神輿をつなぐことで、この街がこの街であり続ける| 三崎稲荷神社例大祭 前編
神田の街には、ビル群の狭間や路地の一角に、数百年の歴史を刻む神社が佇む光景がよく見られます。
水道橋駅から徒歩2分。東京ドームのお膝元に静かに鎮座する「三崎稲荷神社」もその一つ。創建は鎌倉時代にさかのぼるとも伝えられ、江戸時代には参勤交代の旅人たちが旅の安全を祈願する神社として親しまれてきました。かつては南極観測へ向かう船員たちも、この社に祈りを捧げて出発したことで知られています。
そんな三崎稲荷神社では2年に一度、地域の繁栄を祈願する「三崎稲荷神社例大祭」が5月に開催されます。水道橋駅から神保町駅の間に広がる氏子地域(氏神が守護する地域)である9つの町会がそれぞれの半纏に身を包んで神輿を担ぎ、街中を練り歩いて活気と熱気を届けていきます。

これまでオープンカンダでは神田祭や太田姫稲荷神社例大祭など、神田エリアでのお祭りを紹介してきましたが、それらとはまた異なる風景を生み出す、三崎稲荷神社例大祭。
街の移り変わりを受け止めながら、伝統を守り続けることは、この街にとってどんな意味があるのか。
誇りと使命を背負いながら生み出される、唯一無二の風景がそこにありました。
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三崎稲荷神社例大祭がこれまで受け継がれてきた背景には、氏子である9つの町会からなる三崎神社氏子青年会と、祭礼を司る三崎稲荷神社の両者による支えがあります。今回、同会で副総務を務める高橋迪悠さんのご紹介で、会長の高橋信弘さんと、三崎稲荷神社宮司の山﨑充彦さんへの取材が実現しました。
インタビュー 其の一
三崎稲荷神社例大祭の担い手・氏子青年会
三崎稲荷神社例大祭を長年支えてきた三崎神社氏子青年会。高層ビルが並ぶ都会的な地域でありながら、各町会には昔ながらのつながりと、祭礼を大切に受け継ぐ文化が今も色濃く残っている側面もあると言います。
まずは、例大祭の準備・運営に携わる同会会長の高橋信弘さんと副総務の高橋迪悠さんに、この祭りが持つ意味や街とのつながりについて伺いました。

●9町会で担ぎ上げる、2日間の大祭
——三崎稲荷神社自体は決して大きな神社ではありませんが、例大祭は地域に広く展開され、活気に溢れる印象があります。改めて、例大祭の特徴を教えてください。
高橋信 三崎稲荷神社の例大祭は、氏子である9つの町会が集まって行われます。氏子は、神田三崎町町会、神田三崎町一丁目町会、西神田町会、神西町会、北神町会、西神田三丁目町会、神保町一丁目北部町会、神保町三丁目町会、一神町会の9町会。水道橋駅から神保町駅に広がるエリアに属しています。
高橋迪 エリア全体を歩いても20分程度の距離なので、氏子九ヶ町が一体となって進めている点が三崎稲荷の特徴です。町会同士の距離が近く、地域のつながりも深いため、綿密な連携が取れていると思います。

——当日はどういった動きになるのでしょうか。
高橋信 例大祭は「連合宮入り・連合渡御」と「宮神輿渡御」の2日に分けて行います。
1日目は、9町会それぞれの町神輿が集まり、順次宮入りを目指す「連合宮入り」ののち、9基の神輿が連なって渡御をする「連合渡御」を行います。今年は白山通りと靖国通りを封鎖して、9基の神輿が並んで神保町交差点に向かうという初めての試みです。
2日目は「宮神輿」、つまり三崎稲荷神社の神輿を、各町会が順々に受け取って自分たちの町内を担ぎ、9町会が力を合わせて宮入りを目指します。
高橋迪 1日目は9基の町神輿が一堂に会す光景が圧巻ですし、2日目は9町会でともに宮神輿の宮入りを目指す時間もとても白熱した場になります。運営側としては終日気が抜けませんが、2日間通して見所がありますね。

●例大祭を支える、氏子青年会の使命
——氏子青年会は、どういった組織なのでしょうか。
高橋信 三崎神社氏子青年会は、三崎稲荷神社および氏子九ヶ町の有志によって結成され、まもなく45周年を迎えます。三崎稲荷神社の祭礼をはじめとする諸行事の伝統を受け継ぐとともに、氏子九ヶ町のつながりを深め、地域の活性化に寄与する役割の一端を担いながら、活動を重ねて来ました。その中でも、例大祭は最も大きく、中心となる行事です。
高橋迪 現在は氏子九ヶ町全体で約110名の会員がおり、例大祭を含むさまざまな行事の準備や運営は、執行部の皆様を中心に20〜30名ほどの会員が携わっています。例大祭においては、執行部の皆様は開催の1年以上前から会合を重ね、意見を出し合いながら検討をしていると伺っています。

——伝統的なお祭りとしてある程度形式が決まっている印象がありましたが、どういったことを検討されているのでしょうか。
高橋信 街の変化やこれまでの課題を踏まえて、開催方法を検討しています。特に宮入りは試行錯誤を重ねており、以前は「半纏を着ていれば誰でも担げる」という方針にしていましたが、地域外の担ぎ手も大勢入ってくるので、激しい状況になることが多くありました。
高橋迪 宮入りはいわば例大祭のフィナーレですので、担ぎ手の熱気も最高潮に達します。以前は、神輿に肩を入れたい人が一斉に集まり、担ぎ手同士の接触が多くなる場面もありました。それも例大祭ならではの熱気ではありましたが、地域の方が参加しにくくなる状況もあったため、現在は町会ごとに担ぐ区間を設け、より多くの方が参加できる形に少しずつ変わってきています。
高橋信 おかげで、年齢や性別を問わず、より安心して参加しやすくなったという声をいただいています。本当の意味での「地域のお祭り」に近づいてきたと感じますね。


——それによって、若い方や新しく移り住んできた方々にも開かれていくことにもつながりますね。
高橋信 そうなることを願っています。ただ現状は、マンションに単身で住んでいる方などにとっては「どうすれば参加できるか」「そもそも自分が参加していいのか」とわからない部分もまだあります。より気軽に参加できる仕組みを考え、地域に開かれたお祭りにしていきたいですね。
高橋迪 一方で、単に参加の間口を広げるだけでなく、長く地域に関わってきた方々の誇りや想い、祭礼が受け継いできた背景も丁寧に共有していくことが大切だと思っています。お互いを知り、理解を深めながら関わりを広げていくことが、街やお祭りの継続につながるのではないでしょうか。
——多くの方々が関わり、それぞれの立場や考えを調整しながら進めるなかで、氏子青年会として大切にしていることは何でしょうか。
高橋信 受け継いできたことをしっかり後世にもつなげなければならない、という想いは常に持っています。時代の変化に対応しながらも軸となる部分が揺るがないよう、お祭りのあり方を検討する。その姿勢を何より大切にしています。
高橋迪 先人たちがこの街のために尽力してきたことのおかげで、現在の安心・安全に暮らせる街があると思うので、自分たちの代も継承しなければならないと強く感じます。「伝統だから」という理由だけでなく、なぜこうした行事が街にとって大切なのかを論理的に言語化し、意義も伝え残していくことで、本質的な部分を大切にしたいですね。

——こうした無形のものを受け継いでいくことは、特に難しいところがあると思います。
高橋迪 この街では、言葉で説明するというよりも、先人の姿や行動を見ながら受け継いできた部分が多くあるため、次の世代へ背景や意義まで伝えていくことには難しさを感じることもあります。今後は写真や映像をアーカイブし、形として残していくことも必要だと思っています。
とは言え、すべてデジタル化すれば解決するわけではなく、バランスが大事。人がいるからこそ、その街らしさが生まれると思います。「あの人がいるから、この街らしさが感じられる」ということも、その街ならではの魅力であり色気です。人の存在や関係性も街を形づくる大切な要素として捉え、大事にするという姿勢が重要なのではないでしょうか。
——例大祭には体験するからこそ湧き上がる熱量や感情があると思います。そうした祭りのなかで、印象に残っている瞬間はどういったものでしょうか。
高橋迪 過去の例大祭で、この地域で長くお店を営んでこられたご夫婦が、その年を最後にお店を離れることになったことがありました。そこで、巡幸路にそのお店の前を組み込み、街の皆さんが声をかけながら神輿を渡御したところ、ご夫婦が頭を深々と下げて泣いていらっしゃったんですよね。その涙が何を意味していたのか、今でも考えることがあります。
お身体が悪くても周りに支えられながら神輿に肩を入れる高齢の方や、亡くなった両親の写真と一緒に見守るご家族を目にすることが毎年あり、そういった光景に、街の人が祭りに情熱をかける理由がある気がしていて。自分たちが祭りを絶やさずに続ける意義もそこにあると感じています。

●この街にとっての例大祭とは
——外から見るととても都会的なエリアですが、とても土着的なお祭りなんですね。
高橋迪 外の地域から見るとオフィス街の印象が強く、「住んでる人っているの?」と聞かれることもありますが、昔ながらの地域のつながりが今も色濃く残っている街なんです。
高橋信 田舎の共同生活と同じように、地域の人たちで力を合わせて取り組んでいるんです。例大祭は、街の歴史や街の人のことを深く知るきっかけにもなりますし、自分にとってもこの街の誇りとして身に染み付いてきた感覚があります。
——地域の方にとって、例大祭はどういった存在でしょうか。
高橋信 街の皆さん無償で何ヶ月もかけて準備をするので本当に苦労が絶えませんが、やらないという選択肢はあり得ない。この街がこの街であるための、街の一員としての「使命」の一つだと思います。
高橋迪 例大祭は神社の大切な祭礼であると同時に、地域にとっては故郷や人とのつながりを改めて感じる場でもあります。子どもの頃から参加してきた立場からすると、例大祭の光景を目にするたびに、この街にいる人たちとこの街で生きていくことを大切にしたいと思いますし、この街がいい街であってほしいと願わざるを得ないんです。
そうした気持ちを共有する場としてお祭りの存在があると感じますね。
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インタビュー 其の二
三崎稲荷神社・宮司の立場から

三崎稲荷神社の例大祭は、街の方々の尽力が要となりますが、その主体となるのはもちろん神社です。これまで街を見守ってきた立場として、さまざまな想いを汲み取り、今後の繁栄のために向かうべき方向を指し示す存在でもあります。
続くインタビューでは、三崎稲荷神社の宮司の山﨑充彦さんに、氏子青年会会長の高橋信弘さんとともにお話を伺いました。
●公平な立場から、祭りの価値を考える
——神社と氏子青年会の関係は、どのように機能しているのでしょうか。
山﨑 三崎稲荷神社としての例大祭となりますので、最終的な判断は神社側が行うことになります。ただし、主役は地域の方々だと考えているので、我々の立ち位置はあくまでも全体の確認役に近い立場です。
企画は氏子青年会の皆さんが中心となって考え、街の方々がやりたいことが実現できるよう、企画の意図を理解しながら、問題があれば折り合いがつく形に調整していく。街の方々とともに実現に向かっていくことで、本当の意味での「地域の行事」になっていくんです。
高橋 氏子青年会としては「地域の方々にとって楽しい形」をまず第一に考えて企画を練り、全体を俯瞰した宮司の立場から意見をいただくことで、よりよい形に企画を固めていく流れになっているんです。

——神社という立場として意識されていることは何でしょうか。
山﨑 平等であり、公平でいることを意識しています。例大祭にはさまざまな人が関わり、地域外に出てしまったけれど例大祭の日だけ参加するという方もいます。地域に長く関わる人も久しぶりに帰ってきた人も、一緒に集まり触れ合える場所があることがお祭りの価値であり、神社はそのつながりを支え、次の世代へと受け継いでいく役割を担っていると思っています。
また、地域からの企画に対して公平な視点で見ることも神社の役割です。今地域にいる人だけでなく、かつて住んでいた人も参加することを考え、俯瞰的に不足や不自由な部分を埋めていくことを意識しています。
高橋 本当にこちらが気付かないところまで見てくださっていて、日頃から多様な方を迎えている神社だからこそ培われている視点だと思います。
——宮司という立場として、例大祭という存在をどのように捉えていらっしゃいますか。
山﨑 お宮参りや七五三などのように、人生の節目に訪れる「ハレの場」に近いイメージを持っています。地域の方々全員が信仰心を深く持ち、毎日お祈りしているわけではないので、宗教的な行事というよりも、地域の人たちがつながる「きっかけ」の一つと捉える方が相応しいと個人的には思うんです。それがたまたま、神輿を担ぐ形をとっているだけと言いますか。
そういった意味で、例大祭は神社のものというよりは、地域の皆さんが一体となるきっかけとしてうまく活用いただき、大変でも終わった後に思い出になるようなものであるべきだと思っています。
高橋 実は私はこの地域に移り住んできた身ですが、町会に入ることでそれなりに地域の人たちの顔を知ることはできても、それ以上の関係性を広げることがなかなかできませんでした。
ところが氏子青年会に入り、例大祭に携わるようになったことで各町会の方と深く接する機会が増えていったんです。地域全体で共有できる思い出を持てたことで、街の一員として馴染んできたと身をもって感じます。


●祭りが存在していることの意義
——地域の繁栄を祈祷する場であり、実際に地域の連帯を強める場だからこそ、例大祭がこれまで大事にされ、受け継がれているように感じます。
山﨑 例大祭は、公共空間を使って大勢の人が集まる場をつくるだけあって本当に準備が膨大で、各町会や神社間のやりとりだけでなく、千代田区や警察との綿密な調整も不可欠です。それらもすべて地域の方々の尽力によって成り立っているわけですが、時間やお金をかけてまでも実施したいというところには、それだけの想いがあるということですよね。
高橋 当日まで問題が起きないか不安ばかりで苦労が絶えませんが、それを上回る熱量や感動を味わえることに尽きると思いますね。


——そうした苦労がありながらも、今後も受け継いでいくためにはどういったことが重要でしょうか。
山﨑 こうしたお祭りは、かつては親子三代で楽しむもので、おじいさんおばあさんがお孫さんを連れていき、お祭りの意味を語り伝えていたんです。今は核家族化が進み、歴史や意義が伝わりづらくなっています。ただ、伝える人がいなくても、続けてさえいれば興味を持った人が必ず知ろうとする。つまり、続けることが、伝えることになるんです。どんな行事も途絶えてしまえば伝達されることはなくなってしまいますから、存在し続けているということがとても重要だと思います。
高橋 コロナによって開催を見送り、4年もの期間が空いた際には大きな喪失感がありましたね。
山﨑 4年も空くと、地域を離れたり亡くなってしまう人もいるかもしれません。10年も空けば、どのようにして例大祭を行なっていたのか記憶が曖昧になり、熱量も途絶えかねません。形のないものだからこそ、人を通してつないでいくことが欠かせないのではないでしょうか。
高橋 地域の拠り所である神社から発祥したお祭りである、という歴史もしっかり受け継いでいくべきだと思います。この地域を見守ってきた存在であることが、地域の人たちの揺るぎない拠り所になっていることは間違いありませんし、その価値を年々感じていますね。
Text/Edit: Akane Hayashi
Photo: Yuka Ikenoya(YUKAI), Akiko Sugiyama