体は多くの人が目にすることができるけれど、思いとか裏側を感じられる機会はなかなかないので、そういったことに触れられるものにしたいと思ったんです。
まだ場所によって公開の仕方に差がありますが、東京建築祭としての思いも少しずつ広げていきたいですね。

——東京建築祭でさまざまなエリアをご覧になっている大久保さんから見て、神田錦町はどういった印象でしょうか?

大久保 神田錦町はなんというか、かわいいんです(笑) 派手で凝った建築があるというわけでないけれど、ヒューマンスケールでみんながそれぞれ楽しもうとしている空気をすごく感じます。中心になる企業やエリアマネジメント団体があるわけでもなく、いい意味でバラバラというか、ゆるい連携をもちながら各自で頑張っていますよね。東京都心でそうしたコンパクトなスケール感で頑張ろうとしているところが応援したくなるし、だからこそユニークなことが起きているなと思います。そのかわいさが、とても魅力的で大好きです。

建築でめぐる、神田錦町

大久保さんの言葉を借りるなら「かわいい」サイズ感の神田錦町。老舗店が残る神田駅周辺や神保町、自然溢れる皇居、高層ビルが並ぶ丸の内エリアに囲まれたこのエリアですが、今回の東京建築祭では周辺エリアにて5箇所の建築が公開されました。

まちの風景であり、人の営みに関わってきた建築たち。それぞれどういった建築で、どんなことを語りかけてくれるのでしょうか? 神田錦町エリアをよく知る安田不動産の十時さんにガイドいただき、一緒にめぐっていきました。

①神田ポートビル

まず訪れたのは、1964年築の印刷会社旧社屋をリノベーションし、2021年に誕生した「神田ポートビル」。歴史と文化の積み重なった神田錦町という場所を背景に、カルチャーやアカデミズム、ウェルビーイングをテーマにした文化複合ビルです。

一見リノベーションとは気づきづらいほど、かつての佇まいを残しているこの建築。ですが、よくよく見ていくとさまざまな仕掛けやギミックが散りばめられています。早速見ていきましょう。

「『神田ポートビル』という名には、
旅の出発点であり嵐の日には避難する場所ともなる「港」のように
たくさんの人々が自由に活用してほしいという思いが込められているんですよ」と十時さん。
建築を見たり、スタッフの方と話したり、ひと休みしたり。
まさに港のようにいろいろな人たちが行き交います。
入ってすぐ左に広がる白い壁の空間は、ギャラリーにも写真館にもなるのだそう。
商品や本が並ぶ棚の先に「?」の掛け軸が覗くのは、なんと茶室。
建築家の藤本信行さんによって、お茶会や展示目的のために手がけられたもので作品の一つ。
茶室の入口にある「?」と書かれた木箱を開けてみると、小さなご利益がありそうな仕掛けが。
茶室をはじめ、神田ポートビルのコンセプトに合わせて
作家の方が制作したアート作品が随所に点在しています。
地下は元々印刷会社の倉庫だった場所を丸ごとサウナに。
階段上の壁に掛かっているのもアート作品の一つ。
白樺などの植物がたくさん吊るされていて、まるで森。
フィンランドではサウナがまちのコミュニティ形成に重要な役割を果たしているように、
ここ神田ポートビルにも、まちの人がやすらぎ、集える場所として
サウナをつくることになったのだそう。
天井が高く、休憩スペースには丘のような傾斜があり
地下であることを忘れてしまう開放感。
続いて2階へ…
元々の建築をあまり変えずに、馴染ませる形で新しい要素が取り入れられています。
自然の木を力技で捻ったというダイナミックな手すり。
2階は「ほぼ日の學校」のスタジオ。
エントランスの壁は本物のレンガが埋め込まれていて、由緒正しい校舎の雰囲気が漂う…。
壁には谷川俊太郎さんの詩が掲げられていました。
奥へ進むと和田誠さんから譲り受けたという本棚がさらっと置いてある驚き。
さまざまな著名人が講義を開いていてきたスタジオ。
アプリに登録すると動画コンテンツとして見ることができ、どこでも学ぶことができます。
再び1階に戻ると、建築家の藤本信行さんがお茶を振る舞いながら
建築の説明をしてくださいました。なんというおもてなしの精神。
かつての佇まいを残してまちに馴染みつつ
ユニークさと居心地の良さが程よく調和した、まさに港のようにやすらぐ場所でした。

②共立講堂

次は、東京タワーの設計者・内藤多仲博士が構造設計、前田健二郎が意匠設計を手がけた「共立講堂」へ。1938年に建てられ、日比谷公会堂に並ぶ大型の講堂で音楽関係の公演のメッカとして親しまれていました。その後関係法令の改正や社会環境の変化を受け、現在は学校の講堂として活用されています。

外観にも感じられるように、昭和初期のモダンなデザインを先導した建築家・前田健二郎による意匠設計は、格式がありながらどこかチャーミング。圧倒されたり愛でたりと、夢見心地な気分で楽しみました。

「現在は共立女子学園の講堂として使われていて一般の方が入る機会は限られているので
こうして中を見学できるのはとても貴重なんです」と十時さん。
まず入口で迎えてくれるこの作品は、かつて舞台幕だった一部。
以前の舞台幕の全体像はこちら。中央上の木に並んでいる猿が先程の写真で、
舞台幕の壮大さと繊細な表現を同時に感じられます。
講堂に入ると目に飛び込んでくる立派な桜の木は、現在の舞台幕。
面一杯の黄金色が舞台を一層華やかに際立たせていてじっと見入ってしまう…。
格式に一役買っている壁の木片は、吸音するために施されているのだとか。
均等に並ぶ木片と模様の移ろいがとても美しい。
見上げると天井と2階席のアーチが混ざり合ってダイナミック。
この緩やかな曲面は豊かな音響を生み出すために考えられたもので、
鑑賞と実用が兼ね備えられているそうです。
アーチはさまざまなところに散りばめられていて、
行き届いた一手間に名建築たる所以を感じる…。
耐震のために補強した梁もアーチ仕様に! 元々のデザインに馴染んでいます。
アーチを探し求めるように2階へ。
ここにもカーブの効いたアーチを発見。
2階席は傾斜がしっかりありいい眺め。
客席もアーチになるように中央と左右で高さが異なるように設計されています。
この日ボランティアとして案内に立たれていたのは、なんと共立女子中学高等学校の卒業生!
「久しぶりに中に入りましたが、改修を経てきれいになっていたり変わっている箇所がありつつも、
いま見ても懐かしいと思えてとても感動しています」と
かつての建築を実際に体験していた方のお話を聞き、味わいが一層増しました。
1938年の創建当初の様子。正面のデザインはいまと大きく異なっていたようです。
1956年に発生した火災の後、再建されたのがこの写真。
記録によるとわずか1年で再建したそうで、並々ならぬ思いがあったことが伺えます。
2000年以降耐震などの改修を何度か行っているものの、
このまちに欠かすことができない風景の一部として守り続けられる共立講堂。
次に見学できる機会まで、その美しさに思いを馳せつつ楽しみに待っていたい建築でした。

後編に続く

Edit/Text: Akane Hayashi
Photo: Yuka Ikenoya(YUKAI), TADA

神田祭、陰の立役者たち|其の三・神田明神 神職

日本三大祭のひとつとされる神田祭。
壮大な歴史と規模を誇る日本屈指のお祭りですが、そこには、まちの人々の手によって絶やすことなく受け継がれてきたという背景があります。時代とともに、地域に関わる人もまちの形も変わりゆく中で、伝統としてあり続ける神田祭。どういった人たちが、どのようにしてこの日を支えているのでしょうか。
約400年の歴史を持ち、108町会が参加するほどの規模ゆえに、関わる人の数も膨大ですが、その中で中心となって支え続ける「陰の立役者」に密着します。

三人目は、祭礼の主な舞台となる神田明神に仕える「神職」。神田明神がこれまで発展を遂げてきた背景には神職の存在が不可欠ですが、神田祭も同様です。神職が中心となって各氏子地域と連携しながら、神田明神に祀る神様と地域のための祭礼として守り続けています。
多くを語ることはそうないものの、常に地域を見守る神職。神田明神の禰宜ねぎとして仕えられる岸川雅範さんにお話を伺いました。

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●神田祭はなぜあるのか

——神田明神は神田祭の中心となる場所で、もっとも注目が集まります。神田明神と神田祭はどういった関係なのでしょうか?

岸川 そもそもなぜ神社があり、お祭りがあるかという話からすると、神様がいるからなんです。神様がいて、その神様が守る地域があり、その地域に住む氏子がいる。いわゆる「氏神氏子」の関係性が根底にあります。
ただ、氏子の方はそれぞれにお仕事や生活があり、神田祭のような規模のお祭りを一から準備してすべてを執り行うことは困難です。そのため、専門の人間である神職が仲執持なかとりもちとして代わりにお祭りを行っているんです。今でこそ神田明神は神田祭の中心的な立場で関わっていますが、我々は氏子の皆さんの代役をする、ということが本来の立ち位置になります。

——神田明神のお祭りではなく、地域全体のためのお祭りなんですね。

岸川 そうなんです。神田祭の中に「神幸祭しんこうさい」という神事があり、それは氏子区域の人びとのために神社が主導して行います。神様をお乗せした3基の鳳輦ほうれん神輿を筆頭とした行列が、すべての氏子区域を清めるために一日かけて約30kmの距離を巡るんです。
神田祭というと、神輿宮入がメインだと思う方も多いですが、神幸祭と神輿宮入の二つが合わさって神田祭なんです。他にも献茶式や例大祭といった神事がありますが、氏子をお祓いして清めること、そしてまちの人たちが神様に対して奉仕すること、この二つが神田祭の大きな目的になります。

神幸祭の行列の様子

——岸川さんご自身はどういったことを担当されるのでしょうか?

岸川 神職何人かに分かれて108の町会を担当し、神田祭に向けた会議に参加したり、お祭りの道具を届けたりと細かなやりとりをします。さらに町会に出向いて神輿神霊入れを行いますが、神輿宮入当日は基本的にまちに出ることはありません。むしろまちのためのお祭りなので、我々は神田明神に宮入する各町会の神輿をしっかりお迎えすることが重要な役割になります。

神田明神での宮入は町会全員が見守るハイライト
そんな町会を滞りなく迎える神田明神 神職の方々

●神田にある神社だからできること

——宮入はまちの人にとって大きな見せ場でとても盛り上がりますね。一方で、100以上の町会が集まる唯一の場所なので運営面での苦労がありそうです。準備はどのように進められるのでしょうか?

岸川 前年に祭典委員会というものが立ち上がり、そこから大きな方針の話し合いを始めます。御神輿担ぎは車道を使用するので警察や消防の方との調整も神田明神や各町会が行います。その他には多くの方に関心を持っていただけるように、ガイドブックやウェブサイト、映像コンテンツなど広報物の制作から、イベントや外部とのコラボレーションなどの企画もしますね。

——神職のイメージからは想像つかないほど多岐に渡ることを担当されていますね…!
特に神田祭はアニメや漫画、スポーツ関連などコラボレーションの幅が広く、とても開かれているように感じます。

岸川 各町会でも独自でポスターをつくったり御神輿を展示したりと工夫して盛り上げている中で、神田明神だからこそできる発信を意識して取り組んでいます。例えばアニメとのコラボについては氏子区域に秋葉原が含まれていますし、神保町周辺もアニメの原作を扱う出版社が多いので親和性が高いんです。地域の特徴を活かしたコラボは、個性豊かな地域に囲まれた神田明神だからできることだと思いますね。

——他の神社では実現し得ないような一見突飛なコラボも、地域性を汲んでいるんですね。

岸川 特にアニメとのコラボは、はじめは反対の声もありましたが、徐々に地域に根付いていきました。とは言え、コラボする作品はなんでもいいというわけでなく、歴史的背景や思想などマッチする要素があるかを重視しています。今年コラボした『薬屋のひとりごと』は、神田明神が薬の神様を祀っているのでとても親和性がありました。作品への関心から神田祭への興味にうまく繋げられるよう、そういった文脈は意識していますね。
また、「若者をターゲットにしてアニメとコラボしているんですか?」と質問されることが多いですが、アニメに親しむ世代はいまや10代から60代まで幅広いんです。神社というのは常に多様な世代を受け入れてきた場所なので、時代の変化に応じて各世代の興味関心を捉えようと心がけています。

●「神田祭を行う」ということを変えない

——いろいろな要素を取り入れつつも、神田祭の軸として大事にされていることはありますか?

岸川 伝統というものは時代に応じて形が変わっていくものなので、神田祭も形式自体はさまざまな点が変わっています。例えば、地域外からはじめて参加する人が増えればマナーや安全の問題についてルールを整えなければなりません。ですが、基本的には「変えないということを念頭に置いた上で変えていく」という姿勢が非常に重要です。歴史に則った上で変えることはあっても、基本はいかに変えないでやるかということがお祭りにおいて目指すべきことだと思います。

——まち自体の変化もある中で、神田祭が変わらないようにされていることはあるのでしょうか。

岸川 まちが変わってしまうことは今に限った話ではなく、江戸時代から現在にかけてさまざまな変化がありますし、致し方ないことだと思っています。その中でも、「神田祭を行う」ということを変えないことが重要なのではないでしょうか。
そのためには事故を起こさないための細かな調整が不可欠です。お祭りはみんながみんな喜ぶというわけではなく、騒音や道路封鎖によって苦情が来ることもあります。それでも伝統として続けられる形を模索し続ける。変わらないということは続けるからこそできることだと思いますね。

——続けること自体もそう簡単なことではないと思います。

岸川 過疎化で受け継ぐ人がいなくなって自然淘汰されたり、時代が変わって形式が見直されたり、受け継いできたお祭りがなくなることは珍しくありませんからね。その点、神田祭は担ぎ手も多いし、関わる企業も多いのでとても恵まれているんです。その中で、今後も長く続けていくためには、もっと地域外の人にも知ってもらいたいですね。

——神田祭は神様と氏子の関係のお祭りということでしたが、外に開いていくことはどういった意味があるのでしょうか?

岸川 もちろん氏神氏子の関係性が大前提にはありますが、神田明神は昔から名所として地域外から訪れる方が多く、そうした方の存在も神社には欠かすことができません。お祭りも同様で、行う人と見る人の両方がとても重要だと思うんです。やはり見物人が多くいた方が担ぎ手も盛り上がりますし、お祭りとして活気が生まれる。地域外の人にもより関心を持ってもらうということは神田祭を今後も続けていく上で大事なことですね。

——氏子総代の廣瀬さんが「盛り上げるのはまちの人の役割」とおっしゃっていましたように、見る人も大事な盛り上げ役ということですね。本当に多くの方が関わるお祭りですが、改めて神田明神にとって神田祭はどういった存在でしょうか?

岸川 本来お祭りというものは神社の創建とともに行われます。神田祭の場合は創建当時の記録が残っていないため、どういった形で行われていたかはわかりませんが神社の歴史と密接に関わる存在です。だからこそ変えてはいけないし、続けていかなければならない。もちろん震災やコロナなどで中断した時期もありましたが、その都度復活させてきました。神田祭が続いているということは、まちの人も神社も活気を持ち続けているということでもあるので、「神田祭は、氏子のまちがあり続けている証」と言えるんじゃないかと思います。

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神田祭に限らず、あらゆる伝統の背景にはそれらを受け継いできた人々がいます。その一人ひとりについて語られることはそうありませんが、伝統が残っていることがそうした存在の確かな証拠です。
そんな中、今回お話を伺った三人が揃って大事にされていたのは「氏子であるまちの人に楽しんでもらう」ということ。まちの人を主役として、そのためにきめ細やかに尽力する様子はまさに陰の立役者だと言えます。

崇高な神事であり、神田を誇る伝統であり、まちの人の晴れ舞台である神田祭。参加者としては祭りの空気に身を任せて素直に楽しむことが一番の仕事ですが、陰で支える人たちの尽力に思いを馳せながら存分に楽しみたいと感じました。

Edit/Text: Akane Hayashi
Photo: Yuka Ikenoya(YUKAI)

神田祭、陰の立役者たち|其の二・氏子総代

日本三大祭のひとつとされる神田祭。
壮大な歴史と規模を誇る日本屈指のお祭りですが、そこには、まちの人々の手によって絶やすことなく受け継がれてきたという背景があります。時代とともに、地域に関わる人もまちの形も変わりゆく中で、伝統としてあり続ける神田祭。どういった人たちが、どのようにしてこの日を支えているのでしょうか。
約400年の歴史を持ち、108町会が参加するほどの規模ゆえに、関わる人の数も膨大ですが、その中で中心となって支え続ける「陰の立役者」に密着します。

二人目は、地域住民である氏子を代表する「氏子総代」。衆望のある氏子として選ばれ、地域や神田明神と細やかに関係を築き、まちの未来に向けた重要な判断を担います。
100以上の町会で構成される氏子地域をごく数人で背負う氏子総代。そのひとりである廣瀬直之さんにお話を伺いました。

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●地域の代表として神田がどうあるべきか

——「氏子総代」という言葉自体、あまり馴染みがない人も多いかと思います。まずはどういった役割をされているかお伺いできますか?

廣瀬 神様が守る地域に住む人を氏子と言い、その代表ということで「氏子総代」と呼ばれています。神田明神に対する崇敬心を強く持った地域の代表として、神田明神の宮司から直接任命されます。現在は神田から6名、日本橋から4名により構成されています。
主な役割は、神田明神と連携して祭礼や神社の保持活動を支えること。神田明神は大きな神社なので神職の数も多く、非常に重層的な組織となっていますが、その中で氏子総代のポジションは会社で言うところの「取締役」に近いかもしれません。神田明神で検討されるあらゆる執行に関して意思決定をする責任者という立場ですね。

——まさに企業のように役割が分かれているんですね。町会長とはどういった違いがあるのでしょうか?

廣瀬 神田祭の例で言うと、参加する町会は100を超え、さらに町会によって御神輿の管理や担ぎ手の数など状況が異なるので、実務的な部分は町会のことを一番把握している町会長が担います。
それに対して氏子総代は、神田祭自体をどういった方針や予算で実施するのか、神社の今後も見据えた理念的な判断に関わります。神田祭は地域のための伝統行事なので、検討の場には氏子が参加する必要がありますし、多様な知見や経験を踏まえて議論できる体制になっているんです。

——地域の代表として、まちの方とは普段どのようにコミュニケーションされているのでしょうか?

廣瀬 町会のお店に行ったり一緒に飲みに行ったり、息子が青年部に入っているので寄り合いに参加してさまざまな声を伺うようにしています。とはいえ、氏子総代になる以前からの付き合いの方も多いですし、なるべく日常の中で畏まらない形で接点を持てるようにしていますね。

——変わらない距離感でいることこそ、まちからの信頼につながっている気がします。神田祭当日は、氏子の方々は御神輿を担いで宮入を目指しますが、氏子総代の方はどういったことを担当されるのでしょうか?

廣瀬 神田祭は宮入の一日が本番だと思っている方も多くいらっしゃいますが、その前後6日間に渡ってさまざまな行程があるんです。大きなところで言うと、宮入の前日に神幸祭という大行列があり、神様に鳳輦ほうれん(屋根に鳳凰を飾った御輿)にお乗りいただいて氏子地域を巡ってご祈祷をいただくもので、氏子総代も参列します。宮入とは別の日にも能の披露や献茶式があり、神様に対する御奉仕の儀礼として代々受け継がれている通りに執り行っています。氏子全員がすべてに参加することは難しいので、氏子の代表としてそれらを始まりから終わりまで見届けることが大きな役割かもしれませんね。

●氏子総代になって見えるまちの景色

——氏子の代表という立場にはかなり責任を伴うかと思いますが、氏子総代になられてから神田との関わりに変化はありましたか?

廣瀬 もともと父が氏子総代を長く務めていたこともあって神田とは長く関わりがありましたが、これを機に改めてまちの成り立ちを学び直しています。神社のことはもちろん、それを取り巻くまちの文化がどのように紡がれてきたのかを踏まえることは、氏子の代表として然るべき判断をするためにも大事だと思いますしね。他方で、まちの歴史を知らない方も増えてきているので、知っていただく機会もつくるようにしています。

——まち自体もさまざまな変化がありそうです。

廣瀬 そうですね。神田は多様な専門店街が集積する地域という特徴がありますが、その背景には歴史的に職人が多く行き来し、さまざまな専門分野において秀でた人が集まる地域だったからと言われています。さらに大学が集まるようになって古書店が増えたり、留学生の交流が始まったことでインド料理や中華料理が増えたりと、あらゆる歴史が現在のまちの姿に繋がっているんです。今後も再開発の計画があり、それに伴って神田祭にも影響があるかもしれません。ただ、まちが変わることはもはや当たり前なので、そういった背景を踏まえて神田らしい変わり方をしていきたいと思います。

専門店街から、老舗店、ビル群を練り歩くのは神田祭らしい風景

——神田祭に対しても変化を感じることはありますか?

廣瀬 神田祭の内容自体はそこまで変わっていませんが、お祭りを取り巻く人は変わっているように感じます。住民の数は減ってきている一方で勤務されている方が非常に多く、そういった方々が伝統を受け継ぐ担い手として神田祭に参加してもらうことも増えてきました。ただ、外から来られた方はまた外に戻ってしまうので、より深くシンパシーを感じていただける工夫をしなければならないと思っています。

●次の世代に繋げるために必要なこと

——改めて、神田祭ほどの規模のことが当たり前のように行われているのは本当にすごいことだと思います。まちを大いに使って開かれていることで、地域の祭礼でありながら地域外の人も入り込みやすいように思います。

廣瀬 氏子総代としては、前に出るのではなく氏子の方々に楽しんでもらうことに徹している点が上手くいっているのかもしれませんね。町会には大いに盛り上がっていただいて、我々は現場の状況を見たり意見を吸い上げたりと、俯瞰的に地域を面として捉えてまとめる立場にいることが、こうした規模の行事には必要だと思います。

——俯瞰して見るというのはまさに取締役ですね。神田明神では神田祭以外にも多様な取り組みをされているので、氏子総代の活動も多岐に渡りそうです。

廣瀬 そうですね。例えば、神田明神の創建1300年記念事業として御社殿の大規模改修の計画がありますが、そういった方針の議論にも参加します。他にも日々の運営から初詣や季節ごとのお祓いなど、年間通してさまざまな取り組みの検討に関わっています。

——具体的にどのような検討をされるのでしょうか?

廣瀬 改修一つとっても、歴史的な建造物に手を加えるわけですから、どこをどういった方法で改修するかは非常に重要です。大幅改修するとなれば、当時の設計がどのようになされていたのか研究者の意見を伺うなど、理解を深めた上で改修の方針を慎重に判断します。単にお金をかければいいということでも合理的であればいいということでもなく、祈りの場である神社をどのように次の世代へ持続させられるかを軸に、一つひとつを議論しているんです。

——いま、次の世代に繋げるためにはどういったことが重要でしょうか?

廣瀬 お祭りには二面性があって、神様を祀っておもてなしをする神聖な面と、神様をもてなす場で地域の人も楽しんでしまう祝祭的な面があるんです。特に子どもの頃なんかは、祈りの場というより屋台がたくさん出ていて楽しかった記憶の方が強いですよね。でもそれが儀礼として続いていくための大事な要素です。
そうした時に氏子総代は、神聖な儀礼として執り行いつつも、まちのみなさんがいかに難しいことを考えずに楽しめるようにできるかが、次の世代に繋げるために重要だと思っています。

——確かに、実際に参加してみると厳かというよりもまちのみなさんの笑顔で溢れていたのがとても印象的でした。

廣瀬 もちろん大規模な行事なのでトラブルが起きないようさまざまなルールを設ける必要がありますが、定めすぎても窮屈になってしまうので、楽しめる場であることを一番に考えながら守るところは守るようにしています。例えば、屋台で焼きそばを買って食べることはもちろんいいけれど、拝殿の階段に座って食べることは著しく神域を穢す行為なので注意しないといけない。どこまで緩めてどこまで規制すべきかの線引きは常に悩ましいですが、まちのみなさんからの意見も伺いながら柔軟に判断するようにしています。

——歴史があればあるほど「変えない」という意識が強くなりそうですが、時代に適応しながらあるべき姿を考えていらっしゃるんですね。本当に難しく責任のある立場だと改めて感じます。
最後に、そういった立場の氏子総代として神田祭はどういった存在でしょうか?

廣瀬 「神田」という地名を掲げている通り、神田祭は一地域のお祭りではありますが、神田は江戸を代表するまちなので、日本を誇る存在と言っても過言ではないと思っています。まちの方々も神田祭に強く誇りを持っているので、そうした想いを最大限に引き出せるようにしていきたいですね。

其の三に続く

Edit/Text: Akane Hayashi
Photo: Tada, Yuka Ikenoya(YUKAI)

神田祭、陰の立役者たち|其の一・鳶頭

日本三大祭のひとつとされる神田祭。
壮大な歴史と規模を誇る日本屈指のお祭りですが、そこには、まちの人々の手によって絶やすことなく受け継がれてきたという背景があります。時代とともに、地域に関わる人もまちの形も変わりゆく中で、伝統としてあり続ける神田祭。どういった人たちが、どのようにしてこの日を支えているのでしょうか。
約400年の歴史を持ち、108町会が参加するほどの規模ゆえに、関わる人の数も膨大ですが、その中で中心となって支え続ける「陰の立役者」に密着します。

まず一人目は、神田祭の大事な風景をつくる「鳶頭とびがしら」。神田祭の時期になると、各町会に神様に献上する食事や御神輿を飾るための神酒所みきしょが建ち、建物には軒花提灯のきばなちょうちんが掲げられますが、それらを手掛けているのは鳶頭です。また、御神輿渡御など出発する際に歌われる木遣きやりも鳶頭を筆頭に行います。
そんな神田祭の風景に欠かすことができない重要な要素を担っている鳶頭。今回は神田錦町の鳶頭である渡辺晋作さんにお話を伺いました。

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●まちに神田祭の風景をつくる

——お忙しい時期にお時間いただきありがとうございます。(取材時は4月後半)
いままさに準備の真っ只中だと思いますが、毎年いつ頃から準備をされるのでしょうか?

渡辺 神田祭の開催は5月ですが、その前に各町会で神輿体験や前夜祭といったイベントを行うのでそこから逆算して動き始めます。私は神田祭では、錦町二丁目町会、小川町三丁目南部町会、錦三丁目第一町会、錦町三丁目町会を担当していて、それぞれ4月中には御神輿を飾る神酒所を完成させました。他にも軒花提灯の下地を作って各所に取り付けたり、紙垂しでを張ったりと4月初めから作業を進めていましたね。

——町内のお店やビルの入口に掲げられる提灯が「軒花提灯」ですね。あの光景を見かけるといよいよ神田祭だなと感じます。

渡辺 ありがとうございます。まちの中で作業を行うのは4月に入ってからですが、細かな作業は2月頃から進めていますね。紙垂を折ったりだとか、雨で仕事が中断される時なんかにやっているんです。

——そうした装飾物は毎回一からつくっているのでしょうか?

渡辺 そうですね。昔は錦町三丁目内に親父の家があったので使い回せるものは保管していたんですけど、もう場所がなくなってしまったので基本は一からです。パイプなど嵩張らないものだけ場所を借りて置かせてもらっていて、丸太やベニヤといった大きな材料は毎年新たに仕入れています。

錦町三丁目町会の神酒所

——御神輿は代々受け継がれていますが、神酒所はその都度材料を仕入れてつくられるんですね。神酒所には設計図などはあるのでしょうか?

渡辺 いや、ないですね(笑) すべて記憶を頼りにつくります。そもそも神酒所を建てる場所自体、まちの変化の影響もあり昔からずっと同じというわけではないんです。現在は施設のオープンスペースを借りることが多く、当然使用できる範囲が限られています。例えばこの場所は奥行きが出せないから横幅を広くしようかとか、基本的な構造はありつつ、その場所や条件に応じて見せ方を考えているんです。

——熟練の技術と勘所が必要ですね…!

渡辺 町会からの依頼ではありますが、どのようにつくるかは完全に任されているからこそできるつくり方でもありますね。自分の場合もそうでしたが、基本はつくりながら学ぶしかないんです。一緒に脚立に登ってその場その場で判断しながらつくり上げていくので、やりながらでしか受け継ぐことはできないと思いますね。

錦連合の神酒所

——どうつくるかは鳶頭に委ねられているとのことですが、つくり方の匙加減はどういったところで決まるのでしょうか?

渡辺 毎回壮大な神酒所をつくっている町会もありますが、そうしたところはやっぱり予算と期間をかなりかけているんですよね。結局は商売なので、そこが一つの基準になります。ただ、この仕事は町会との信頼関係によって成り立っていて、長い付き合いを通して認めていただいてから、やっと仕事を頼んでもらえるので、神酒所をつくるということはとても貴重でありがたいことなんです。一からつくるということは当然とてもお金がかかることなので、他の地域では既製のテントで済ませることもあるんですよね。
それでも神田のみなさんはこういった伝統に誇りを持って依頼してくださるので、その想いをしっかり汲んで、できる限り立派なものをつくろうと工夫しています。

●裏で現場を先導する

——神田祭当日には鳶頭としてどのようなことをされるのでしょうか?

渡辺 基本的には全体の工程を把握して現場を先導します。御神輿の担ぎ手も、御神輿を運ぶルートや段取りを把握している人はごく一部ですからね。
例えば宮入の前日に行われる神幸祭では、朝5時に神田明神に集合して行列に同行します。実は神田祭と同じ日に、神田駿河台にある太田姫稲荷神社でも例大祭があるのでそちらにも顔を出さないといけなくて。そこからまた各町会の手伝いをして夕方になったら神田明神に行ったりと、終日歩き回ってますね。翌日の宮入では、はじめに神酒所の前に御神輿を出して出発式の木遣を担当します。その後は町会の御神輿に同行したり、宮入で再び木遣をしたりと、この日もあちこち行くわけです。他の鳶頭もだいたいこういった動きだと思います。

神幸祭当日の鳶頭。雨が滴る中、高らかに木遣を響かせる

——木遣はとても迫力があり、神田祭に欠かすことができない光景だと思います。もともとは鳶の方々の作業唄だったそうですね。

渡辺 そうですね。私も木遣を行いますが、神田明神などの大きな場面では町火消の伝統を紡ぐ「江戸消防記念会」という寄り合いにお願いして木遣をしていただきます。東京都指定無形文化財にもなっているように、一つの伝統文化として受け継いでいますね。

——最後の工程まで見届ける立場かと思いますが、鳶頭の方の一日の締めはどこになるのでしょうか?

渡辺 神田祭はとにかく規模が大きいので、神幸祭の大行列に同行する若手の鳶や、宮入で木遣をしてもらう他の鳶頭たちを呼んでいるんです。多くの人に協力してもらっている手前、ひと通りの工程が終わってすぐ解散というわけにもいかないので、みんなに一杯やってもらうようお店を用意しますね。要は労い、もてなすことが締めですね。
撤収については宮入の日にある程度片付けてしまって、翌朝にはバラすだけにしています。月曜日になると仕事で来れない人が多いので、名残惜しさもありますが町会の人もある程度いるその日のうちにみんなで一気に作業してしまうんです。

宮入には各町会の鳶の方々が集合して圧巻

●鳶頭としての意地

——鳶頭がある意味「仕事」として淡々とこなすことで、神田祭の空気が締まるような気がします。渡辺さん自身はいつ頃から関わっているのでしょうか?

渡辺 高校生の頃から関わっているので40年程ですね。うちの組はだいたいそれくらい長く関わっていて、中には生まれた時からという人もいます。ただ、親や自分の代で辞めることが結構増えているんです。昔は一人一町会を担当すればよく、若手が町会を持つことなんてできませんでしたが、いまはみんなで手分けして複数の町会を担当しているような状況で、正直いつまで続けられるかわかりません。

——こういう景色が見れるのは本当に貴重なことですね。

渡辺 ただ、神田祭自体だって最近でも震災やコロナによって開催を見送った年があり、絶えず続いているわけではないんですよね。変化を受け入れながらどう続けていくか、ということはずっと考えていることだと思います。まちも人も変わっていて、住民がいないので地域外から担ぎ手を呼んだり、企業が参加することも増えました。企業の軒花提灯も私たちが取り付けますが、人によっては単なる施工業者のように扱われることもあります。関係性が薄い人にとっては仕方のないことかもしれませんが、伝統ある祭事であり、まちの人が想いを持って続けてきたことなので、そうした背景はうまく伝えていかなければならないと思いますね。

——鳶頭の方々は神田祭の現場を支えながら、その精神も受け継いでいる重要な存在だと思います。そんな大きな役割を担う渡辺さんにとって、神田祭とはどういった存在でしょうか。

渡辺 御神輿に同行していると「鳶頭も神輿を担ぐんですか」とよく言われますが、それは鳶頭の仕事ではないんです。二年に一度、町会の旦那衆を楽しませるということが我々に任された仕事です。壮大な祭礼を問題なく開催することも大事ですが、何よりも普段世話になっているみなさんに楽しんでいただかないといけない。終わった後に、「頭、お祭りよかったよ」といっていただけることが一番嬉しいんです。仕事といえば仕事ですが、町会との信頼や鳶頭としての意地を背負った大きな存在ですね。

其の二に続く

Edit/Text: Akane Hayashi
Photo: Tada, Yuka Ikenoya(YUKAI)

#3「写真+リズム」|写真家・白鳥建二さんと、リズミカルな神田の街歩き。【後編】

「〇〇のおともに」をテーマに、あるものとあるものをたし算することで広がる神田のたのしみ方を、その道のプロフェッショナルをお迎えして紹介する「おともにどうぞ」。
第三回のゲストには、美術鑑賞者・写真家の白鳥建二さんをお迎えし、写真を撮りながら神田の街歩きへ。全盲という立場から、独自の方法で美術鑑賞や写真活動を行う白鳥さんと一緒に歩いてみると、あらたな街の感じ方がありました。

今回は、街歩きに同行したオープンカンダのクリエイティブディレクター・池田晶紀さんがレポートをお届けします。

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さて、2日目もやってきました。「『動く』ということは、何かに気付くきっかけとして必要」と白鳥さんが話したように、ただただ歩いて歩いて歩き回ります。

この日は神保町からスタートして上野方面へ。このあたりは道が広くて歩きやすく、ぐんぐん進んでいきます。


途中ひとつ寄り道をして、「TOBICHI」というほぼ日さん本社の一階にあるショップへ!
このサイトでもご紹介したことがあるんですが、いつもおもしろいものを売ってるんですよ。

この日は美味しいコーヒーを売り出していたので香りをチェック!

それからご近所にある五十稲荷神社へ。ここの神社は小さくてかわいい。季節によってデザインが変わる御朱印がすっごく人気なんです。
1日目はスケールの大きなスポットを多く巡りましたが、このあたりもちょっと路地に入ると小さな出会いがたくさんあって楽しいんですね。

次は秋田犬に会えるギャラリー兼カフェの優美堂へ。
廃業してしまった額装屋さんを現代美術家の中村政人さんが、小さなアートセンターとして街に蘇らせた大人気のお店です。秋田犬の「ののちゃん」はものすごくいい子!

また少し歩いて、淡路町にある複合施設「ワテラス」へ。
一階にあるクラフトビールがたくさん揃った「WIZ CRAFT BEER and FOOD」で、さっそく水分補給となりました。

青空の下で飲むビールはどれももちろん美味い! でも、ふらふらにならない程度にして私たちはまだまだ歩きます。

線路沿いをずーーーっと歩いて…やってきました、ザがつくほどの秋葉原です。

秋葉原は、実は路面でお店の人と話したりするのが楽しいんですよ。

そしてどのお店も密度がすごい。目に飛び込む情報量もすごいけど、圧倒させる気迫のようなものがあってすごいんです。

秋葉原の大通りをまっすぐ歩いて、次は湯島へ! なんかいい感じの街並みです。きっと美味い小料理屋があるに違いなく、勘に従って探してみたくなります。

湯島からさらに上野方面へと歩くと、本当に不思議な光景が飛び込んできます。

そう、不忍池です。さっきまでお店がひしめき合っていたのが嘘のように、ぽっかり空が広がっていて神秘的!
白鳥さんは実は撮られているようで、これはこっそり撮ってますね! さすがです。

次はそろそろ軽くご飯でも食べましょうか、ということでアメ横方面へ。

なんだここは!?

アメ横は、いつまでもにぎやかで変なものもあって、やっぱりすごい!
でも、今日はさっき通った湯島が気になるので、戻っていいお店を探すことに。

嗅覚が惹かれて入った居酒屋「岩手屋」。もちろん大当たり! 地元の方に囲まれながら、優しい時間と美味しい食事が楽しめます。

白鳥さん、今日も遊びましたね、街歩き、お疲れさまです。
といった感じで、再び上野駅へ。水戸にお住まいの白鳥さんは、ここから一本で帰れます。

あっ! 特急電車でも飲んでました。。。


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「2日目で一番印象に残っているのは、湯島からアメ横エリアの雰囲気の違いですね。ちょっとした距離なのにこんなにも変わるんだと思って。街にいる人とかお店とかいろんな要素の違いだと思いますが、それが変わっていく様子は実際に歩いてみないとわからないことなのでおもしろかったですね」(白鳥さん)

動き続けたからこそ気付いたことをしっかり味わっていたようです。
さらに、「自分で実感したことを一番信用したい」と話す白鳥さん。しかし、喜びや驚きというのは些細であればあるほど、あっけなく記憶からこぼれ落ちてしまうものです。
そこで、今回のように目的もなく楽しめる人とただ歩き回り、そして自分の内側にある小さな機微に従って、ひたすらシャッターを切る。そうして残った写真は、きれいに撮れてはいないかも知れないけど、素直に楽しい時間が写るように思えました。本当に大発見です。
みなさんもぜひ、試してみてくださいね。


そんな白鳥さんの作品はオンラインストアで販売中です。ぜひチェックしてみてください。
神田ポート Stores

Text: Masanori Ikeda(YUKAI)
Photo: Yuka Ikenoya(YUKAI)
Edit: Akane Hayashi

#3「写真+リズム」|写真家・白鳥建二さんと、リズミカルな神田の街歩き。【中編】

「〇〇のおともに」をテーマに、あるものとあるものをたし算することで広がる神田のたのしみ方を、その道のプロフェッショナルをお迎えして紹介する「おともにどうぞ」。
第三回のゲストには、美術鑑賞者・写真家の白鳥建二さんをお迎えし、写真を撮りながら神田の街歩きへ。全盲という立場から、独自の方法で美術鑑賞や写真活動を行う白鳥さんと一緒に歩いてみると、あらたな街の感じ方がありました。

今回は、街歩きに同行したオープンカンダのクリエイティブディレクター・池田晶紀さんがレポートをお届けします。

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白鳥さんの撮影に同行し、街を歩きまわった2日間。一緒に歩き、撮った写真を鑑賞することで気付いたことがたくさんありました。
展覧会の後日、そんな興奮を白鳥さんにお話しするとまたすごいお話が聞けたんです。

「どこを歩くにしても、歩けば歩くほど自分の気分が乗ってくる感覚があります。歩き始めてから10分よりも40〜50分経った方が、足取りや気分が乗ってきて情報収集能力も上がるんです。だから、ある程度時間かけて歩き続けた方が、いろんなことに気付けるんじゃないかなと思います。
例えば、壁や床に触れることでその感触を知ることができるけど、じっと手を置いているだけだと最初の刺激に慣れてきてだんだん何も感じなくなっていくんですよ。でも手を動かしてみると、ここはざらざらしていてこっちはひんやりしてるな、と新たに気付くことができる。『動く』ということは、何かに気付くきっかけとして必要なことだなと思います」(白鳥さん)

本当にその通りですね。実際に1日5時間近く歩き続けたわけですが、へとへとになりながらもいろんなことにたっぷり気付いた街歩きになりました。
ここからは、みなさんも真似して歩けるように、行って楽しかったりおいしかったスポットや、印象的だったことをレポートしていきたいと思います。

まず、一日目は皇居に行ったり、神田駅周辺でご飯食べたり、東京駅まで歩くコースです。

神田ポートからスタートして皇居方面(竹橋駅方面)へ数分歩くと、高速道路の下には大きな川が見えてきます。ここの歴史を感じるでかい石組みが見事な迫力なんです!

石組みに触るために近づいてみると、さらにでかさを感じます。よく見ると無骨な石がごろごろと絶妙なバランスを保っていてなんとも妙技。

また少し歩いて、平川門という皇居へ続く橋へ。
遠くからでも絵になる、江戸時代への入り口のような美しさ! 橋を渡っていざ皇居に入ります。

皇居内は、まさに森! 森林浴にぴったりな、季節の植物が彩りを見せています。

江戸城跡地となる高台と、でっかい芝生の広場と、全てが開放的でデザインされた空間設計は、本当に素晴らしい楽園です。

観光客が行き交う開けた砂利道をぐんぐん歩いたり、緑が茂る森に入ったり、いろんなところを歩いてみます。
またさらに大きな石組みに出会ったり、緑をよく見ると実がなっていたり、精細な石碑を見つけたり。いろんなスケールを感じることができました。

たっぷり歩き回ってまた外に出ると、皇居ランの人とすれ違い、歩くスピードも皇居内と外では変わっていきます。

さて、次は2024年12月いっぱいで惜しまれつつも、移築のため一度閉鎖となってしまった学士会館へ。

圧倒的な存在感を持った素敵な外観と、ディテールまでこだわった建築は、優雅でありながらも、心地良い空間です。

開放的な皇居とは変わって、厳かな空間をじっくり噛み締めていきます。

再び外に出ると、野球ボールとでかい手の彫刻が!
東京大学発祥の地でもある学士会館は、学問だけでなく、日本野球の発祥の地でもあったのだそう。どんな会議をして「よし、ここにこの大きな像をつくろう!」と決まったんだろう?と想像しただけでニヤニヤします。

で、お次は神保町を通りすぎて、神田駅周辺までゆっくり歩きます。

神田駅周辺の高架下は飲屋街で昭和の香りがプンプン! 何か美味いものでも食べようとやってきたのが、羊肉の串焼きで有名な中華料理屋の「味坊」。

ナチュラルワインもたくさん揃っていることでも有名で、この組み合わせが最高なんです。

すっかり食べ過ぎて、また歩きます。

最後に目指すは、東京駅。神田エリアからでも案外歩ける距離で、景色がガラッと変わっていく様がおもしろいんですよ。

東京って、空が狭いと思っていたけど、東京駅周辺は、空が広く、道も広い。そして、ここがゴールとなりました。

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「神田駅周辺はお店の外まではみ出して飲んでる人がいて、ああいうのは気分として盛り上がりますね。歩きづらいんだけど、何があるのかワクワクする。
一方、東京駅の方はオフィス街だから言ってみればつまんない場所なんだけど、歩くにはすごく快適で写真もたくさん撮ったかな。結婚式帰りの集団とすれ違ったのもこの街らしくていい光景でしたよね」(白鳥さん)
いわゆる名所的なところを多く歩きましたが、白鳥さんはちょっとしたシーンも振り返ります。

知っているようで案外知らなかった東京の景色。心地いい場所。目的もなくただ歩き、お腹が空いたら美味しいご飯が食べられる。こういう時間はなかなかつくれなかったけど、すごくいい!
なので、もう一回違うルートで白鳥さんと歩いてみようと思います。

その前にもう一つ、この日皇居を散歩してから学士会館に行った後、一度神田ポートに立ち寄ってビルの屋上で休憩した時のことを思い出しました。
それまでぼくが先導するカタチで歩いていたんですが、しばらく経っても白鳥さんはカメラを構えようとせず、一度もシャッターを押さないで歩いているように思えて、ピンときてないのか?一度立て直す必要があるのかな?と心配になり、休憩を入れたんです。
そこでぼくが「白鳥さん、写真…いつ撮ります?なにかリクエストがあれば言ってください」と伺ったら、「撮ってますよ!」と言われて本当にびっくりしました。

続けて白鳥さんが「前に池田さんがいるから写っちゃうけど、まぁいいか!と思って。言おうか迷ったんだけど言わないで歩くことにしたんです」と言い、さらに衝撃の事実。全く気が付かなかったんですが、あとで出来上がった写真を見ると、確かにむちゃくちゃぼくが写っていました。
その時にはじめて、白鳥さんがどう撮るのか、そして何かに反応してではなく歩くことで写真を撮り始めていたことを知ったんです。驚きのあまり腰を抜かしていると、そばで白鳥さんは大笑いしていました。

そんな驚きもあって本当に盛りだくさんの一日だったわけですが、まだまだ歩きます。
では、また〜!

後編に続く

Text: Masanori Ikeda(YUKAI)
Photo: Yuka Ikenoya(YUKAI)
Edit: Akane Hayashi

#3「写真+リズム」|写真家・白鳥建二さんと、リズミカルな神田の街歩き。【前編】

カレーの街として名高い、神田。学生が本を片手に、スプーン1本で簡単に食べられるということから、カレーの需要が高まったという。読書のおともにカレー、新幹線旅行のおともに駅弁、ドライブのおともに音楽。おともがあると、楽しみもぐっと増す気がします。この企画では「〇〇のおともに」をテーマに、あるものとあるものをたし算することで広がる神田のたのしみ方を、その道のプロフェッショナルをお迎えして紹介します。

第三回のゲストは、美術鑑賞者・写真家の白鳥建二さん。全盲という立場から、独自の方法で美術鑑賞や写真活動を行っています。
静かにじっと作品を鑑賞するのではなく、作品を囲んで対話しながら鑑賞する時間を楽しんだり。立ち止まってカメラを構えて写真を撮るのではなく、歩きながら心が動いた瞬間を刻むようにシャッターを切ったり。
白鳥さんが編み出す方法には、感情の赴くままにものごとを楽しむヒントがあるように思えてきます。実際に一緒に街を歩いてまわってみると、あらたな街の感じ方がありました。

今回は、街歩きに同行したオープンカンダのクリエイティブディレクター・池田晶紀さんがレポートをお届けします。

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●写真家・白鳥建二さんと街を歩くまで

こんにちは、写真家の池田晶紀といいます。オープンカンダではクリエイティブディレクションを担当しております。いきなりですが、今回の「おともにどうぞ」は、全盲の美術鑑賞者であり写真家の白鳥建二さんをゲストに、ちょっとスペシャルな企画に挑戦してみたので、そのレポートと合わせていつもと違った見方で神田の街歩きをご紹介したいと考えました。

中央左が白鳥さん、中央右がぼく

ぼくが白鳥さんとはじめてお会いしたのは、2024年に企画したイベント「なんだかんだ5」にゲストとしてお声かけしたことがきっかけです。そのイベントでは、白鳥さんとともに美術鑑賞をするワークショップとドキュメンタリー映画の鑑賞会を行っていただきました(イベントレポートはこちら)。


その際に、美術鑑賞の方法や写真の撮り方についてたくさんお話を伺ったのですが、イベントの最中から「今度は一緒に歩いてみたい!」という思いが湧き上がってきました。そんなことを白鳥さんに相談してみると、あっという間に話が広がり神田ポートで展覧会までやってもらうことに。
それから約半年後、ついにその日がやってきたのです。

街歩きは、ぼくがおすすめする道を2日間にわたって合計約10時間も歩きました。右手には白杖を持ち、左手にコンパクトデジカメを腰のあたりでキープし、動きながらシャッターを押すというスタイルの白鳥さん。ノーファインダーでウエストレベルの視点で撮るといったストリートフォトタイプでした。

撮影当日、神田ポートビルを出発地点として撮影をはじめていきました。


初日のコースは、まず神田ポートビルから徒歩10分ほどの距離にある皇居へ向かい、
→広大な敷地で歩きやすい庭園広場へと向かい
→
戻ってきて学士会館へ立ち寄り
→神田駅方面へと歩いて
→中華料理屋の「味坊」で羊の串焼きをたらふく食べ、高級ナチュラルワインを流し込み
→軽くフラフラになりながらも、軽快な足取りで東京駅を目指しました。

二日目は、神保町駅からスタートし、
→古本街を抜けて淡路町にあるワテラスへ行き、クラフトビールで喉を潤して秋葉原方面へ
→電気街を抜けてアーツ千代田3331のあった元錬成中学高校のくすの木を眺めて上野方面へ
→湯島の飲み屋街を物色しつつも通過してアメ横に向かい
→やっぱり湯島に戻って「岩手屋」という居酒屋で乾杯
→またしても心地良い足取りで上野駅まで行って解散
といったコースとなりました。

●白鳥さんの写真を見て思い出したこと

そして、この時に撮影した写真をぼくがセレクトして展覧会を開催しました。展覧会タイトルは「リズム」。ぼくが白鳥さんと一緒に歩いて感じたことから、このタイトルを考えました。

展覧会では、この時のドキュメンタリー作品として、写真家の池ノ谷侑花が写真を撮り、映像ディレクターの菊池謙太郎がムービーを撮影し、編集したものも展示しました。

展覧会をつくるにあたって、キュレーション担当として記したステイトメントがこちらです。


先入観なしでこの写真たちをみて、どう思うか?を試してみたい。そもそも写真って、どう感じたらいいか?とか、食や絵や音楽と違って、わからない。という人が多い気がしています。これを仕方がない。で、済ませるわけにはいかないのが、写真家の気持ちとしてはあるんです。では写真とは?という定義の話になってしまうのですが、わたしの考える写真とは、「みんなのモノ」であり、それは「時間」のことを意味します。そこで、これらの写真を撮ってきた白鳥さんの写真をご覧ください。何が写っているでしょうか?街、人、道路、光、車などなど…。神田の街を約5時間くらい歩くことを2回行いました。この何が写っているのか?について、考えたりしてみる時間がまず、展覧会のテーマになってくるのかもしれません。また、白鳥さんは写真を腹で撮ります。ウエストレベルのノーファインダーで、歩きながら。決して立ち止まらないんです。ここにもヒントがありました。さらに、腕を掴んで一緒に歩くとどうでしょう?呼吸が伝わってくる「リズム」の中で、ただ歩いている。それだけのことなのに、物凄いことをしていることに、はじめて気がつきました。ふと、何か聞いたことがある音楽を思い出しました。フィッシュマンズの「WALKING IN THE RHYTHM」という曲です。もしお時間ございましたら、携帯でこの曲を探してみてください。そして、このスライドショー作品とセットで鑑賞してもらえると、なんか気分が伝わるように思えます。白鳥さんは凄いです!この体験は、「モノをみる」ということが、眼球ではなく、脳でみていることがよくわかりました。
キュレーション:写真家・池田晶紀



と、いった出来事から、白鳥さんの写真作品たちが生まれたわけでございます。
まずはそんな作品の一部をご覧ください!(ぜひ「WALKING IN THE RHYTHM」も一緒に聴いていただきながら)

すんごいでしょ!
どうやってシャッターを切っているんだろう?と気になっていたのですが、白鳥さんによると「ある一定のリズムでただ撮る」ということだけをしているそうです。自分が写真を撮るときは「ハッ!と感じて撮る」や「よくみて撮る」ことをするけれど、そうじゃない世界の見方はこうなるのか!と、だいぶ考えさせられる出来事となりました。

そしてもう一つ気づいたことがあって、白鳥さんの写真は、ずっと見ているとちょっと酔ってきてしまって(実際にも酔っ払ってはいたんですが…笑)、不穏なようにも見えるかもしれないけど、実は気分がいい時の時間が写っているんです。以前のイベントで写真の撮り方について伺った時に「気分が乗らないときは撮りません(笑)」とお話していたのですが、そのことを実際に見て知れたことが一番うれしいことでした。


特に何かを考えることもなく姿勢をピンと張りながら、電信柱や人にぶつからないように歩く。当日ぼくは白鳥さんの隣でそれだけのことしかしていなかったんですが、そんな時間がなんだか贅沢に感じて、なんてことない時間でも「白鳥さんが一緒にいる」ということがものすごく大事だったのかもしれない、と思えてきました。
つまり、誰かと一緒に街を歩き、気分いい時だけシャッターを切ることで、目には見えてなかったその人との時間が残る。このことがあまりにも素敵なので、みんなも真似してみるとおもしろいよ!と思いました。
見落としていたものが、実は大事なものだったことに気づくという楽しみがあるからね。

中編に続く

Text: Masanori Ikeda(YUKAI)
Photo: Yuka Ikenoya(YUKAI)
Edit: Akane Hayashi

神田いらっしゃい百景|think coffee

神田の街を歩くと次々に目に飛び込んでくるお店たち。色とりどりの看板や貼り紙は、街ゆくすべての人に向けて「いらっしゃい」と声をかけているようで、街の人の気風を感じることができるでしょう。

神田いらっしゃい百景は、街に溢れる「いらっしゃい」な風景をご紹介します。

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think coffee
〒101-0054 東京都千代田区神田錦町2丁目9-15 1F-2F
アクセス:
地下鉄竹橋駅より徒歩5分
JR・地下鉄神田駅より徒歩10分

フォトグラファー 池ノ谷侑花
オープンカンダ撮影スタッフ。
think coffeeさんの入り口の近くにはLUUPが設置されており
サイクリングがてらお店に寄れて便利です!

たくましさを与えてくれる、いい出会いの場を目指して。|こんなだった、なんだかんだ9 #3

「問題の解決が目的ではなく、まずは大丈夫だと思える場をみんなでつくる」
そう掲げているなんだかんだには、出演者みなさんの力が欠かせません。むしろ、なんだかんだが目指そうとしている場をすでに実践されているみなさんをもっと知ってもらいたい、という気持ちも込めて集まっていただいています。

改めて、「大丈夫だと思える場所をつくる」ということはどういうことでしょうか。
そうした場に日々向き合い、なんだかんだがお手本にもしているお二組にお話しを伺いました。

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次にご紹介するのは、「幻聴妄想かるた」を使った出張かるた大会を実施してくださった世田谷の福祉事業所「ハーモニー」。
幻聴妄想かるたとは、ハーモニーのメンバーが実際に体験したことを句と絵にしたかるたです。なんだかんだでは、お客さんたちがかるたを競いながら、一枚取るごとに句のエピソードをメンバー自らお話ししてくださいました。

「トゥルルルルと幻聴で電話 ケンタッキーに行くとおさまります」
「コンビニに入るとみんな友達だった」
「弟を犬にしてしまった」
など、読み上げられるたびに内容が気になって仕方がないかるたたち。ユニークな絵とメンバーから語られるエピソードを通して、知らなかった幻聴や妄想の世界に触れていきます。

当事者からなかなか語られる機会のない幻聴や妄想と、かるた大会というなんともくだけた場で出会わせてくれる幻聴妄想かるた。そんなすごいパワーを持ったかるたを手がけたハーモニーの施設長・新澤克憲さんに、アイデアのきっかけや場のつくり方などお話を伺いました。今回の聞き手も、なんだかんだのクリエイティブディレクター・池田さんです。

ハーモニーさんの事務所にて。
施設長の新澤克憲さん(中央)と、なんだかんだにも参加してくださったメンバーの益山さん(左)。

●幻聴妄想かるたがもたらすこと

池田 先日はなんだかんだに参加いただきありがとうございました。改めてハーモニーさんのことをもっと知ってもらいたいなと思って、新澤さんとお話ししたく世田谷の事務所にお邪魔しています。

新澤 久しぶりですね。よろしくお願いします。

池田 まずは、幻聴妄想かるたが誕生したきっかけから教えていただけますか?

新澤 はい。幻聴妄想かるたというのは、ここハーモニーで定期的に実施しているメンバーミーティングから生まれたものです。ミーティングではメンバーの困り事や悩みをそれぞれ話して、みんなでアドバイスし合うということをしているんですが、ある時それを絵に表現してみようと思いついて。

池田 その発想が素晴らしいです。

新澤 それで実際にやってみると、すごくおもしろかったんです。そもそも幻聴って、聞こえはするけど本人にも見えてないことじゃないですか。でも、他の人たちが話を聞いて絵にすることで、途端に幻聴の主が視覚化される。そうすると、本人が一人で抱えてたものをみんなでシェアできるようになるんです。
「幻聴妄想かるた」のことを精神障害の具体的な症状をわかってもらうためのものと取り上げられることもありますが、実はそうではなくて、ここに集まった人たちが一人のことを心配してみんなで絵を描いたという記録なんです。

写真提供:ハーモニー

池田 本当に画期的だと思います。一人で抱えていたものをみんなでシェアできるようになったことで、メンバーの中で変化はありましたか? 

新澤 それまでは幻聴の悩みというのは他の人には言えないことで、スタッフと一対一で話して個別で対応していました。でも、「みんなに自分の話をする」ということが案外おもしろいことだとわかったみたいです。

池田 素晴らしい、大発見ですね。

新澤 自分の話を誰かに聞いてもらえて、「俺もそういうことあったよ」と言われるとわかってもらえた気がするじゃないですか。スタッフとの一対一の関係ではなくて、その場にいる人たちと横の関係ができたということが大きかったと思います。彼らの間で関係性ができることで、お互いが怖くなくなったんです。

●敬意をもって世界を開いていく

池田 やっぱりそれは、新澤さんがみんなに尊敬の目を向けて話を聞いているということが、お手本のように影響しているんじゃないかなと思うんです。
以前ミーティングに参加させてもらいましたが、みなさんが話している間にもかなりの沈黙があるんですよね。でも、それを急かしたり沈黙を埋めるように誰かが話し始めることもなく、その人が自分と向き合う時間としてちゃんと受け止めているんだなと思って。そこにすごく感動したんですよ。その人がそのままで居られることって大事だなと。

新澤 単純にメンバーのみなさんがいい人たちばかりというのもありますけどね(笑)

池田 これって障害の有無は関係ないことですよね。学校にしても会社にしても、どこでも揉め事が起きてるわけで、それは「敬意を持って接する」ということができないからだと思うんです。
ただ、大事なことだとわかってはいても、どんな相手でも尊敬することと、そうした姿勢を教えることって本当に難しいと思います。

新澤 そうですね。例えばたまに事務所にセールスの人が来ることがありますが、そういう外部から来たものに対して丁寧に応答するというのは大事だと思っていて。人をあしらう姿を彼らに見せたくない、という気持ちはありますね。

池田 すごい、なかなか全部そういうわけにはいかないですよ。

新澤 外部から来たものに丁寧に答えるというのは、この場所を閉じた場所にしてはいけないと思っているところもありますね。
やっぱり僕らの人生は偶然で回っていて、たまたま知り合いになったから何かが起きると思うんです。入学式で隣に座ったから友達になったりみたいな。本来そうやって人生は回っていくはずなのに、彼らを取り巻く人間関係はほぼ必然で回っていくしかないんです。例えば、施設に行っても周りには医療関係者とか福祉支援の人とか、彼らに「良いこと」をする人たちだけが集まってくる。
そうした限られた関係の中に閉じ込められて、偶然性を奪われることが嫌なんです。だからハーモニーではいろんな人を受け入れて、突然何かやっても平気なようにしてます。

●やっと行き着いた場で学び直す

池田 いや〜本当に素晴らしいです。場のつくり方っていろんな人が考えていることだと思うんですが、ハーモニーさんから学ぶことってすごくあると思うんです。

新澤 先程池田さんが「その人がそのままで居られることって大事」と言ってくれましたが、今それが脅かされていると思うんです。一般社会からこぼれ落ちてしまった人に対して、「治す」「改善する」ことをしないと社会で生きていけないという構造に危機を感じます。

池田 ハーモニーには、治すということではなく「学び直す」みたいなことがあると思うんです。

新澤 学び直す、そうですね。特に統合失調症の人は20代前後で発症することが多く、そこから長い期間の入院によって社会から遠ざけられ、40代になって帰ってくる、といったことがよくあります。
ただ、そこから何か始めようとしても感覚は10代のままなんですよね。なので、まずは友人とのトラブルをどう解決するかとか、10代みたいな悩みから一つひとつ向き合う必要がある。そういう意味でも、学び直すというのはその通りだと思います。
ただ学び直すにあたっては、彼らが10代だった高度経済成長期の価値観に戻るんじゃなくて、詩を書いたりギター弾いたり、病気とのつき合いのなかで、やりたかったけれどできなかった好きなことからはじめていけばいい。それで本を売ったりライブをしたり、それぞれができることから丁寧に進んでいけるといいんじゃないかと思っています。

池田 幻聴妄想かるたのアイデアも、メンバーの物語やつくったものを商品にすることで、他の福祉施設で行うような作業が難しい人に工賃を支払えるようにする仕組みになっていますもんね。

新澤 そうなんです。一般社会とされる環境においては、決まった時間で正確に多くの仕事をした人が評価される、という価値観がありますよね。でも、そこからこぼれてしまった人が集まる福祉施設で、同じ価値観を掲げても彼らが自信をもって日々過ごしていくことにはつながらないんです。なので、ハーモニーではその価値観を捨てようと思いました。
もちろん社会での自立に向けた支援施設はとても重要なので、ハーモニーが正しいということではなく、そうした施設をいくつか巡ったけどうまく馴染めなかった人が、最終的に辿り着けるような場にできるといいなと思っています。

池田 ハーモニーさん自分たちのことを「片隅」といった言い方をされていたことが印象に残っていて。やっと行き着いた場所だからこその心地よさがある気がしますね。

●話せることを話すだけで大丈夫

池田 なんだかんだでは、お客さんたちとかるた大会をしながら、読まれたかるたのエピソードをメンバーの方に話していただきました。
これがとっても貴重な機会だったんですが、ハーモニーで普段やられているように、お客さんたちも一緒にメンバーの話を聞いて絵を描くということもできそうですか?

新澤 幻聴妄想かるたは、メンバーのハーモニーという場に対する信頼から生まれたものなので、自分の物語を知らない人に委ねて絵を描かれることに抵抗がある人もいると思うんです。ただ、場によっていろいろなやり方の可能性はありそうですね。知らない者同士だから語れることもあるかもしれませんし。

池田 場によって引き出されるものって違いますもんね。

新澤 「なんだかんだ」の場合は、オープンさ加減が並大抵のものじゃないですか(笑)
いろんな人がいていろんなことが起きているので、じっくり話を聞くことはやりにくい環境だと思うけど、その開放感がおもしろくなりそうな場ですよね。幻聴や妄想といったことに絞らずに、それぞれが話せることをシェアして、みんなで絵を描いて、それで遊んでみるだけでもいい体験になる気がします。

池田 多くの人があまり自分と向き合う時間を持てていないと思うので、すごくいい時間になると思います。「話せることを話す」ってとても大事ですよね。それがわかるだけで大丈夫でいられる気がします。

新澤 そうなんです、人それぞれが自他境界を持って、ここまでは明け渡して大丈夫ということを話せばよくて、必ずしも本当のことを言わなくたっていいんです。言ってしまえば、幻聴や妄想も本当かどうか第三者にはわからないわけですし。そういった許容範囲のあり方含めて、どう場をつくるか次第かなと思いますね。

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巡り堂とハーモニーのお二方のお話を通して、「大丈夫だと思える場所をつくる」ことのヒントをたくさんいただきました。
それぞれに共通していたのは、「その人がそのままで居られる」という状態を大事にしていることです。多くの人が意識的にも無意識的にも社会に順応して生きている中で、「そのままで居ること」を肯定し、それを可能にするような場をつくる。それはもちろん簡単なことではありませんが、「画材循環プロジェクト」や「幻聴妄想かるた」といった鮮やかなアイデアで取り組んでいることがなにより希望を与えてくれました。

さまざまな人が暮らしをともにする街において「その人がそのままで居られる」ことを目指すのは、より良い街をつくる上で向き合うべき命題と言っても過言ではありません。
神田の街にもこうしたアイデアが芽吹いていけるよう、なんだかんだを通して考えていきたいと思います。

Text/Edit: Akane Hayashi
Photo: Yuka Ikenoya(YUKAI), Mariko Hamano,
Joki Hirooka

たくましさを与えてくれる、いい出会いの場を目指して。|こんなだった、なんだかんだ9 #2

「問題の解決が目的ではなく、まずは大丈夫だと思える場をみんなでつくる」
そう掲げているなんだかんだには、出演者みなさんの力が欠かせません。むしろ、なんだかんだが目指そうとしている場をすでに実践されているみなさんをもっと知ってもらいたい、という気持ちも込めて集まっていただいています。

改めて、「大丈夫だと思える場所をつくる」ということはどういうことでしょうか。
そうした場に日々向き合い、なんだかんだがお手本にもしているお二組にお話しを伺いました。

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最初にご紹介するのは、京都・亀岡市を拠点に展開する画材循環プロジェクト「巡り堂」。
家の押し入れや会社の倉庫で眠っている鉛筆やクレヨン、絵の具など、いずれ廃棄されてしまう画材を次の人の元へと繋いで、巡らせていくプロジェクトです。なんだかんだでは、回収した画材のクリーニング作業の体験や画材を使って自由に創作を楽しめる場を展開してくださいました。
色とりどりの画材が大量に並び、見ているだけでわくわくする巡り堂のエリアはいつも大盛況。なんだかんだに楽しい彩りを添えてくれています。

そんな巡り堂を立ち上げたのは、みずのき美術館キュレーターの奥山理子さん。発足のきっかけからさまざまな展開、現在の悩みなどをお話しいただきました。聞き手はなんだかんだのクリエイティブディレクター・池田さんです。

巡り堂のスタッフみなさん。真ん中にいらっしゃるのが奥山理子さん

●巡り堂のはじまり

池田 いつも京都・亀岡から神田まで来ていただいていますが、今日はぼくらが巡り堂の拠点・みずのき美術館にお邪魔しています。壁に展示されているのは美術館の収蔵作品ですね。

奥山 遠いところありがとうございます。
作品はそうですね。みずのき美術館は、障害者支援施設「みずのき」で実施していた絵画教室が発端にあって、そこから生まれた作品の所蔵と展示をおこなっているんです。

池田 神田ポートでも作品の展示をやらせてもらっているんですが、素晴らしい作品がものすごい量あって選ぶのが本当に大変。

奥山 作品の数は約2万点ありますからね(笑) みずのきの絵画教室が始まった1964年当初からのものを収蔵しているのでそれはもう膨大です。

池田 絵画教室はどういった経緯ではじまったんですか?

奥山 当時の入所者を対象にした余暇活動として始まり、そこから才能を見出され、選抜された人向けに専門的な活動へと展開していったんです。アール・ブリュットの草分け的な存在として展開を広げていきましたが、指導をしていた先生が亡くなられたことを機に活動は途絶え、作品だけが残る状態がしばらく続いていたんです。
そこから10年ほど経った頃、もう一度作品やみずのきの歴史をしっかりアーカイブしていくとともに、これからに向けて作品を外に開いていく場所をつくろうと、ここ『みずのき美術館』を2012年に立ち上げました。

障害者支援施設「みずのき」のアトリエ

池田 一度は活動が途絶えながらも、これだけの作品がしっかり残っているのはすごいことです。

奥山 ただ、作品を展示するだけではみずのき美術館とさまざまな人が交流することには十分に繋がらないと思っていて。なので、開館当初からアートプロジェクトやワークショップを企画してきました。それでもアートが好きな人は集まってくれるものの、そこからもう一歩広げることがなかなかできないジレンマがあったんです。作品をつくる人とそうでない人を分けてしまっているような感覚というか…。

池田 アートによって外に開いていけるかもしれないけど、“アート”というカテゴリーに閉じてしまうこともありますからね。

奥山 そうなんです。それに加えて地域で暮らす軽度の障害者やひきこもり当事者の就労の課題にも関心がありました。というのも、自立に向けて思い切って就労研修を受けたものの、途中で心が折れてしまった人の話をよく聞いていて。そもそも社会資源がとても少ないので、そんな人たちも受け入れられる場がほしいなと思っていたんです。挑戦してみてしんどくなったら戻れる場所というか。

池田 そこから思い付いたのが「巡り堂」なんですよね。はじめて話を聞いた時、よくこんな素晴らしいアイデアが思いつくなあと、すごく感動したんです。

奥山 本当に偶然の出来事でした。前々からテレビなどで家財回収や遺品整理が紹介されているのを見るたびに、これはいつか絶対に仕事になりそうだと思っていたんです。「誰かの家を片付けに行く」ということは必ず需要がありますし、心の不調を抱えていたり日々の生活に苦労している人たちも仕事として関われる余地があるんじゃないかと感じて。
そんなことを漠然と考えていたところに、家財回収の業者さんが訪ねてきてくれたんです。よかったら画材をもらえませんか?と。

池田 へ〜! そんなことあるの、すごい。

奥山 最初は廃棄される家財や日用品を使ってアップサイクルしてもらえないかという相談でしたが、そこに含まれていた画材を実際に見せてもらうとそのまま使えそうな状態のものが多くて。これをもう一度使えるようにきれいにすることがひとつの仕事になるんじゃないかと思い付いたら、ずっと考えていたことが全部一気に繋がったんです。

池田 ものすごい出会いだな〜。

奥山 そこからすぐに画材を送ってもらい、まずはスタッフで数ヶ月ひたすら拭く作業をしていきましたが、「先が見えない…」「しんどいです」という想像と真逆の感想だったんです。クリエイティブな作業のはずなのになんでだろう…と思いながら、拭きやすいものからやってみたり、日の当たるところで作業するようにしたり少しずつやり方を変えて、うまく回るようになっていきました。

池田 シンプルな作業だからこそ、やり方や環境で大きく変わりますからね。今日巡り堂の作業場も見せていただいて、収納がすごくきれいでいいなと思っていたんですが、そういう些細なこともうまく場をつくっているなと思います。

奥山 しばらく無料でもらった紙箱を使っていたんですが、使いやすさに慣れるとだんだん所帯じみた作業になっていく気がしていて。やっぱりここは美術館なので、外から見ても気持ちいい見栄えのものにしたいと思ったんです。かなりの時間かけて探してやっと見つけた収納方法なのでそう言ってもらえて嬉しいです(笑)

池田 巡り堂は運がいいというか、なんか神様が宿ってる感じがしますね。

奥山 そういえば、巡り堂をお披露目する日も二重に虹がきれいにかかっていたんですよ。家財回収業者さんが突然訪ねてきてくださったのもそうですし、そういうミラクルが多いかもしれません。

●最初の一歩となるような場として

池田 お話を聞いていて、改めてすごく考えてこの場がつくられているんだなと思います。活動を始めて3年が経ち、メンバーの入れ替わりもあるようですが、最近の悩みはありますか?

奥山 そうですね…。巡り堂はイベントなど展開できる可能性がたくさんあって、スタッフの中ではさまざまなアイデアが膨らんでいます。ただ、普段画材の仕分けや清掃作業をしてくれているメンバーからは、淡々と静かに画材を拭いていたいという声もあるんです。

池田 ここは居心地がいいですもんね。

奥山 私たちとしてはいろんな可能性を広げたいけど、「このままでいたい」という声もちゃんとサポートしたいんですよね。拭く作業が丁寧だったとか、少し会話が増えたとか、はじめて自分一人で行き帰りできたとか、ささやかな変化に喜び合うことも素敵なことですし。そういうメンバーを見守りながら少しずつ外に出ていく機会を考えています。

池田 「見守ること」ってとても必要だなと最近思うんです。人が社会に出ていくための支援をする中で、実は「誰かが見守っている」ということがまずは大事で、誰かと交流することはもっと後に考えてもいいぐらい。

奥山 本当にそう! そうなんですよ。

池田 巡り堂さんは見守りつつも、なんだかんだのときにははるばる神田まで来てくれましたよね。

奥山 メンバー7人連れて行きましたね。はじめて新幹線に乗る子もいましたがとても喜んでいました。お土産買ったりしっかり東京を満喫して。自分がきれいにしたものを直接渡せて嬉しいとも言ってくれましたね。

池田 本当にすごいことですよね。家の外に出るのも大変だったのに、新幹線に乗って東京まできてくれるなんて。変化って、大きくなればなるほど怖いものじゃないですか。

奥山 そうなんですよね。ただ一方で、なんだかんだに参加したメンバーの中には、その後で環境が変わってまた家から出にくくなって巡り堂にすら来れなくなってしまった子もいるんです。巡り堂にだけでもおいでよと家庭訪問した方がいいかもしれないけど、あくまで美術館という立場なのでそこまですることは踏み込み過ぎているとも思っていて。
でも、私たちスタッフとしては外に出ることを諦めたくはないんです。見守りながらも、また一歩外に出れた時に安心して通える場所としてありたいですね。

池田 とにかく活動を続けるということが大事ですよね。すべてに全力を注いでもどこかで体を壊してしまうし、無理のない範囲でやっていくしかないと思うな。

●拭くことの大きな意味

奥山 悩みは尽きませんが、こうやって関心を向けていただける方がいることって嬉しいんです。とても励みになるので。

池田 なんだかんだに参加してもらってるのも、結局は巡り堂のことをたくさんの人に知ってもらいたいからなんです。アイデアが素晴らしくて、活動について知ることで、いろんなことを学び、考えることができますよね。
巡り堂にとって外に出ていくことも重要だけど、こちらが巡り堂と出会うこともとても大事なことなんです。

奥山 嬉しいです。そうですね、お互いにとっていい機会になることが大切ですね。

池田 やっぱり社会全体ですごく孤立が進んでる気がしていて、もっといろんな形で見守る仕組みができないかなと考えてるんです。それで巡り堂の話を聞いて思ったのは、 画材をきれいにする行為って案外快感があるんじゃないかと。写経もそうだけど、集中する時間っていうのは結構気持ちがいいと思うんですよ。ある一定のリズムで何かをするという行為は、もうそれだけで十分ケアになるというか。

奥山 確かに、人それぞれのやり方や工夫もできますしね。巡り堂でも特にノルマはなく、メンバーが得意な作業をやってもらうようにしています。

池田 そういう作業が、成果として巡り堂に貢献できているということもとても重要だと思うんです。自分の手元でやっていたことが、社会につながっていく感覚を得るというか。このままでいいんだと思えることって大事なので。
なんだかんだに参加することも一見大きなチャレンジかもしれないけど、環境は違っても普段やり慣れている作業をしていると、意外と大丈夫なんだと気付ける機会になるのかなと思いました。

奥山 たまにぐっと背中を押してみると、思いがけずジャンプできたりしますしね。

池田 本当に毎回ジャンプしてくれてありがとうございます。まだまだ巡り堂さんのことを知ってもらいたいので、引き続きよろしくお願いしますね。

〜〜〜〜〜〜〜

#3に続く

Text/Edit: Akane Hayashi
Photo: Masanori Ikeda(YUKAI), Yuka Ikenoya(YUKAI)

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