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神田ポートビルに足を踏み入れると、さまざまなアートピースが設置されていることに気がつきます。空間を絶妙な存在感で彩り、それぞれ独立した作品でありながら、互いに心地よく調和しているのが印象的です。
中でも、地下一階のサウナラボ神田の休憩スペースでふと目に留まるのは、柱に設置された2つの不思議な形の作品。丸みがあってあたたかな印象を受けますが、周囲にはそこはかとなく緊張感も漂っています。
手がけたのは、アーティストの小木曽瑞枝さん。自然や日常の風景から作品を生み出してきた小木曽さんですが、こちらの作品はどのように生まれたのでしょうか。写真家であり、神田ポートビルのクリエイティブディレクターを務める池田さん、サウナラボのスタッフである岡さん、ジュンコさんとともにお話を伺いました。
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小木曽瑞枝(おぎそ・みずえ)
東京都生まれ。96年東京芸術大学大学院修了。平成19年度ポーラ美術振興財団在外研修員としてスウェーデンに滞在。風景の観察を通じ、未知と既知の狭間にある世界観を平面や立体、インスタレーション作品として発表。パブリックアート・コミッションワーク多数。https://mizueogiso.com/
●「ここ」を規定するために、小さなランドマークを置いてみる
――小木曽さんには神田ポートビルの屋上と、地下のサウナラボに向かう階段の部分にも平面の作品を制作いただいていますが、この「タテヤマ」と「ヨコヤマ」の2点は立体作品です。いろいろな形が組み合わさった、とても不思議な形をしていますよね。
小木曽:これは山の形がテーマになっています。一昨年まで新潟県長岡市に6年暮らしていたんですが、長岡の景色の中には豊かな山があるんです。あるとき、自分が見ている山の裏側にも山があることをふと思い出して。当然ではあるけれど、見えていない側が、見えている側の裏にあるんだなと。そこから、表と裏がある、こちら側とあちら側でイメージの異なる作品をつくってきました。
神田ポートビルで作品をつくるとなって、ここの屋上から神田の街並みを見たとき「やっぱり山はないな」とは思ったんですけど(笑)。でも、神田ポートビルって「此処に居て果てを想う」場所だなというイメージがあって。
――「此処に居て果てを想う」……!
小木曽:サウナーの皆さんならわかっていただけると思うんですけど、いきなりそんな抽象的なこと言っても難しいですよね。そのイメージを皆さんにも共有しようと思って、今日は吉田篤弘さんの『つむじ風食堂の夜』という本を持ってきました。みなさんに朗読していただこうかなと。
同席したメンバーはそれぞれ本を手にとって、順番に朗読をすることに。作中では、登場する物書きの先生である「私」と、「果物屋の彼」との印象的な会話が繰り広げられています。
「つまりですね、果てを考えるということは、すなわち、ここを規定することになるんです。ここがどこまで続いているのかを示すことが出来れば、その先が果てですから」
「じゃあ、規定すればいいわけだね」
「いや、だから先生、さっき訊いたじゃないですか。ここってどこのことですか?って」
「ああ、そうか」
「でも、先生も僕も答えられませんでした」
「どうしてなんだっけ?」
「たぶん、こんなふうに考えれば考えるほど、ここがどこまでも拡大されてしまうからなんです。宇宙というのは、人が考えるぶんだけ拡がってゆくもので、それが怖いところなんです。だから仕方なく『果てはない』という結論を出してごまかすんですが、そうなると今度はここが消滅してしまいます。果てがないとなると、ここだってないわけですから」
吉田篤弘(2005)『つむじ風食堂の夜』(ちくま文庫、pp.166-167)
小木曽:いま自分が存在している「ここ」という場所を規定しないと果てがなくなるという捉え方が、さっきお伝えしたことをとても説明しやすくって。
岡:分かるかもしれません。サウナに入ると、自分がここにいるのを実感するというか……。
池田:絵を描く人って、見えないものを想像しているわけじゃないですか。それって、サウナに入って自分の内側を想像する、感じることにもつながっているのかもしれないですね。
小木曽:確かにそうかもしれません。でも、自分が「いまここにいるんだ」と実感することって、滅多にないですよね。ここにいるけど、頭は全然違うことを考えちゃうというか。だから、「ここ」を規定するためのランドマークを置きたいなと思ったんです。ランドマークといっても、東京タワーのように大きく目立つものではなく、小さな目印のようなもの。
小木曽: 作品は5つの石、エレメントから構成されています。原初的な要素を組み合わせてできた小さな山を、「事のはじまり」の山として、地下に埋めてみるのはどうだろうと。
――この丸みにも、意味があるんでしょうか。
小木曽:水によって薄く削られた浜辺の石とか、枯れてヨレヨレになった葉っぱとか、有機的な形に興味があるので、自然と丸みがある形になっているかもしれません。
ジュンコ:作品を初めて見たとき、頭の中で勝手に意味付けしちゃってました。温浴施設なので、男性・女性を意味しているのかな?とか(笑)。
小木曽:面白い!そうやって想像してもらっているのはすごく嬉しいです。
――側面の色は、どのように決められたのでしょうか。
小木曽:色は温度をもったものだと思っています。とても暖かく、とても冷たく、とても暗く、とても明るい色をつくりたくて。試行錯誤しながら最終的にこの色になりました。
小木曽:作品は、表面と裏面が両方見えるように、壁に突き出す形で設置することにしたので、側面に色を集中させています。板面のところは色は塗らずに、側面の間だけで見せる作品にしようと思って。
●取るに足らない、ひそやかな存在に惹かれて
小木曽:長岡にいた時よく行っていた温泉に、キジの剥製があるんです。あと、オルゴール調のJ-POPがBGMとして流れてる(笑)。それが自然、且つ主張する感じに目と耳に飛び込んでくる、その小さな断片がとても良いんですよね。取るに足らないものだけど、ないと味気ないものになってしまう。それがあるからちょうどいい、みたいな……。
――なんだかわかる気がします。動物の置物とかお花とか、普段そこまで意識しないけれど、ないと違和感があるようなもの。
小木曽:この作品もキジの剥製的ではあるんですけど、それで大丈夫だなと思って。自分が惹かれているのはこういうものなんだ、と。
池田:この影がいいですよね。今おっしゃっていたことも、影の存在が際立たせているように思います。
小木曽:影がないと、実態として形をなしていないことになりますから。すごくリアリティが出ましたよね。
池田:でも、「キジの剥製」って、わかりやすいですね。ほとんどの人は見逃しているかもしれないけど、気がついたらいるよねってもの。
小木曽:そうそう。何を置くかって、場や土地の特徴が色々と出るから面白いですよね。キジの剥製だって、もともとはその場所に生息しているキジだったり。今度温泉にいったら、ぜひ調度品とBGMを気にしてみてください(笑)。
Text: Mizuki Matsuzawa
Photo: Masanori Ikeda(YUKAI)