クリエイティブ編/名前とロゴから見る、神田ポートビルってこんな場所

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2021年春、神田錦町にサウナを備えたかつてない複合施設「神田ポートビル」がオープンします。
不思議なきっかけとオルタナティブな面々によってできるこの場所は、一見した限りでは捉えどころのないようにも思えますが、ネーミングとロゴがその目指す先を射してくれています。
この連載では、ちょっとのれんをくぐってはおしゃべりしていくように、神田ポートビルにかかわるさまざまな人が、入れ替わり立ち代わりで登場。神田ポートビルがどんな場所になっていくのか、お話ししてもらいます。

第3回は、「神田ポートビル」の名付け親であるほぼ日の糸井重里さん、ロゴとサインをデザインしたアートディレクターの菊地敦己さん、そしてゆかいの池田晶紀さんと、このプロジェクトをはじめからずっと撮影してきたゆかいの池ノ谷侑花さんの4名です。このユニークな成り立ちのビルの魅力を、クリエイティブな視点から伺います。

ほぼ日 代表取締役社長
糸井重里(いとい・しげさと)

群馬県生まれ。コピーライター。広告コピー以外にも、作詞、文筆、ゲーム製作などの創作活動を行う。1998年にwebサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」(http://www.1101.com/)を開設。対談などの読み物や、手帳を筆頭にした商品の企画販売、イベントなど独自のコンテンツを届ける。2020年11月には本社を神田錦町に移転。今回は、「神田ポートビル」のネーミングを担当するほか、2〜3階に、2021年にリニューアル開校する「ほぼ日の學校」の教室スタジオをオープンする。
https://school.1101.com/

菊地敦己事務所 代表
菊地敦己(きくち・あつき)

東京都生まれ。アートディレクター、グラフィックデザイナー。武蔵野美術大学彫刻学科中退。在学中よりデザインの仕事をはじめ、2000年ブルーマーク設立、’11年より個人事務所。青森県立美術館や立川『PLAY!』などの施設や、ミナ ペルホネンなどファッションブランドのデザイン計画・アートディレクションを多く手掛ける。『旬がまるごと』(2007-12)や『装苑』(2013)、『日経回廊』(2015-16)などのエディトリアルデザインも担当、2020年には亀倉雄策賞を受賞するなどほか受賞多数。3331 GALLERYとスパイラルで行われた池田晶紀さんの個展では、キュレーションを担当した。今回はロゴとサインをデザインする。
http://atsukikikuchi.com/

ゆかい 代表
池田晶紀(いけだ・まさのり)

神奈川県生まれ。写真家・クリエイティブディレクター。写真とデザインの会社「ゆかい」を主宰。アーティストの活動と並行し、一般社団法人フィンランドサウナクラブ会員として、サウナの普及活動に心血を注ぐ。今回はクリエイティブディレクションを担当。また、ビルの1階に「あかるい写真館」を開館するほかオルタナティブスペースも運営する。通称「池ちゃん」。
https://yukaistudio.com/

ゆかい
池ノ谷侑花(いけのや・ゆか)

神奈川県生まれ。写真家。2012年、ゆかいに入社。雑誌、web、広告の写真の他、図工の教科書のドキュメントや、お笑い芸人のブロマイドの仕事がとても好評。ゆかいの仕事は、ワークショップやコミッションワークなど多岐に渡る為、写真撮影だけでなくプロジェクト企画の運営全てに関わっている。
みんなからは「池子」と呼ばれている。

●ほぼ日さん、神田へいらっしゃ〜い

――ほぼ日さんは今回、「ほぼ日の學校」の教室スタジオ開設とともに本社も神田に移転されました。どういう経緯があったのでしょうか?

糸井重里さん(以下、糸井さん) しばらく前から移転のことは考えていて、どこに引っ越そうかなと、いろんなまちをそういう目で眺めていたんですね。候補としては千駄ヶ谷や西荻窪などほかにあったんですが、どうもしっくりこない。

池田晶紀さん(以下、池田さん) 神田には、よくラーメンを食べに来てたんですよね?

糸井さん そうそう。もともとは大昔、『MOTHER』というゲームをつくっていた頃、須田町の向こうにあった任天堂の事務所に通ってたんです。最近はラーメンを食べにフラッと一人で来ていました。
あるときすごい土砂降りの日に、そのままびしょ濡れで帰るのが嫌だったので、駅に向かう途中にあった喫茶店に寄ったんですよね。

池田さん いまね、目の前に雨の日の景色が見えてますね。

糸井さん 店に入って、そこにポンっと座って。仕事をするわけじゃないけど、iPhoneとか持ってるわけだから、それでちょこちょことメールを見たりしてたんです。コーヒーを飲んでいるひとがいれば、本を読んでいるひともいて。そのときに流れていた空気がね、なんというか他所にはなかった。すごくよかったんですよ。

――どうよかったんでしょう?

糸井さん みんながいい感じに急かされないで、ただそこにいるんです。神田にはたくさん喫茶店があるけれど、どこの店に入っても、同じように落ち着いていられた。あの焦らなさみたいなものの正体は何なんだろう? と気になって、理由をしょっちゅう考えていたんです。わかったのは、お客さんが居慣れた人ばかりだっていうのと、店側に家賃がないことが多いんだな、と。

――なるほど。

糸井さん いまって、店は長居する客との戦いをやっているじゃないですか。チェーン店はとくにそう。あれは土地を借りて人も雇っているから、投下した資本を回収しないといけない都合ですよね。でも、神田のひとたちは自分の持ち家で商売をやっていることが多いから、かりかりしなくていい。昔はけっこうそういうまちが多かったけど、いまはみんな収益性の高い店に取って代わられて、貴重になってしまいました。
そういう神田の雰囲気を感じているうちに、うまく回すやり方があれば、いまの世の中でもそんなにあくせくしなくてもやっていけるんじゃないか、みんなこうなればいいのに、と思うようになって。

――はい。

糸井さん それにそういうことって、ほぼ日がやっていることや仕事の考え方と、わりに合うなと頭に留めていたんですよ。あ、まだ話長いからね(笑)。
それでしばらく神田がいいんだよ〜って言ってたんです。そしたらまたある日、池ちゃんに「神田錦町に、うまいご飯があるんですよって」っていつもの調子で連れて行かれたんです。

池田さん ほんとうまいんすよーって(笑)。

糸井さん そのときのメンバーっていうのが、じつは神田ポートビルかかわるひとたちだったんです。だまってご飯だけ食べていればよかったのに、ぼくはそこからまんまとそっちの話が気になりだして、「あれどうなってるの?」と聞いたりするようになっちゃって。

糸井さんと池田さんはサウナトースターで共に気仙沼に行ったことも。(2016年9月29日撮影)

――まんまと。

池田さん そのときは、サウナとゆかいが入ることは決まってたんですが、まだ2〜3階にどういうひとに来てもらおうかを悩んでいたんですよね。でも、まさかほぼ日さんが入ってくれるなんてことは考えもついてなかった。本当です。

糸井さん 池ちゃんから神田のことをいろいろ聞いているうちに、ぼくもまち自体にどんどん興味をもつようになりました。

池田さん それで糸井さんと一緒に、神田ポートビルになる前の、精興社さんの建物を見に行ったんです。そうしたらビルを見上げた糸井さんが、小声で「ここに(ほぼ日の)學校が来たらいいかもな〜」とポロッと言って。

――言質、取ったり……!

池田さん それを聞き逃さなかった、というわけではないんですが(笑)、そこからは、もしそれが本当になったら奇跡みたいだなと妄想していました。

糸井さん そうやって移転のことについていろいろ考えていたら、ひとつずつの要素が神田に集まっていったんですよね。フルーツやナッツがいろいろ入ってるパウンドケーキってあるじゃない? 神田錦町にほぼ日の學校をつくることを考えていると、頭の中が、もうそんな感じで。

――わくわくと夢が広がって。

糸井さん そう。でも、ぼくらが当初考えていたほぼ日の學校のプランは、いまほど大規模ではなかったんです。だから神田ポートビルに入るには、うちとしても無理をしなきゃいけなかった。だけど、「學校をやるなら、それくらいのリスクとれよ!」と、言ってるもう一人の自分がこのへんにいるわけよ(笑)。

――葛藤があったんですね。

糸井さん サウナラボの米田さんも、相当先行的に投資をなさっていると思います。そうやってみんながリスクをとってこのプロジェクトに参加するわけだから、もっと先々を見据えましょうよ、って。神田錦町全体の土地を値上がりさせるくらい思い切った展望をもたないとつまんないよねって話をして、最終的にほぼ日の學校の場所を神田につくる決断をしました。

(池田さん、深くうなずく)

ほぼ日さんチームも加わり、神田明神へ一同お参り(2020年1月9日撮影)

糸井さん ほぼ日のみんなも、神田でやってみたい気持ちがむんむんしてました。そうすると學校と本社が離れているより、近くにあったほうが使い道が圧倒的に増えるから、じゃあ次は本社の移転先だ! と探しはじめたら、なんと1軒目でビルが見つかったんです(笑)。

――もう、来い来いと言わんばかりです。

糸井さん ぼくの周辺のお調子者たちは、早くも「俺も神田へ行こうかな」と、言いはじめています。なぜみんながこんなにこのまちに惹かれるのかっていうと、ひとつには老舗の紙専門商社・竹尾さんがあったり、本のまちであるということが大きいと思います。ものを書く人やデザインする人だとかは、自然に興味をもつ場所なんですよね。

――たしかに。たしかに。

糸井さん ほぼ日はもともと青山にありましたが、いま考えると青山になければいけない理由はないんです。逆に、神田には何のためにここに場所を構えるか、という理由がものすごくあったんです。

菊地敦己(以下、菊地さん) えーっと、うちは青山のデザイン事務所で……。言うべきか迷ったんですけど(笑)。

●最初は「ジャングルビル」だった

――今回は、糸井さんがビルのネーミング、菊地さんがロゴとサインのデザインを担当されました。どのようなことを考えてつくられたんでしょうか?

菊地さん 当初は「ジャングルビル」という名前で進んでいたんですよね。

池田さん 安田不動産さんがリサーチして考えられた、「アカデミックジャングル」(くわしくは#1へ)というキーワードから、糸井さんが付けてくださったネーミングです。

糸井さん そうそう、第一段階ね。コンセプトについては、長年のリサーチでかなりしっかり地固めされていました。なので「アカデミックジャングル」というのを伺ったときには、もう全面的に賛成でしたよ。すでにしっかりいい土地が耕されていたから、ぼくはそこに種を持ってきただけです。

池田さん 一度は決まったのですが、コロナ禍で世の中の状況が一変してしまって……。これから世の中の価値観も変化していくだろうと予想されるなかで、「ジャングルビル」という名前は、なんていうかちょっと……

――浮かれている?

池田さん そうなんです。「祭りだ!」っていう感じがあって、このままでいいのだろうかと心配していました。それで、オープンまでの全体的なスケジュールを見直すタイミングで、糸井さんのほうから「ちょっと名前を変えない?」と提案いただいたときに、もう一度考える時間をつくったんです。

菊地さん ロゴデザインも一度は考え出していました。でも「ジャングル」という文字は扱いが難しくて、「大変だなこりゃ」と思っていたところでした。というのも、「ジャングル」ってすでにみんなの中に強い絵的なイメージがあるので、それをべつの何かに変換することが必要だったんですよね。

――なるほど。

菊地さん 「アマゾン」も、いまではみんなあの「Amazon」を思い浮かべますよね? でもサービスが登場するまでは、熱帯雨林の風景を思い浮かべていたはずです。なので考えやすさでいうと、「ポート」の方がすんなりいったかもしれません。

――「ポート=港」というネーミングには、どんな想いが込められているのでしょうか?

池田さん このあたりは広く捉えれば日本橋のほうともつながっていて、かつて港であった鎧橋から発展しててできた歴史があるそうなんです。

糸井さん そういう話をいろいろ聞いたり、神田錦町に頻繁に来たりするなかで、駅がいくつもあることが面白いなと思っていました。それってつまりは、ここからいろんな場所へ航路がつながっているということで。
ぼくは海とか船とかに例えるってことをよくやるんです。船というのは、港に停泊していてもひとときそこに留まっているだけで、ずっと動き続けているものですよね。そういう常に活動の中にいる、という印象が好きなんです。

――ほぼ日さんは社員のことを「乗組員」と呼ばれていますね。

糸井さん はい。それで今回の神田錦町のプロジェクトでも、まちに新しい動きをつくり出したいと考えるなら、「ポート」というのはいいんじゃないかと思いました。
船が港に立ち寄るようにみんなが神田にやって来て、利用してくれて、そして一方ポートを運営しているぼくたちは、ここに根をおろしながらひとびとを迎えたり送り出したりする、そんなイメージがわきました。

――なるほど。

糸井さん また神田錦町は、外の人からすると目的がないとなかなか行かない場所ですよね。だから目標になるランドマークが必要。神田ポートビルがまちの「灯台」になれたらいいよね?

池田さん 本当にそうですね。「陸だけど、ここに港をつくるんだ」っていう話を糸井さんから聞いたときは、さすがだなあ……と思いました。

糸井さん 船乗りにしてみれば、港に着くのって本当にうれしいことなんですよ。そのほっとする気分を、ここを利用するみんなにもってもらえたらいいなと思っています。

サウナの後は外気浴ができるように屋上を解放。緑に囲まれて心地よい

――神田ポートビルにはサウナもありますからね。

糸井さん そうそう。立ち寄った人はだれでも、裸になって疲れを癒せる。サウナからイメージがわいたところは、けっこうあるかもしれないです。
また港は、どこか猥雑さも兼ね備えています。たとえば、ヴィトンのスーツケースで旅する人も、密航していくような貧乏な人も、ネズミも、みんなを含んでいるということです。そこには「優しさ」がある気がするんですよね。

――糸井さんのネーミングを受けて、菊地さんはどう考えられましたか?

菊地さん そうですね、「ジャングルビル」のときと根本的なコンセプトは変わらなかったので、大きな軌道修正はなかったです。もともと描いていた、そこにいろいろな生き物が複数いるイメージで、今回のロゴも考えました。「みんな」といっても集まって同じ方向を向いているというよりは、それぞれが別の方向を向いているんだけど、なんか近くにいるみたいなことを表現できたらいいな、と。
それにぼくね、そもそもあんまりロゴが好きじゃないんですよ。

――どういうことでしょうか?

●「おでん串」のようなロゴにしたかった

菊地さん ロゴっていうと、一つの固まった強い象徴をたてて、それが全体のイメージになるようヒエラルキーをつくっていくのがデザインのセオリーです。でも、ぼくにはそれが体質的に合わないなと思っていて。

――はい。

菊地さん それよりも、並列されてるのが好きなんですよ。実際のところ、そうじゃないすか? 会社でも、社長だろうが平社員だろうが、本当はただ一人ひとりの違うひとが一緒にいるだけです。でも概念でヒエラルキーをつくってしまうから、ポジションが固まっちゃって組織が動かなくなる。
だから神田ポートビルのロゴは、異なるひとたちが雑居するおもしろさを、別々の具材が1本の串に刺さった「おでん串」みたいに見せられたらと思ってデザインしました。

――「おでん串」ですか?

菊地さん はい。ひとつの文字や形をとるというよりは、バラバラなものがバラバラなまま同居するロゴにしたかった。それこそが、いまの時代の集合のあり方かな、って感じがしたんです。

糸井さん いいですね。

池田さん 菊地さんは前にそれを「集合する楽しみ」って言っていたんですね。集合はするけど統合はしないっていう。

菊地さん いいこと言ってるね(笑)。

池田さん 俺は、そういうことを忘れないように覚えておく係だから(笑)。
菊地さんは良いものをつくるために、まずアイデンティティや概念までかみ砕いて考える人なんです。だから、つくってもらう方も説明をたくさんしなくちゃいけなくて大変。でもそこを理解してつくってくれるから、こういう素敵なものになるんですね。概念まで踏まえて考える大切さが、このロゴデザインを見たらわかります。

菊地さん こういうのは慣れなんです。でも、このロゴは自分でもおしゃれにできたと思ってます(笑)。

雑居ビルの看板をイメージしてつくられたロゴ(2020年10月22日撮影)

――「神田」「KANDA」「ポート」「Port」と、書体がそれぞれ違うようですが、どう選ばれたのでしょうか?

菊地さん 「ポート」の書体は、アメリカの東海岸で1950年代から毎年続く「Newport Jazz Festival」からイメージを取り入れています。「神田」という文字には、精興社さんのオリジナルフォント「精興社書体」を使わせてもらいました。

池田さん 最後ロゴを決めるとき、菊池さんはいろんなフォントでバリエーションをつくったパーツを持ってきてくれました。みんなで手を動かしながら配置やフォントを入れ替えながら、いちばんいい組み合わせを探したんですよね〜。

菊地さん そうでしたね。適当なプレゼンがばれますね(笑)。

池田さん あとそもそも「神田」という文字を組み入れたことは、けっこう大事でした。神田ポートビルだけではなく、神田のまち全体を盛り上げていこうという想いで今回動いているから、この「オープンカンダ」というウェブサイトもあるわけで。

――「神田ポートビル」が灯台として、まち全体を照らすわけですね。

池田さん そうです。これは「神田ポートビルの」看板なんですけど、ただ店の看板をつくったというのとは違う気持ちなんですよね。つまり店をつくるっていうことは、まちをつくることなので。

――どういうことでしょうか?

池田さん これは蕎麦屋の更科さんがホームページに書かれていた言葉なんです。まちで商売をしている人たちは、そのまちの景観をつくっているんだっていう意識をもってやらないといけない、ということです。ぼくも実家が写真館なので、この感覚はとてもよくわかるんですよね。

菊地さん 看板のイメージは、最初から自分の中にありました。スナックがいっぱい入っているビルに付いてるようなやつ。

――お店の名前がずらっと連なっているあれですね。

菊地さん はい、あのイメージが強くあって。最初にビルのパースイメージができたとき、バウハウスみたいなノリで「サウナ」って書いてあったんです。それはそれでかっこいいんだけど、リニューアルしたビルに、ただ大きな看板が一枚ポーンとあるっていうのには、違和感があったんですよね。

――それは違うな、と。

菊地さん はい。そうではなくて複数のパーツを組み合わせれば、それぞれが別の顔をもった、そんなには大きくない単位の集合体なんですよ、というのがちゃんと伝わるなと考えていました。

ビルに取り付けられたばかりの神田ポートビルの看板。「神田」の文字は精興社オリジナルフォントを使用(2020年12月24日撮影)

糸井さん それはとても、このまちっぽいですよね。

池田さん 「神田ポートビル」っていうネーミングが決まった段階で、「あ〜、まちに港ができるのか」ってイメージができて、それまでもやもやとしていた霧が晴れた気がしました。

●きれいなすっぴん写真、撮ります

――神田ポートビルは、ちょっとほかにはないクリエイティブな場所になりそうですね。

池田さん ぼくはここを、昔ニューヨークにあったライブハウスみたいに捉えています。誰でもステージに立てるんだけど唯一ルールがあって、コピーバンドではなく自分たちで作詞作曲した「オリジナル」をもっていることなんです。それをみんなで楽しむ場所になると思います。

――迎えるバンド側とやって来るお客さん側との関係について、同じことが神田ポートビルにも当てはまるということでしょうか?

池田さん そうですね。作品をつくるとかそういうことだけでなく、一緒にその場所で考えるというか。

糸井さん 池ちゃんが撮っている、「あかるい写真館」ってまさにそういう関係ですよね。あれって池ちゃんだけじゃなくて、写真に写ってる家族たちもクリエイティブをしてるんですよ。

――撮られている側もクリエイティブ?

糸井さん ほぼ日でもイベントをやってもらっていたけど、みんな池ちゃんと一緒に「つくる」って思ってるから、あの写真館に来たいんですよね。撮ってもらいに来る側で、言われた通りにやりますっていうひとは、あんまりいません。会話しながら、こうかな? ああかな? って共同でクリエイトする。そうすると、できあがった写真は、よそ写真館で見たのとはぜんぜん違うんですよ。
あ、それで思いついたんだけど、「すっぴんスタジオ」っていうのどう?

池田さん 「すっぴん」ですか?

糸井さん そう。「あかるい写真館」のメニューのひとつとして、すっぴんの写真撮りませんかっていう提案をするの。女性はサウナに入った後お化粧をどうするのかなって気になっていたんだけど、それを逆手にとったプランにしちゃう。

池田さん ビューティーコースっていうのは考えてましたけど、サウナ上がりにそのまま撮るっていうの、楽しいですね! プランを選べるようにするのはいいな。それやります。

糸井さん いつもだったらすっぴんで写真撮ろうと思わないだろうけど、そういう状態だからこそ引き出せる美しさもあるよね。きっと。それをプロに撮ってもらうっていうのは貴重なんじゃないかな。

池田さん たしかに。子どもが泣いちゃうから女性に撮ってもらいたいっていう要望があったりしますね。

糸井さん 写真館はものすごく可能性があると思うな〜。それこそ周辺にある大学の入学式や卒業式の記念に撮りに来てもらったり。あ、誕生日こそすっぴん写真を撮るのにすごく良くない? ほら、素肌のことをさ、バースデイスーツって言うじゃない。

池田さん へー。そんな言い方するんですか。

糸井さん うん。生まれたままの姿っていう意味だよね。素肌って誕生着なんだよ。

池田さん よし池子、やろう。

池ノ谷侑花さん(以下、池子さん) あ、はい。

――池子さんは今回、プロジェクトをずっと追いかけて撮影されていますが、写真館でもカメラマンとして常駐されるんですか?

池子さん はい、池田もわたしもいます。ゆかいを卒業したひとも含めて写真家が5〜6人いて、来たひとに選んでもらえるようになっています。

池田さん 写真館って入りづらい雰囲気のところもあったりしますが、今回は糸井さんのアドバイスを元に入りたくなる門構えをちゃんとつくる予定です。

糸井さん 表に料金表を出しちゃえば? って言ったんですよね。

池田さん はい、料金プレートはつくろう思ってます。あと、どこの写真館でも撮った写真を外にディスプレイしているじゃないですか。あれはどうしてもやりたいんですよね。

――いいですね。

池田さん 実家が写真館だったので、あの環境を自分でまたつくれるのはうれしいんです。
馬喰町の事務所でも写真館の企画はやってきましたが、神田でやるのはまた違う考え方をしています。まずサウナがあるし、周りにも美味しい蕎麦屋さんがあったり、写真を撮りに来てもらう以外にもこのまちに来る用事がいろいろあるんですよね。

――写真館はこのまちに来る選択肢のひとつでいい、ということですね。

池田さん はい。そういうふうに位置付けられたらいいな、と思っています。だから、ぼくはこのまちのいいところをたくさんおすすめしておきたい!

新しい「あかるい写真館」は一階に面しており、日の光がたっぷり入って物理的にもあかるい(2021年1月5日撮影)

●先生も生徒も垣根のない学校を目指して

糸井さん そういうまちとのフラットなつながりは、ほぼ日の學校の中にもあることだと思っています。菊地さんがさっきロゴデザインのことで、ヒエラルキーのない集合にしたかったとお話しされていましたが、まさしくほぼ日の學校も、誰が生徒で先生なのかわからなくなっちゃうくらいのみんなの学校にしたいんです。

――といいますと?

糸井さん ほぼ日の學校のキャッチフレーズは、「2歳から200歳までの。」です。体系立てて何かを教えるわけでも、単位や資格を出すわけでもありません。授業はおもしろければなんでもあり。読み聞かせやお遊戯から、生活の知恵みたいなものがあってもいいし、神田のまちにいる親父さんの「俺はどう生きてきた」っていう話もおもしろいと思います。さすがに200歳まで生きている人はまだいないけれど、たとえば120歳のひとが先生の役をやってくれたら、聞いてみたくないですか?

――聞いてみたいです。

糸井さん いわゆる「先生」でなくても、ひとがなにかおもしろそうな話をしていると、みんな聞くじゃないですか。それが学ぶっていうことだと思うんです。
ネパールには、山道を歩いて往復4時間かかっても学校へ通いたくて仕方ない子どもたちがいます。学ぶことって本当は、それくらいおもしろくて楽しいことだったはずなんです。ネパールにあるYouMeスクールとほぼ日の學校は姉妹校になることにしたんですけど、それくらい一生懸命に学びたいひとに来てほしいなと思っています。

池田さん オルタナティブスペースでは、菊地さんの企画もあるんですよ。

菊地さん ぼくはもともとアートプロデューサーをやっていたので、今回はその立場で企画を考えています。ここでは美術だけじゃなくて、いろいろな形の展示ができそう。

2017年夏に開催された池田さんの展示も、菊地さんが会場をディレクション(2017年9月10日撮影)

池田さん いわゆるファインアートだけじゃなくて、食とかいろんなもので何か新しいことができたらいいですよね。

菊地さん うんうん。美術作品に限らず、いろんなものをその場所に同居させてみたいですね。情報を編集して本をつくるように、同じものでもいままでとは違う見え方がしてくるんじゃないかと考えてます。

糸井さん 何かテーマを決めて、一点展示なんてのもおもしろそう。

――いまのタイミングで、リアルな場所をもつ意味についてはどうお考えでしょうか?

糸井さん こういう時期だからといって、受身のポーズを取って固まっちゃうのが一番こわいんですよ。もともと計画していたことは、コロナであろうが台風であろうが、やる方法はあるはずだと思っています。

菊地さん 神田ポートビルはたしかにひとが集うスペースではありますが、それこそ青山のようにもともとひとがたくさん歩いている場所に出店するわけではありません。だからじつは、いまの状況っていうのはあんまり関係ない気がするんですよ。

――そうなんですか?

菊地さん はい。人通りがあるところだと、そこにあるニーズに対して何かサービスを提供するという考え方になります。でもここではそういうんじゃなくて、それぞれがもっているコンテンツを目指してひとが集まるという在り方なので、ある意味どうにでもやりようがあると思うんですよね。そしてやり方次第では、必ずしもリアルな場所にひとを集めなきゃいけないわけでもない気がする。

糸井さん 學校も、アプリで広げていきたいと考えていますしね。

菊地さん 基本的にやることが決まってないのが、神田ポートビルのいいところなんじゃないでしょうか。きっとだんだん、状況にあわせた在り方が見えてくるんだと思います。

池田さん 「ゆかい」もアメーバーみたいな感じでいいんじゃないって、前に菊地さん言ってましたよね。

菊地さん うん。サウナにしてもこのまま最初のかたちでずっとある感じがしないし。

池田さん そうですね。

菊地さん 「神田ポートビルが」これからどうなっていくか、それがぼくも楽しみです。

Text: Hazuki Nakamori
Photo: Masanori IKEDA, TADA, Yuka IKENOYA(YUKAI)

たてもの編/グレーター神田の中央に座す、ここに集まってできること

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2021年春、神田錦町にサウナを備えたかつてない複合施設「神田ポートビル」がオープンします。施設の中心にあるのはサウナですが、その他にも写真館や学校があり、神田錦町にこれまでなかったような、いや、どこの街にもないようなオルタナティブな場所と言えるかもしれません。
この連載では、ちょっとのれんをくぐってはおしゃべりしていくように、神田ポートビルにかかわるさまざまな人が、入れ替わり立ち代わりで登場。神田ポートビルがどんな場所になっていくのか、お話ししてもらいます。

第2回は、それぞれのスペースを中心になって運営するみなさんにお集まりいただきました。2・3階に教室スタジオをオープンするほぼ日の學校 學校長の河野通和さん、1階でオルタナティブスペースと写真館を運営するゆかいの小林知典さん、地下1階にサウナを出店するサウナラボ ウェルビーの米田行孝さん、そしてビル外観・内観のデザイン設計をしている建築家の須藤剛さんの4名です。
それぞれ機能はまったく異なるけれど、同じ建物に集まることで、神田ポートビルはどんなことができる施設になるのでしょうか。

ほぼ日の學校長
河野通和(こうの・みちかず)

岡山県岡山市生まれ。編集者。東京大学文学部ロシア語ロシア文学科卒業。中央公論社および中央公論新社にて、雑誌『婦人公論』『中央公論』編集長などを歴任。その後、新潮社にて『考える人』編集長を務め、2017年4月に株式会社ほぼ日入社。今回は2・3階に教室スタジオをオープンする「ほぼ日の學校」で學校長を務める。
https://school.1101.com/

サウナラボ / 株式会社ウェルビー 代表
米田行孝(よねだ・ゆきたか)

愛知県名古屋市生まれ。サウナ界のゴッドファーザー。日本サウナ・スパ協会理事。日本最大級の野外サウナイベント「SAUNA FES JAPAN」を主催。ウェルビーの2代目として名古屋、福岡でサウナとカプセルホテルを4店舗展開するほか、2018年には女性専用サウナ「サウナラボ」をオープン。今回はB1階スペースに実験的なサウナをオープンする。
http://saunalab.jp/

須藤剛建築設計事務所 代表
須藤剛(すどう・つよし)

埼玉県生まれ。法政大学工学部土木工学科卒業。北川原温建築都市研究所、ジャムズなどの設計事務所を経て2012年、須藤剛建築設計事務所設立。デザイナーとして参画した『BUNKA HOSTEL TOKYO』(2015)がグッドデザイン賞を受賞するほか、代表作に『ハウスSY』(2017)、『狛江の住宅(2018)など。藤本信行さんとは玉置浩二会を結成する仲。今回は、ビル外観・内観のデザインを監修する。
http://tsudou.jp/

ゆかい マネージャー
小林知典(こばやし・とものり)

茨城県生まれ。ゆかい代表の池田晶紀さんとは学生のころからの付き合い。ゆかいでは、所属クリエイターのマネージメント業務を行う。今回は1階に構える「あかるい写真館」の他、神田ポートビルで開催する展示やイベントなどの企画・運営を担当する。https://yukaistudio.com/

――第1回は神田錦町になぜこのメンバーが集まり、サウナをつくることになったのかをお話しいただきました。今回は、神田ポートビルがどんな機能をもったスペースになるのか、お伺いしたいと思います。ではまず、ほぼ日 河野學校長からお願いします。

河野通和さん(以下、河野校長) 「ほぼ日の學校」は、古典を学ぶ場として2018年1月にスタートしました。授業では、シェイクスピアにはじまり、歌舞伎、万葉集、ダーウィンなど……各講座にいろいろなジャンルの講師を招いて工夫を凝らした授業をやってきました。
よりたくさんの人にそのおもしろさを届けるために、2021年春に「ほぼ日の學校」はアプリとしてリニューアル開校する予定です。そこで配信していく授業を収録したり、人が交流するサロンにもなる「教室スタジオ」が、神田ポートビルにできました。

米田行孝さん(以下、米田さん) ぼくも授業、聴きたいです。

河野校長 ぜひいらしてください。

一足先に竣工したほぼ日の學校フロア(2020年12日25日撮影)

――どんな授業が受けられるのでしょうか?

河野校長 学校と名付けていますが、単位や資格を出すわけではありません。有名無名を問わずいろいろな方々に講師になってもらいたいと考えています。その人自身の生き方を聞く授業もありますし、たとえば健康やビューティなど、生活まわりで「いまさら聞けないけど、知りたいこと」を教えてもらう授業があってもいいですよね。キャッチボールの仕方とか、おむすびのにぎり方とか‥‥。

――古典以外の授業もあるんですね。

河野校長 はい。おむすびはあんまり固く握らない方がいい、あれは空気が大事なんだ、とか。そういう話をしてもらう。これまで見よう見まねでやってきたことを改めて習ってみると、こんなにも世界が広がるのか! という体験をみなさんに実感してもらえるのではと思っています。古典は引き続き大事にしていきたい太い柱ですが、あくまで要素のひとつと考えています。

米田さん 楽しみです!

河野校長 リアルな教室スタジオには、ぜひ神田のまちの方々にも来ていただきたいと思います。神田ポートビル内の違うフロアともコラボして、授業ができればおもしろいかと。米田さんには、講師としてサウナの話をしていただきたい!

米田さん それはおもしろそう。個人的には、サウナって意外とアカデミックなことと相性がいいと思ってるんですよね。

●アカデミックとサウナの良いバランス

――サウナとアカデミック、ですか?

米田さん サウナというと、サウナ室を思い浮かべられるかと思います。でもぼくはサウナって、「身体的な感覚を取り戻す」ことだと考えています。
で、おもしろいのが、身体的感覚を求めている人って、じつは同時に頭を使っていろいろなことを学びたい人でもあることが多いみたいなんです。

河野校長 そうなんですか。

米田さん はい。ぼくが所属している日本サウナ・スパ協会では、「サウナスパアドバイザー」という資格制度を設けています。はじめて3年くらいなのですが、もう1万人に届きそうなくらい資格取得者がいます。思ったより反響があるんですよね。1万5000円の受験料がかかるその上位資格の「サウナ・スパプロフェッショナル」も、すでに1000人以上の方が取得されています。多くのひとは、身体と頭の両方を使って良いバランスを取りたいんじゃないかな。仮説ですけど。

須藤さん たしかに考え込みすぎて行き詰まっちゃったときに、サウナに入って身体的な刺激をばこんって入れると、情報が整理されて頭がすっきりするような感覚ってあります。

米田さん そうですね。だから今回、知的な刺激を与えてくれる「ほぼ日の學校」とサウナが一緒のビルに入っているというのは、なかなかおもしろい化学反応があるんじゃないかと思っています。

河野校長 サウナに入ってすっきりしてから学校へ来ていただく、あるいは学んだ後にサウナでリラックスしてから帰っていただく、とかビルの中でいろいろな流れができそうです。

お互いの構想を共有しながら、それぞれのフロアづくりは進んでいきました(2020年1月9日撮影)

●神田にはサウナが必要という使命感

米田さん ぼくがサウナラボのミッションとして掲げているのは、「街にサウナという木を植え、森を育て人々に元気を届ける」ことなんです。先ほどサウナは身体的な感覚を取り戻すことだと言いましたが、もともと森の中で楽しまれていたサウナをまちにもってくることは、現代の生活の中で自然を感じる体験をつくることだと思ってサウナをつくっています。

――サウナが「自然体験」というのは、池田さんや藤本さんもおっしゃっていました。

米田さん はい。ゆったり自然を感じる時間がとれない現代人は、自分の身体との対話を忘れがちです。PCやスマホの画面とばかりにらめっこするから、ばーっと脳に血が集中して身体が冷えたり心の不調を感じたりする。やれコロナだデジタルだってなれば、これからもっとそういう人が増えてくると思います。
こんな時代だからこそ、まちの中にサウナという自然が必要なんです。中でも東京は忙しく働いている人が多いまちですから、一番サウナを必要としているはずなんです。だから、今回、神田にサウナをつくるというのには、使命感というと大げさですが、なんだかそれに近いものを感じています。

――熱い。米田さんから湯気が見えるようです。いまつくられているサウナについて教えてもらえますか?

米田さん えーっと、内緒です。というか、正直に言うとまだ決まってなくて(笑)。ね、須藤さん? (※取材は2020年11月

須藤さん これからですね(笑)。今回わたしは藤本さんからのお声がけで、ビルの外観と内観のデザインを担当しています。デザインといってもサウナ室をかっこよく仕立てるとかそういうことではなくて、神田錦町というまちにとって神田ポートビルはどうあるべきか、というもう少し大きな視点から考えています。サウナについてはサウナ室から出たあとも含めて体験全体を設計しているような感じです。

寒くて暗かった地下も、もうすぐ心地よいサウナに。(2020年1月9日撮影)

――家に帰るまでがサウナ、ということですね。

須藤さん そうです。サウナ室の部分はその道のプロである米田さんに完全にお任せしていて、米田さんのアイデアをわたしたちが図面に落としていくような流れで進めています。 米田さんのサウナって、ほんとうに奇想天外なんですよ! 世の中にある一般的なサウナをコピー&ぺ―ストするんじゃなくて、「サウナとはこうあるべき」という米田さんの思想からつくられているんです。
そのユニークさをお伝えするのに、ここでちょっとぼくのサウナ人生の始まりについてお話しさせてください。

――お願いします。

●心地よさから生まれるアートなサウナ

須藤さん 神田ポートビルのプロジェクトの視察で、2019年の3月16日に名古屋へ行ったんです。もちろん目的は、米田さんのつくったサウナラボです。もちろんそれまでにもサウナに入ったことはあったのですが、サウナラボのサウナは、明らかに自分の知っているのとは違う世界で、衝撃を受けました。

河野校長 どういうところが違ったんでしょう?

須藤さん 普通サウナって、だいたい小さな四角い部屋に扉を開けて入って、ベンチにしばらく座って出てくる、という形式ですよね。

河野校長 はい、そうですね。

須藤さん それがサウナラボにあるサウナっていうのは、かがまないと入れなかったり、一人用にすごくコンパクトにつくられていたり、上から覗けたりと、とにかくいろいろな種類があるんです。おそらくは茶室や洞窟、フィンランドに歴史的に伝わるものからインスピレーションを受けられているのだと思うのですが……。

河野校長 ちょっと想像がつかないですね……。

SaunaLab(サウナラボ)|名古屋
SaunaLab(サウナラボ)|福岡

須藤さん 建築をやっているとスケール感というのをたたきこまれるので、その建築を見ればなぜこのようにつくられているのかだいたい理解できるんですが、サウナラボは今までのそれとは全く違うものだったんです(笑)。

米田さん ぼくがサウナをつくるときは、浮かんだイメージをイラストにして、スタッフと一緒に現場に行って「ここはもうちょっと天井を高く」、とか「洞穴になってたらおもしろいよね」とか話しながら、その場でどんどんつくっていっちゃうんです。図面を描かないから、めちゃくちゃといえばめちゃくちゃなんですけど、「心地よさ」っていう身体的な感覚をいちばん大事にしています。

須藤さん ほんとそれって設計者の理想の姿勢だと思うんです。米田さんのサウナは、「ここからここに直接行きたいな」とか、「ここに水が落ちてきたら気持ちいいだろうな」といった、その場で感じられたものが、そのまま形にされているんですよ。

米田さん 須藤さんにはご苦労おかけしております(笑)。ぼくはたぶん論理的思考に欠けていて、言語化が不得意なんですよ。だからきっと古典を学ぶといい(笑)。

河野校長 あはは。

米田さんのラフスケッチ。茶室のようでサウナのイメージ。(2020年8月5日撮影)

須藤さん サウナラボには藤本さんと一緒に行ったんですが、アイスルームっていうサウナラボにしかない冷凍室みたいな部屋で、米田さんの意図について、ああでもないこうでもないと議論が白熱しました。
でも、最終的にはまあいいかっていう瞬間がやってきて…(笑)。

米田さん 気持ちよくなっちゃったんだ(笑)。

須藤さん はい(笑)。「ととのう」っていう感覚をサウナラボではじめて味わいました。

米田さん よかったです。今回、須藤さんたちと一緒にサウナを形にしていくのは、これまでにない挑戦だしとても楽しんでいます。
ところで河野校長はサウナはお好きですか?

河野校長 サウナは好きですよ。だけど、よく汗の出るお風呂、というくらいの認識でした(笑)。ただ、ぼくはロシア人との付き合いがわりにあるんですが、彼らは何かというと「サウナで話そう」って言うんですよね。あ、スパイとか怪しい人たちじゃないですよ。

一同 あはは。

――フィンランドでも外交にサウナが使われると聞きました。

河野校長 そうそう、裸の付き合いっていうんでしょうか。サウナへの愛というのが、ぼくが日本で感じているのとはまるで違うレベルで彼らの中にはあるんですよね。世界は広い。

米田さん サウナは深い。

河野校長 いやはや、ほんとうに。米田さんがつくられるサウナが楽しみですよ。

米田さん 神田でも、複数のサウナをつくるということは決めてあります。名古屋・福岡のサウナラボにある「フォレストサウナ」や「アイスサウナ」なんかの定番に加えて、今回は「OKEサウナ」と「IKEサウナ」というのを考えていますよ。

――桶? 池??

米田さん ふふふ。詳しくは実際のサウナを楽しみにしてください。

工事中のサウナウスペースの様子(2021年3月9日撮影)

●ビルを横断した企画も計画中

――「ゆかい」は神田ポートビルに事務所を移転するとともに、1階のオープンスペースと接続する形で写真館をつくりますね。どんなスペースになるのでしょうか?

小林さん そうですね。まず、ゆかいのことを少しご紹介しますと、写真とデザインの会社です。池田の他に2名の写真家がいて、ぼくのようなマネージャーがいます。クリエイティブの仕事をメインにしながら、自分たちでも展覧会など発表活動を行ってきました。今回、1階は「神田ポート」という、全体をオルタナティブなスペースとしてトークイベントや展覧会、ワークショップ、フリーマーケットなど、自分たちの知りたいこと・やってみたいことを中心において、なんでも自由に企画していきたいと思っています。

開かれた1階の半分はこのまちの写真館に。(2020年10月28日撮影)

小林さん 池田はよく、写真家は人に会いに行くのが仕事だ、という言い方をするんです。「こんこん」と扉をノックするのが役割なんだと。

――すてきな言い方です。

小林さん これまでに『いなせな東京』プロジェクト(#1)で、神田の方々と築いてきた関係がありますが、今度はこのまちにぼくら自身がおじゃまして拠点をもつことになります。なので、神田ポートビルでは、こちらからまちに扉を開いて、人と人が出会えるスペースになるような企画をやっていきたいです。

米田さん うちと連携して「保育サウナ」なんかできたらおもしろいかも、と話をしていますよ。

――「保育サウナ」ですか?
 
小林さん お母さんが居心地のいいサウナでゆっくりしてもらっている間に、お子さんをお預かりして一緒に工作のワークショップをする、というアイデアです。ちゃんと保育士さんにもきてもらって。ここで子育て中のお母さんに一人でリフレッシュする時間をもってもらえたら、と。

――いいですね。写真館についても教えてください。

小林さん これも以前から継続してきた「あかるい写真館」というプロジェクトです。写真館ってまちに必ずひとつはあって、七五三とか入学式とか、節目節目で訪れる場所です。なので、新たに誕生する神田ポートビルがどうまちに溶け込んでいけるかということを考えるときに、きっと役に立てると思うんです。

●グレーター神田(広域神田圏)の中央にある、神田錦町

――みなさん神田錦町のまちについてはどんなポテンシャルを感じていますか?

米田さん そもそも最初は、このまちというか東京についてぜんぜん知らなくて、そこにいるちょっとお節介な写真家の池田晶紀さんに連れてこられたんですよね(笑)。いけちゃんがつくったカメラサウナを神田錦町でお披露目するからって呼ばれて(#1)。

(脇にいる池田さん、頭をかく)

米田さん おもしろいから冷やかし半分で見に来たんです。それまではぼく、東京ってずっと自分とは関係のない場所だと思ってたんです。名古屋から出ていない人間なので、東京といったらスーツを着たぎらぎらした人が六本木ヒルズを闊歩しているようなイメージしかなくて。
でも実際に神田錦町に来てみたら、美味しいものもあれば楽しいひともいて。自分の好きな古本屋さんやレコード屋さんもありました。

――神田錦町が米田さんの東京のイメージを塗り替えたんですね。

米田さん そうなんです。それで気がついたら、いけちゃんにそそのかされて、いつのまにかここにサウナをつくることになってた(笑)。

須藤さん たしかに神田錦町って、すごく奥行きのあるまちですよね。古本のまちである神保町に、皇居や美術館などがある竹橋、そしてビジネス街の大手町、大学のある御茶ノ水などが周囲にあって、アクセスがいい。歩いていろいろなところに行けるし、逆に向こうからも来られます。
わたしとしては、神田ポートビルが交点になって、それぞれのエリアの要素を重ね合わせていけるといいなと思っています。

河野校長 なんかね「グレーター神田」というものがあるとしたら、その中央に神田錦町はあたるんじゃないかな、と思います。大きな「神田」というエリアの中に、御茶ノ水もあって、神保町、竹橋、皇居、丸の内、大手町、日本橋、秋葉原など周囲をぐるんと含めたときに、中心は錦町だと吹聴したい(笑)。

――グレーター神田の中心に、錦町はある。

河野校長 はい、そうなるといいなと思います。ぼくは新潮社に移る前、1年半ほど小川町に通う時期がありまして、そのときに神田というまちの広がりと、掘れば掘るほどいろんなものが出てくるおもしろさを改めて知りました。このまちには、歴史的な地層みたいなものがあるんですよね。

小林さん ぼくは、このプロジェクトがきっかけで神田錦町に来るようになりましたが、たしかに地層を掘り当てるというか、そこに新しい層をつくっていく楽しみもあるまちだなと感じています。精興社さんや竹尾さんなどの古い企業がたくさんある一方で、美味しいカレー屋さんとか喫茶店なんかのお店もあって、知れば知るほど層の厚みを感じます。

神田ポートビルの近くにある更科そばさんもすっかり行きつけに。(2021年1月5日撮影)

河野校長 じつは精興社さんにはたいへんお世話になったご縁がありまして‥‥。むかし勤めていた出版社の刊行物を印刷してくださっていたんですよね。最初に神田ポートビルの場所として案内されたときは、あまりにも驚いたので、ぐっと飲み込んであまり人には言ってなかったんですが‥‥。

――そうなんですか!

河野校長 はい、そうなんです。なので、学校を展開するにも、このエリアがもっているポテンシャルを借りたほうが絶対におもしろくなると確信しています。来てくれる人の層も、青山の時代より幅広いものになるのでは。多様性ってパワーなので、それを学校として迎え入れたいです。

小林 一方で錦町って、ちょうどいい規模感じゃないですか? このまちで長くお店をやっているひとたちがいて、できあがっている。だからちょっとあのまちの仲間に入ってみたいと思わせるところがある気がします。

河野校長 それはそうですね。小川町に来ていたとき常々思っていたのが、ここには東京が失ってしまった「ひとの生活」があるなということです。明治の近代化以降、東京っていうのは西へ西へとどんどん開発が進みました。特に戦後はそうですね。驚くほど、住む場所と勤め先が離れてしまった。そこである意味、わたしたちはかなり無理をしたり犠牲にしてきたものがあるわけです。

――はい。

河野校長 そう考えた時、神田というエリアには「まちあるき」の楽しさも残っているし、自由でゆるやかな、プラットフォームの可能性を感じます。まちに「いらっしゃい」とひとを迎える仕掛けがあれば、みんながここへ新たな楽しみを求めて来たくなるような要素があるんじゃないか。新しくて懐かしい「ひとの物語」と出会うために、みんながまた集まってくるんじゃないかという予感があります。

米田さん そもそもサウナっていうのも、生活の中にある施設ですからね。でも普通、合理性や効率性が重視されるまちづくりで、「サウナを呼ぼう」とはならないじゃないですか(笑)。ここを借りてるから言うワケじゃないですけど、やっぱり安田不動産さんはすごいと思うんですよ。ちゃんと時代の変わり目を読んで、ぼくに声をかけてくれた。これからのまちのデザインには「心地よさ」が必要だと捉えてくださっているからだ、と思っているんですけれど。

屋上も心地よく、サウナ後に外気浴ができるスペースになる予定。(2020年11月26日撮影)

●クリエイティブがこのまちにできること

――神田ポートビルは、既存のビルをリノベーションしてつくられるんですよね?

須藤さん そうですね。でも今回は、外観はあまり大々的に変えていません。「うーん、前と一緒?」と思われるくらい(笑)。

河野校長 スクラップアンドビルトではなく、「残す、伝える、つなぐ」ということのなかにこのビル全体があるなって気がしますよね。「ほぼ日の學校」で目指すことともつながってくるのですが。

須藤さん そうですね。ビルは築56年なんですが、「建設当時に戻ったんじゃないか」みたいな自然さがあると思います。リノベーションとしてはかなりマニアックですね。

――何を変えて何を残したんでしょうか?

須藤さん たとえば、ビルのエントランスを入ると階段があるんですが、そこに使われている「テラゾ」という素材は残しました。要は人の手で研いだ大理石なんですが、現代で同じことをしようと思うとすごくお金がかかることなんです。60年代当時は輸送のコストなどより人の手の方が資源として安かった時代だからできたことで、そういうところはやっぱり引継ぎたかったんです。

エントランスの床もさまざまな素材が使用されている。(2020年12月25日撮影)

河野校長 それは「残す」と同時に「記憶を呼び覚ます」ようなことですよね。

須藤さん そうですね。古い技術から学ぶような作業ですね。

――まさにそれこそ「古典」を学ぶようなことかもしれません。

河野校長 単にモノを保存するようなことだけではなくて、クリエイティブな目が入ることで、積極的に歴史を掘り返すような動きがでてくる。かつてこのまちのなかで営まれていた生活とか、土地に根差した記憶をよみがえらせて未来につなげることも、この神田ポートビルのプロジェクトを通じてやっていけたらと思います。

Text: Hazuki Nakamori
Photo: Masanori IKEDA, TADA, Yuka IKENOYA(YUKAI)

きっかけ編 / 人とまちを目覚めさせる。どこにもないサウナがやってきた

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2021年春、神田錦町にサウナを備えたかつてない複合施設「神田ポートビル」がオープンします。いま一大ブームとなっているサウナですが、神田ポートビルが目指すものはサウナ施設の延長線上にとどまりません。この施設にかかわる人たちは、サウナと神田錦町の化学反応にどんな可能性を見出しているのでしょうかーー。

この連載では、ちょっとのれんをくぐってはおしゃべりしていくように、神田ポートビルにかかわるさまざまな人が、入れ替わり立ち代わりで登場。神田ポートビルがどんな場所になっていくのか、お話ししてもらいます。
第1回は、ビル全体のコンセプト設計などデザイン監修をする建築家・バカンス代表の藤本信行さん、クリエイティブディレクションを担当する写真家・ゆかい代表の池田晶紀さん、そして神田錦町で長年まちづくりに取り組んできた安田不動産の芝田拓馬さんの3名です。
少し不思議な組み合わせのメンバーはどう集まり、サウナを拠点とした前代未聞のまちづくりはいかにしてはじまったのでしょうか。

バカンス代表
藤本信行(ふじもと・のぶゆき)

長崎県長崎市生まれ。一級建築士。UDSにて、日本橋浜町の再開発事業に携わる。2016年に独立、デザイン会社「VACANCES」を立ち上げ。ライフスタイルブランド・ババグーリとの協働によるホテル「MALDA KYOTO」(2018)や、浅草のデザインホステル「BUNKA HOSTEL」(2015)など、リノベーションプロジェクトを多く手掛ける。今回はビル全体のデザインを監修。https://www.vacancesinc.com/

ゆかい代表
池田晶紀(いけだ・まさのり)

神奈川県横浜市生まれ。写真家・クリエイティブディレクター。写真とデザインの会社「ゆかい」を主宰。アーティストの活動と並行し、一般社団法人フィンランドサウナクラブ会員として、サウナの普及活動に心血を注ぐ。今回はクリエイティブディレクションを担当。また、ビルの1階に「あかるい写真館」を開館するほかオルタナティブスペースも運営する。https://yukaistudio.com/

安田不動産
芝田拓馬(しばた・たくま)

大阪府茨木市生まれ。安田不動産開発第一部第一課所属。同社の本社所在地である神田錦町の開発及びまちづくりプロジェクトを担当。今回はデベロッパーとして物件の取得、企画、工事と一連のプロジェクトマネジメントを行う。http://www.yasuda-re.co.jp/

――神田ポートビルは、2・3階に「ほぼ日の學校」、1階に写真館、そして地下1階にサウナが入る、バラエティに富んだスペースです。中でもサウナが施設のポイントとなるそうですが、そもそもなぜサウナだったのでしょうか?

池田晶紀さん(以下、池田さん) いやそれが僕たち、偶然サウナで出会って意気投合したメンバーなんですよ〜。

藤本信行さん(以下、藤本さん) と、いうわけではないんですが(笑)。安田不動産が神田錦町で考えていたまちづくり計画について、芝田さんから相談を受けて「サウナをキーコンテンツにしたまちづくり」をご提案したのがスタートですね。

芝田拓馬さん(以下、芝田さん) はい、2018年の6月でした。安田不動産はここ錦町が本社で、周辺にいくつかのビルを所有しています。デベロッパーとしてこれから錦町エリアの一体的なまちづくりに取り組んでいきたいと考えていて、そこでコンセプト設計から藤本さんにご相談させていただきました。

リノベーション前の神田ポートビル。(2019年7月5日撮影)

――「サウナでまちづくり」と聞いて、驚きませんでしたか?

芝田さん びっくりしました。当時はいまほどサウナがブームでなかったので、冗談かな? と思いましたよ(笑)。

藤本さん でも、最初の提案はけっこうサウナ控えめでしたよね……?

芝田さん いえ、ぜんぜん控えめじゃないです(笑)。神田錦町にサウナをつくろう! という話と一緒に、ジャングルみたいに木がたくさん生えていて、木の上では猿が枝にぶら下がっている、みたいな温浴リゾートのスケッチを持ってきてくれましたよ。

藤本さん そうでしたっけ(笑)。なぜ思い切ってサウナを提案してみようと思ったかというと、いくつか理由があるんです。

池田さん え、藤本さんがサウナ大好きだからなんじゃないんですか?

藤本さん もちろんそれは前提です!(笑) 芝田さんから相談をもらったときに、神田錦町を活性化させたいということともに、まちづくりのキーワードとして「アカデミックジャングル」という言葉が挙げられていたんです。

藤本さんが提案したサウナのスケッチ

●都市で自然を体感できるのが、サウナ

芝田さん 補足すると、神田錦町というエリアは東京大学や学習院大学などの発祥の地であり周辺に多くの大学が明治時代からあった、「アカデミック」な場所なんです。だからお隣である神保町は本の街になったということにもつながっています。

――なるほど。そういう歴史があるんですか。

芝田さん そうした土地にある文脈を汲んだまちづくりをしたい、と考えていて、アカデミックなひとたちが集ってジャングルの生態系のように共存する中から、新しいことが生まれてくるような場所にできないか、ということでこのキーワードが出てきました。

藤本さん そういう話を聞いて、都会の中にあるジャングルってどういうことだろう、どうすれば人に自然を感じさせられるんだろう、と考え始めたんですね。

――ウェルネスやウェルビーイングにも近いような……?

藤本さん そうです。でもスポーツジムをつくったりするのではありきたりだし、それ以外で人が手っ取り早く元気を取り戻せるような仕掛けって何かないだろうか、と探していたところ……

池田さん サウナじゃないか! と。

藤本さん そうなんです! ぼくはサウナには、都市のなかにいながらも身体を通してダイレクトに自然とつながるような気持ちよさがあると思っていて。サウナって単に熱い部屋で汗をかくというだけでなくて、自分の身体と向き合って野性的な感覚を取り戻させてくれるような働きがあると思うんです。

池田さん サウナはもともと冬が長いフィンランドで、薄暗い曇り空に太陽を求めた人の知恵として、2000年前に農民によってつくられたのがはじまりだといわれています。いわばサウナは人工的に自然ができる装置なんです。

藤本さん うんうん。それでサウナが自分の中で「ジャングル」というキーワードとつながって。基本的にはそれほど大きなスペースが必要ないですし、つくるのにもお風呂ほどお金がかからないという建築的な利点もあるので、まちにぽこぽこつくりやすいぞ、と思いついたんです。
また、神田という場所は調べていくと「改良風呂」発祥の地でもあったんですよね。

現場に何度も足を運び、サウナの構想を練っていく藤本さん(左)

――「改良風呂」、ですか?

藤本さん 改良風呂というのは、明治時代になって登場した新しい銭湯のことです。江戸時代までの銭湯は、薄暗くて男女混浴で入るような、あまり清潔な場所ではなかったんです。それが明治に入って、浴室と脱衣場が一緒になった開放的な銭湯が登場すると、それまでの銭湯に対して「改良風呂」と呼ばれて、たちまち評判になったそうなんです。

――現在の銭湯の原型とも言えそうです。それが最初にできたのが神田だった?

藤本さん そうです。そういう神田と公共浴場の歴史みたいなものも織り交ぜながら、「サウナでまちづくり」を説得するための材料を、これでもかと出しました。
でも最初はまったく芝田さんに響いてなかった(笑)。ぜんぜんピンときてなかったですよね?

芝田さん ピンときて、なかったですね(笑)。「ととのう」というサウナの効能とか、いろいろな話を藤本さんから聞かされるうちに、これは体験したほうが早いな! と思って、会社のみんなで横浜のスカイスパに行ってみたんです。

――おお。どうでしたか?

芝田さん 最初は水風呂の気持ちよさもぜんぜんわからなかったんですが、何度か試しているうちに、「あ、気持ちいい……」という状態になって。

池田さん ここまでくれば、もう心はひとつです。

芝田さん 藤本さんがあんなにサウナをすすめる意味が、そこでようやくわかりました。話に聞いていた感覚はこれだったのか! という、理解できたことによる脳的な気持ちよさと、サウナの身体的なととのいが合わさって、それはもうばっちりハマってしまって。

藤本さん そこからは一気に話が進んでいきましたね。池田さんたちの活動がきっかけとなって、ちょうど世の中的にもサウナが盛り上がりはじめてきた頃でした。

サウナができるフロア。地下でありながら、天井が高く広々としている。

●サウナはコミュニティをつくる中心になる

芝田さん でもデベロッパーとしては、なぜテナントにサウナかというところについて、もうひと押し理由がほしい。キャッチーさはすごくあるのですが、その一点突破では難しいと思っていました。そこで自分でもいろいろ調べたんですが……。

――もう完全にサウナをつくる気まんまんですね。

芝田さん はい(笑)。そうすると、フィンランドではサウナがまちのコミュニティ形成に重要な役割を果たしていることがわかったんですよ。
日本の銭湯と同じように、フィンランドのサウナももともと公共のものでした。それが時代とともに各家庭に備わることで減ってしまい、結果まちのコミュニティが衰退してしまったそうなんです。

――そうなんですか。つまりまちにサウナがあれば、みんなが集う場になるはずだ! ということですね。

池田さん そう! 銭湯がかつてそうだったように、サウナはまちのコミュニティを生む、ハブになるんですよ。ぼくも移動式サウナの作品をつくったときにそう感じました。

――移動式のサウナですか?

池田さん ぼくが最初にサウナラボ(※)の米田行孝さんとつくった移動式サウナ『サウナトースター』というのがあるんですけど、移動した先々でサウナが人の集まる理由を生み出してくれたんですよね。いまは宮城県の気仙沼にあるんですが、サウナがそこにあるおかげで新たな人と出会えたり、その土地の美味しいものが見つかったりする。

※サウナラボは、神田ポートビルでサウナをオープンする愛知県名古屋の会社・ウェルビーが展開するサウナブランド

気仙沼へと移動する『サウナトースター』。

池田さん ちょっとだけ自己紹介をしますね。僕の本業は写真家ですが、サウナを広める活動にも取り組んでいて、「フィンランドサウナクラブ」というサウナ愛好家による一般社団法人を立ち上げています。本拠地が長野県小海町にあって、「フィンランドヴィレッチ」という別荘のような宿泊施設にたくさんサウナをつくったり、年に一度そこへお客さんをよんで「日本サウナ祭り」を主催したりしているんです。
そのプロジェクトメンバーでもあるサウナのプロ、米田さんと組んだアート作品、人力移動式サウナ『CAMERA」がこちらです。最初の発表は青山スパイラルで開催した僕の個展「SUN」です。ちなみに展覧会のポスターや展示構成は、神田ポートビルのロゴ担当の菊地敦己さん。

©︎Masanori Ikeda×SaunaLab

これを今度は、パブリックな場所に移動させてサウナを実用してみよう! と試みたんです。

©︎Masanori Ikeda×SaunaLab

池田さん たぶん、日本ではじめて人力の移動式サウナをまちで展開したのが神田錦町なんだと思います。

藤本さん え、そうなんですか?

池田さん はい、2017年の「TRANS ARTS TOKYO」という地域にコミットしながら展開するアートプロジェクトがちょうどいいタイミングだったので、神田に持ってきたんです。

神田のまちに突如現れた移動式サウナ。©︎Masanori Ikeda×Sauna Lab(2017年10月28日撮影)

池田さん これ、神田の路上でやったんですよ。それにしてもよそ者が急にこんなよく分からないものを持って来て、よくまちが受け入れてくれたなと思います。みんな海パン持って来たんです。

――神田錦町の懐の深さがうかがえますね。

藤本さん ぼくも後々知ったんですが、池田さんはそれ以前からも神田と浅からぬ縁があったんですよね。

●みんな神田錦町に不思議に呼ばれてやってきた

池田さん はい。3331 Arts Chiyodaと一緒にやってきた「いなせな東京」というプロジェクトの一環で、“神田っ子”と呼ばれるひとたちのポートレートを、2012年から6年にわたって撮っていました。それで毎年神田のまちで展示をやって写真集をつくる、というのを続けていました。

池田さんが神田っ子を撮り下ろした『いなせな東京』写真集。

――なんと!

池田さん 展示では、撮影したポートレートを等身大に近い大きさで会場に貼り出したのですが、そうすると展示空間がだんだん神田のまちに見えてきたんですよね。それをまちのひとたちが、知り合いや自分の写真があるからといって、みんな見に来てくれて。そういうアートで地域をつなげていくような活動をしていました。

©︎Masanori Ikeda「いなせな東京」2018

藤本さん しかも、その中に今回神田ポートビルとしてリノベーションした建物の所有者だった、精興社の社長さんの写真もありましたよね。

池田さん そうそう。しかも精興社さんは、2005年から1階の倉庫を「KANDADA(カンダダ)」という展示スペースとして開放されていたんです。神田ポートビルになる前から、そういう開かれた場所だったんですよ! そういう前世の種まきみたいなことがあって、今回の神田ポートビルにつながっているんですよね。

――それはすごい。もうご縁としかいいようがないです。

藤本さん そういうご縁が重なって、池田さんも神田錦町のまちづくりに参加してもらえることになりました。

池田さん ぼくらの会社「ゆかい」では、神田ポートビルのビル全体のクリエイティブディレクションを担当しています。どこかにすでにあるものの焼き直しではなくて、オルタナティブな場所にしたいという思いが強くありました。事務所も一緒に移転することになったんですが、自分たちも入居するならそれは外せない軸だなと。
その意味でクリエイティブなサウナづくりができるのは、日本一のサウナ屋さんであるサウナラボの米田さんしかいないと思っていたので、半ば強引に誘いました。(笑)

藤本さん サウナラボさんはこれまで名古屋が拠点で、2020年には福岡にもお店をオープンされましたが、東京に進出することには慎重になられていた印象でした。神田には他にもサウナ屋さんがあるし、そういうところも懸念点だったのだと思います。

でも最終的には、このまちには「サウナが必要だ!」と米田さんも使命感を感じてくださったみたいで。

――使命感! なぜそう思われたんでしょうか?

藤本さん 実際に米田さんを神田錦町にご案内して、いろいろ一緒に歩き回ったんですよね。

芝田さん 「隣は神保町で出版社が多くある街で、皇居も近いですよ」とかそんな話をしていたら、米田さんが「みんな行き詰まってますね。どうしてこのまちにはサウナがないんですか?」とおっしゃって。(笑)

――飛躍しますね(笑)。

藤本さん 詳しくはご本人が話されると思いますが、(#2に続きます)ご案内したときに「自分が助けなきゃ!」と思ってくださったことがこちらに伝わってきて。そのあたりからは米田さんも、きっと錦町に来てくれるんだろうなと思っていました。

池田さん 今回サウナは地下につくっていますが、その地下空間自体にもわくわくしてましたね。

芝田さん 地下というのは一般的には使いづらいと思われがちなんですが、精興社さんのビルはもともと倉庫として使われていたので天井が高くてなかなか魅力的な空間なんですよ。

2019年7月5日。ビルを視察する米田さん(右)と藤本さん(左)

藤本さん それを今回、一階の床を一部抜いて縦に広い吹き抜けにリノベーションしました。ちょっと地下に降りていってみたくなるような仕掛けをつくっています。

池田さん 米田さんを口説いていた頃、ちょうど一緒にフィンランドビレッジに「ピットサウナ」という半地下のスモークサウナをつくったばっかりだったんですよね。半分地中に埋まっているような見た目で、サウナ小屋の上に土を盛り上げてつくるサウナなんですけど。

――そんなサウナちょっと見たことないです。

池田さん スモークサウナは最古のサウナのかたちで、日本ではここが初めてです。土とか大地というのはそれ自体が生命を象徴するようなものですよね。死んだ生き物は地中でバクテリアに分解されて再生していく。そういうイメージがぼくらの中にあって、そこから今回のサウナでも「根っこ」がいいんじゃないかという話を米田さんが提案してくれました。

――大地に根を張るように、サウナがこの施設を支える存在だ、というのはティザーサイトにも書かれていましたね。

池田さん 個人的には米田さんがサウナをつくって、同じビルにぼくが入居するっていうのは、長年考えてきたことだったんですよね。神田ポートビルの話がでるずっと前から、「タオル出す係とかやるから、このビル買ってサウナつくって」って、口癖みたいに言ってました。ほんと言っとくもんだなあ〜(笑)。

藤本さん それで最後には、ほぼ日の糸井重里さんまで来てくれることになっちゃいましたからね。

池田さん そうそう。

――ほぼ日さんは2・3階で学校を開校されますね。どういう経緯だったんですか?

池田さん ぼくがいろんなひとにいまサウナをつくってるという話をしていたら、糸井さんから「なんかいけちゃん、その話面白そうだ」って食いついてくれて。「そうでしょう? 神田錦町にサウナをつくるんですよ。そのプロジェクトってまちをつくるようなことなんですよ」って話をしていたら、2週間後くらいに電話がかかってきて、

              糸井さん「いけちゃんどこに引っ越すっていってたっけ?」

              池田さん「神田錦町です。」

              糸井さん「時間ある?」

              池田さん「あります。」

              糸井さん「ちょっと見に行きたいんだけど。」

              池田さん「わかりました。お迎えにあがります。」

って言って、その日曜日に実際に見に来てくれたんです。そのときの写真もあります。

(2019年8月11日撮影)

藤本さん 池田さんから写真と一緒に、「みなさん期待しないでください。糸井さんは別にここに引っ越すとは言っていません。なんとなく神田に興味があるようです。それだけなので入居するわけでは絶対にありませんので!!」というメッセージが送られてきて。(笑)

池田さん そしたらその次の日か次の次の日くらにはもう決断していて、糸井さんから「ここに学校をつくったらいいんじゃないかな」って言われました。

――ほぼ日さんが錦町に来るかもしれない!

藤本さん このまちづくりを通じてどんな人に錦町に来てもらいたいか、という話をしていたときに、ペルソナとして糸井さんの名前も挙がっていたんですよ。

芝田さん そのときは半ば冗談みたいに話していたのですが、本当に来てくれたらスゴイことになるぞとワクワクしている自分もいて、それが現実になった瞬間でした。

池田さん 糸井さんはもともと神田っていうまちが大好きだったんですよね。おいしいものがたくさんあるから。

藤本さん 神田のまちにも惹かれていたし、「サウナがあるから入るんだよ」ともおっしゃっていましたよね。

池田さん 糸井さんには何度も気仙沼で『サウナトースター』を体験してもらってますからね。サウナがキャンプとかアウトドアという自然の要素とつながることを知ってくれていたので、それがまちにできることも楽しいと思ってくれたポイントだったと思います。

『サウナトースター』に入り、気仙沼の海に飛び込む糸井さん(右)と池田さん(左) 撮影:ただ

藤本さん 芝田さん的には、ほぼ日さんが入って大人のための学校を開くという展開はすごくありがたかったですよね?

芝田さん それはもう。テナントを募集するのに、アカデミックな文脈に合うような企業が入居してくれたらいいな、ということをぼんやり考えていましたが、いまひとつ強い打ち出しができないでいて。

藤本さん 米田さんはそれこそサウナの求道者みたいな方なので、ある意味アカデミックではあるんですが、芝田さんとしては、どうすれば一般により伝わりやすいストーリーとしてアカデミックをつなげられるかということに頭を悩まされていました。そしたら「ほぼ日の學校」というアカデミックのほうが向こうから入ってきちゃった(笑)。

芝田さん そうなんです。アカデミックとどうつなげるか、というかもう学校そのものがくる、さらにそれがほぼ日さんのやっている、大人のための学校という他にはないコンテンツだぞ、というので非常に興奮しましたね。

――最後のピースがカチッとはまったような感じですね。

池田さん 全部藤本さんの掌で転がされてます。

藤本さん いえ、サウナの神の掌です。

池田さん 神田ポートビルのおもしろいところは、携わるひとみんなサウナが好きだってことなんですよね。その前提こそが今回のクリエイションをおもしろくすると思っています。

いよいよメンバーが出揃い、一緒にビルを視察したときの集合写真(2019年12月10日撮影)

****次回#2は、神田ポートビルが実際どのような機能を備えるのか、サウナラボ / ウェルビー代表の米田行孝さん、ほぼ日の學校長の河野通和さん、内装などのデザインを担当する建築家の須藤剛さん、ゆかいの小林知典さんの4名でお話しいただきます。お楽しみに。

Text: Hazuki Nakamori
Photo: Masanori IKEDA, TADA, Yuka IKENOYA(YUKAI)

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