たてもの編/グレーター神田の中央に座す、ここに集まってできること
この街に神田ポートビルができるまで#2
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2021年春、神田錦町にサウナを備えたかつてない複合施設「神田ポートビル」がオープンします。施設の中心にあるのはサウナですが、その他にも写真館や学校があり、神田錦町にこれまでなかったような、いや、どこの街にもないようなオルタナティブな場所と言えるかもしれません。
この連載では、ちょっとのれんをくぐってはおしゃべりしていくように、神田ポートビルにかかわるさまざまな人が、入れ替わり立ち代わりで登場。神田ポートビルがどんな場所になっていくのか、お話ししてもらいます。
第2回は、それぞれのスペースを中心になって運営するみなさんにお集まりいただきました。2・3階に教室スタジオをオープンするほぼ日の學校 學校長の河野通和さん、1階でオルタナティブスペースと写真館を運営するゆかいの小林知典さん、地下1階にサウナを出店するサウナラボ ウェルビーの米田行孝さん、そしてビル外観・内観のデザイン設計をしている建築家の須藤剛さんの4名です。
それぞれ機能はまったく異なるけれど、同じ建物に集まることで、神田ポートビルはどんなことができる施設になるのでしょうか。
ほぼ日の學校長
河野通和(こうの・みちかず)
岡山県岡山市生まれ。編集者。東京大学文学部ロシア語ロシア文学科卒業。中央公論社および中央公論新社にて、雑誌『婦人公論』『中央公論』編集長などを歴任。その後、新潮社にて『考える人』編集長を務め、2017年4月に株式会社ほぼ日入社。今回は2・3階に教室スタジオをオープンする「ほぼ日の學校」で學校長を務める。
https://school.1101.com/
サウナラボ / 株式会社ウェルビー 代表
米田行孝(よねだ・ゆきたか)
愛知県名古屋市生まれ。サウナ界のゴッドファーザー。日本サウナ・スパ協会理事。日本最大級の野外サウナイベント「SAUNA FES JAPAN」を主催。ウェルビーの2代目として名古屋、福岡でサウナとカプセルホテルを4店舗展開するほか、2018年には女性専用サウナ「サウナラボ」をオープン。今回はB1階スペースに実験的なサウナをオープンする。
http://saunalab.jp/
須藤剛建築設計事務所 代表
須藤剛(すどう・つよし)
埼玉県生まれ。法政大学工学部土木工学科卒業。北川原温建築都市研究所、ジャムズなどの設計事務所を経て2012年、須藤剛建築設計事務所設立。デザイナーとして参画した『BUNKA HOSTEL TOKYO』(2015)がグッドデザイン賞を受賞するほか、代表作に『ハウスSY』(2017)、『狛江の住宅(2018)など。藤本信行さんとは玉置浩二会を結成する仲。今回は、ビル外観・内観のデザインを監修する。
http://tsudou.jp/
ゆかい マネージャー
小林知典(こばやし・とものり)
茨城県生まれ。ゆかい代表の池田晶紀さんとは学生のころからの付き合い。ゆかいでは、所属クリエイターのマネージメント業務を行う。今回は1階に構える「あかるい写真館」の他、神田ポートビルで開催する展示やイベントなどの企画・運営を担当する。https://yukaistudio.com/
――第1回は神田錦町になぜこのメンバーが集まり、サウナをつくることになったのかをお話しいただきました。今回は、神田ポートビルがどんな機能をもったスペースになるのか、お伺いしたいと思います。ではまず、ほぼ日 河野學校長からお願いします。
河野通和さん(以下、河野校長) 「ほぼ日の學校」は、古典を学ぶ場として2018年1月にスタートしました。授業では、シェイクスピアにはじまり、歌舞伎、万葉集、ダーウィンなど……各講座にいろいろなジャンルの講師を招いて工夫を凝らした授業をやってきました。
よりたくさんの人にそのおもしろさを届けるために、2021年春に「ほぼ日の學校」はアプリとしてリニューアル開校する予定です。そこで配信していく授業を収録したり、人が交流するサロンにもなる「教室スタジオ」が、神田ポートビルにできました。
米田行孝さん(以下、米田さん) ぼくも授業、聴きたいです。
河野校長 ぜひいらしてください。
――どんな授業が受けられるのでしょうか?
河野校長 学校と名付けていますが、単位や資格を出すわけではありません。有名無名を問わずいろいろな方々に講師になってもらいたいと考えています。その人自身の生き方を聞く授業もありますし、たとえば健康やビューティなど、生活まわりで「いまさら聞けないけど、知りたいこと」を教えてもらう授業があってもいいですよね。キャッチボールの仕方とか、おむすびのにぎり方とか‥‥。
――古典以外の授業もあるんですね。
河野校長 はい。おむすびはあんまり固く握らない方がいい、あれは空気が大事なんだ、とか。そういう話をしてもらう。これまで見よう見まねでやってきたことを改めて習ってみると、こんなにも世界が広がるのか! という体験をみなさんに実感してもらえるのではと思っています。古典は引き続き大事にしていきたい太い柱ですが、あくまで要素のひとつと考えています。
米田さん 楽しみです!
河野校長 リアルな教室スタジオには、ぜひ神田のまちの方々にも来ていただきたいと思います。神田ポートビル内の違うフロアともコラボして、授業ができればおもしろいかと。米田さんには、講師としてサウナの話をしていただきたい!
米田さん それはおもしろそう。個人的には、サウナって意外とアカデミックなことと相性がいいと思ってるんですよね。
●アカデミックとサウナの良いバランス
――サウナとアカデミック、ですか?
米田さん サウナというと、サウナ室を思い浮かべられるかと思います。でもぼくはサウナって、「身体的な感覚を取り戻す」ことだと考えています。
で、おもしろいのが、身体的感覚を求めている人って、じつは同時に頭を使っていろいろなことを学びたい人でもあることが多いみたいなんです。
河野校長 そうなんですか。
米田さん はい。ぼくが所属している日本サウナ・スパ協会では、「サウナスパアドバイザー」という資格制度を設けています。はじめて3年くらいなのですが、もう1万人に届きそうなくらい資格取得者がいます。思ったより反響があるんですよね。1万5000円の受験料がかかるその上位資格の「サウナ・スパプロフェッショナル」も、すでに1000人以上の方が取得されています。多くのひとは、身体と頭の両方を使って良いバランスを取りたいんじゃないかな。仮説ですけど。
須藤さん たしかに考え込みすぎて行き詰まっちゃったときに、サウナに入って身体的な刺激をばこんって入れると、情報が整理されて頭がすっきりするような感覚ってあります。
米田さん そうですね。だから今回、知的な刺激を与えてくれる「ほぼ日の學校」とサウナが一緒のビルに入っているというのは、なかなかおもしろい化学反応があるんじゃないかと思っています。
河野校長 サウナに入ってすっきりしてから学校へ来ていただく、あるいは学んだ後にサウナでリラックスしてから帰っていただく、とかビルの中でいろいろな流れができそうです。
●神田にはサウナが必要という使命感
米田さん ぼくがサウナラボのミッションとして掲げているのは、「街にサウナという木を植え、森を育て人々に元気を届ける」ことなんです。先ほどサウナは身体的な感覚を取り戻すことだと言いましたが、もともと森の中で楽しまれていたサウナをまちにもってくることは、現代の生活の中で自然を感じる体験をつくることだと思ってサウナをつくっています。
――サウナが「自然体験」というのは、池田さんや藤本さんもおっしゃっていました。
米田さん はい。ゆったり自然を感じる時間がとれない現代人は、自分の身体との対話を忘れがちです。PCやスマホの画面とばかりにらめっこするから、ばーっと脳に血が集中して身体が冷えたり心の不調を感じたりする。やれコロナだデジタルだってなれば、これからもっとそういう人が増えてくると思います。
こんな時代だからこそ、まちの中にサウナという自然が必要なんです。中でも東京は忙しく働いている人が多いまちですから、一番サウナを必要としているはずなんです。だから、今回、神田にサウナをつくるというのには、使命感というと大げさですが、なんだかそれに近いものを感じています。
――熱い。米田さんから湯気が見えるようです。いまつくられているサウナについて教えてもらえますか?
米田さん えーっと、内緒です。というか、正直に言うとまだ決まってなくて(笑)。ね、須藤さん? (※取材は2020年11月)
須藤さん これからですね(笑)。今回わたしは藤本さんからのお声がけで、ビルの外観と内観のデザインを担当しています。デザインといってもサウナ室をかっこよく仕立てるとかそういうことではなくて、神田錦町というまちにとって神田ポートビルはどうあるべきか、というもう少し大きな視点から考えています。サウナについてはサウナ室から出たあとも含めて体験全体を設計しているような感じです。
――家に帰るまでがサウナ、ということですね。
須藤さん そうです。サウナ室の部分はその道のプロである米田さんに完全にお任せしていて、米田さんのアイデアをわたしたちが図面に落としていくような流れで進めています。 米田さんのサウナって、ほんとうに奇想天外なんですよ! 世の中にある一般的なサウナをコピー&ぺ―ストするんじゃなくて、「サウナとはこうあるべき」という米田さんの思想からつくられているんです。
そのユニークさをお伝えするのに、ここでちょっとぼくのサウナ人生の始まりについてお話しさせてください。
――お願いします。
●心地よさから生まれるアートなサウナ
須藤さん 神田ポートビルのプロジェクトの視察で、2019年の3月16日に名古屋へ行ったんです。もちろん目的は、米田さんのつくったサウナラボです。もちろんそれまでにもサウナに入ったことはあったのですが、サウナラボのサウナは、明らかに自分の知っているのとは違う世界で、衝撃を受けました。
河野校長 どういうところが違ったんでしょう?
須藤さん 普通サウナって、だいたい小さな四角い部屋に扉を開けて入って、ベンチにしばらく座って出てくる、という形式ですよね。
河野校長 はい、そうですね。
須藤さん それがサウナラボにあるサウナっていうのは、かがまないと入れなかったり、一人用にすごくコンパクトにつくられていたり、上から覗けたりと、とにかくいろいろな種類があるんです。おそらくは茶室や洞窟、フィンランドに歴史的に伝わるものからインスピレーションを受けられているのだと思うのですが……。
河野校長 ちょっと想像がつかないですね……。
須藤さん 建築をやっているとスケール感というのをたたきこまれるので、その建築を見ればなぜこのようにつくられているのかだいたい理解できるんですが、サウナラボは今までのそれとは全く違うものだったんです(笑)。
米田さん ぼくがサウナをつくるときは、浮かんだイメージをイラストにして、スタッフと一緒に現場に行って「ここはもうちょっと天井を高く」、とか「洞穴になってたらおもしろいよね」とか話しながら、その場でどんどんつくっていっちゃうんです。図面を描かないから、めちゃくちゃといえばめちゃくちゃなんですけど、「心地よさ」っていう身体的な感覚をいちばん大事にしています。
須藤さん ほんとそれって設計者の理想の姿勢だと思うんです。米田さんのサウナは、「ここからここに直接行きたいな」とか、「ここに水が落ちてきたら気持ちいいだろうな」といった、その場で感じられたものが、そのまま形にされているんですよ。
米田さん 須藤さんにはご苦労おかけしております(笑)。ぼくはたぶん論理的思考に欠けていて、言語化が不得意なんですよ。だからきっと古典を学ぶといい(笑)。
河野校長 あはは。
須藤さん サウナラボには藤本さんと一緒に行ったんですが、アイスルームっていうサウナラボにしかない冷凍室みたいな部屋で、米田さんの意図について、ああでもないこうでもないと議論が白熱しました。
でも、最終的にはまあいいかっていう瞬間がやってきて…(笑)。
米田さん 気持ちよくなっちゃったんだ(笑)。
須藤さん はい(笑)。「ととのう」っていう感覚をサウナラボではじめて味わいました。
米田さん よかったです。今回、須藤さんたちと一緒にサウナを形にしていくのは、これまでにない挑戦だしとても楽しんでいます。
ところで河野校長はサウナはお好きですか?
河野校長 サウナは好きですよ。だけど、よく汗の出るお風呂、というくらいの認識でした(笑)。ただ、ぼくはロシア人との付き合いがわりにあるんですが、彼らは何かというと「サウナで話そう」って言うんですよね。あ、スパイとか怪しい人たちじゃないですよ。
一同 あはは。
――フィンランドでも外交にサウナが使われると聞きました。
河野校長 そうそう、裸の付き合いっていうんでしょうか。サウナへの愛というのが、ぼくが日本で感じているのとはまるで違うレベルで彼らの中にはあるんですよね。世界は広い。
米田さん サウナは深い。
河野校長 いやはや、ほんとうに。米田さんがつくられるサウナが楽しみですよ。
米田さん 神田でも、複数のサウナをつくるということは決めてあります。名古屋・福岡のサウナラボにある「フォレストサウナ」や「アイスサウナ」なんかの定番に加えて、今回は「OKEサウナ」と「IKEサウナ」というのを考えていますよ。
――桶? 池??
米田さん ふふふ。詳しくは実際のサウナを楽しみにしてください。
●ビルを横断した企画も計画中
――「ゆかい」は神田ポートビルに事務所を移転するとともに、1階のオープンスペースと接続する形で写真館をつくりますね。どんなスペースになるのでしょうか?
小林さん そうですね。まず、ゆかいのことを少しご紹介しますと、写真とデザインの会社です。池田の他に2名の写真家がいて、ぼくのようなマネージャーがいます。クリエイティブの仕事をメインにしながら、自分たちでも展覧会など発表活動を行ってきました。今回、1階は「神田ポート」という、全体をオルタナティブなスペースとしてトークイベントや展覧会、ワークショップ、フリーマーケットなど、自分たちの知りたいこと・やってみたいことを中心において、なんでも自由に企画していきたいと思っています。
小林さん 池田はよく、写真家は人に会いに行くのが仕事だ、という言い方をするんです。「こんこん」と扉をノックするのが役割なんだと。
――すてきな言い方です。
小林さん これまでに『いなせな東京』プロジェクト(#1)で、神田の方々と築いてきた関係がありますが、今度はこのまちにぼくら自身がおじゃまして拠点をもつことになります。なので、神田ポートビルでは、こちらからまちに扉を開いて、人と人が出会えるスペースになるような企画をやっていきたいです。
米田さん うちと連携して「保育サウナ」なんかできたらおもしろいかも、と話をしていますよ。
――「保育サウナ」ですか?
小林さん お母さんが居心地のいいサウナでゆっくりしてもらっている間に、お子さんをお預かりして一緒に工作のワークショップをする、というアイデアです。ちゃんと保育士さんにもきてもらって。ここで子育て中のお母さんに一人でリフレッシュする時間をもってもらえたら、と。
――いいですね。写真館についても教えてください。
小林さん これも以前から継続してきた「あかるい写真館」というプロジェクトです。写真館ってまちに必ずひとつはあって、七五三とか入学式とか、節目節目で訪れる場所です。なので、新たに誕生する神田ポートビルがどうまちに溶け込んでいけるかということを考えるときに、きっと役に立てると思うんです。
●グレーター神田(広域神田圏)の中央にある、神田錦町
――みなさん神田錦町のまちについてはどんなポテンシャルを感じていますか?
米田さん そもそも最初は、このまちというか東京についてぜんぜん知らなくて、そこにいるちょっとお節介な写真家の池田晶紀さんに連れてこられたんですよね(笑)。いけちゃんがつくったカメラサウナを神田錦町でお披露目するからって呼ばれて(#1)。
(脇にいる池田さん、頭をかく)
米田さん おもしろいから冷やかし半分で見に来たんです。それまではぼく、東京ってずっと自分とは関係のない場所だと思ってたんです。名古屋から出ていない人間なので、東京といったらスーツを着たぎらぎらした人が六本木ヒルズを闊歩しているようなイメージしかなくて。
でも実際に神田錦町に来てみたら、美味しいものもあれば楽しいひともいて。自分の好きな古本屋さんやレコード屋さんもありました。
――神田錦町が米田さんの東京のイメージを塗り替えたんですね。
米田さん そうなんです。それで気がついたら、いけちゃんにそそのかされて、いつのまにかここにサウナをつくることになってた(笑)。
須藤さん たしかに神田錦町って、すごく奥行きのあるまちですよね。古本のまちである神保町に、皇居や美術館などがある竹橋、そしてビジネス街の大手町、大学のある御茶ノ水などが周囲にあって、アクセスがいい。歩いていろいろなところに行けるし、逆に向こうからも来られます。
わたしとしては、神田ポートビルが交点になって、それぞれのエリアの要素を重ね合わせていけるといいなと思っています。
河野校長 なんかね「グレーター神田」というものがあるとしたら、その中央に神田錦町はあたるんじゃないかな、と思います。大きな「神田」というエリアの中に、御茶ノ水もあって、神保町、竹橋、皇居、丸の内、大手町、日本橋、秋葉原など周囲をぐるんと含めたときに、中心は錦町だと吹聴したい(笑)。
――グレーター神田の中心に、錦町はある。
河野校長 はい、そうなるといいなと思います。ぼくは新潮社に移る前、1年半ほど小川町に通う時期がありまして、そのときに神田というまちの広がりと、掘れば掘るほどいろんなものが出てくるおもしろさを改めて知りました。このまちには、歴史的な地層みたいなものがあるんですよね。
小林さん ぼくは、このプロジェクトがきっかけで神田錦町に来るようになりましたが、たしかに地層を掘り当てるというか、そこに新しい層をつくっていく楽しみもあるまちだなと感じています。精興社さんや竹尾さんなどの古い企業がたくさんある一方で、美味しいカレー屋さんとか喫茶店なんかのお店もあって、知れば知るほど層の厚みを感じます。
河野校長 じつは精興社さんにはたいへんお世話になったご縁がありまして‥‥。むかし勤めていた出版社の刊行物を印刷してくださっていたんですよね。最初に神田ポートビルの場所として案内されたときは、あまりにも驚いたので、ぐっと飲み込んであまり人には言ってなかったんですが‥‥。
――そうなんですか!
河野校長 はい、そうなんです。なので、学校を展開するにも、このエリアがもっているポテンシャルを借りたほうが絶対におもしろくなると確信しています。来てくれる人の層も、青山の時代より幅広いものになるのでは。多様性ってパワーなので、それを学校として迎え入れたいです。
小林 一方で錦町って、ちょうどいい規模感じゃないですか? このまちで長くお店をやっているひとたちがいて、できあがっている。だからちょっとあのまちの仲間に入ってみたいと思わせるところがある気がします。
河野校長 それはそうですね。小川町に来ていたとき常々思っていたのが、ここには東京が失ってしまった「ひとの生活」があるなということです。明治の近代化以降、東京っていうのは西へ西へとどんどん開発が進みました。特に戦後はそうですね。驚くほど、住む場所と勤め先が離れてしまった。そこである意味、わたしたちはかなり無理をしたり犠牲にしてきたものがあるわけです。
――はい。
河野校長 そう考えた時、神田というエリアには「まちあるき」の楽しさも残っているし、自由でゆるやかな、プラットフォームの可能性を感じます。まちに「いらっしゃい」とひとを迎える仕掛けがあれば、みんながここへ新たな楽しみを求めて来たくなるような要素があるんじゃないか。新しくて懐かしい「ひとの物語」と出会うために、みんながまた集まってくるんじゃないかという予感があります。
米田さん そもそもサウナっていうのも、生活の中にある施設ですからね。でも普通、合理性や効率性が重視されるまちづくりで、「サウナを呼ぼう」とはならないじゃないですか(笑)。ここを借りてるから言うワケじゃないですけど、やっぱり安田不動産さんはすごいと思うんですよ。ちゃんと時代の変わり目を読んで、ぼくに声をかけてくれた。これからのまちのデザインには「心地よさ」が必要だと捉えてくださっているからだ、と思っているんですけれど。
●クリエイティブがこのまちにできること
――神田ポートビルは、既存のビルをリノベーションしてつくられるんですよね?
須藤さん そうですね。でも今回は、外観はあまり大々的に変えていません。「うーん、前と一緒?」と思われるくらい(笑)。
河野校長 スクラップアンドビルトではなく、「残す、伝える、つなぐ」ということのなかにこのビル全体があるなって気がしますよね。「ほぼ日の學校」で目指すことともつながってくるのですが。
須藤さん そうですね。ビルは築56年なんですが、「建設当時に戻ったんじゃないか」みたいな自然さがあると思います。リノベーションとしてはかなりマニアックですね。
――何を変えて何を残したんでしょうか?
須藤さん たとえば、ビルのエントランスを入ると階段があるんですが、そこに使われている「テラゾ」という素材は残しました。要は人の手で研いだ大理石なんですが、現代で同じことをしようと思うとすごくお金がかかることなんです。60年代当時は輸送のコストなどより人の手の方が資源として安かった時代だからできたことで、そういうところはやっぱり引継ぎたかったんです。
河野校長 それは「残す」と同時に「記憶を呼び覚ます」ようなことですよね。
須藤さん そうですね。古い技術から学ぶような作業ですね。
――まさにそれこそ「古典」を学ぶようなことかもしれません。
河野校長 単にモノを保存するようなことだけではなくて、クリエイティブな目が入ることで、積極的に歴史を掘り返すような動きがでてくる。かつてこのまちのなかで営まれていた生活とか、土地に根差した記憶をよみがえらせて未来につなげることも、この神田ポートビルのプロジェクトを通じてやっていけたらと思います。
Text: Hazuki Nakamori
Photo: Masanori IKEDA, TADA, Yuka IKENOYA(YUKAI)