クリエイティブ編/名前とロゴから見る、神田ポートビルってこんな場所
この街に神田ポートビルができるまで #3
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2021年春、神田錦町にサウナを備えたかつてない複合施設「神田ポートビル」がオープンします。
不思議なきっかけとオルタナティブな面々によってできるこの場所は、一見した限りでは捉えどころのないようにも思えますが、ネーミングとロゴがその目指す先を射してくれています。
この連載では、ちょっとのれんをくぐってはおしゃべりしていくように、神田ポートビルにかかわるさまざまな人が、入れ替わり立ち代わりで登場。神田ポートビルがどんな場所になっていくのか、お話ししてもらいます。
第3回は、「神田ポートビル」の名付け親であるほぼ日の糸井重里さん、ロゴとサインをデザインしたアートディレクターの菊地敦己さん、そしてゆかいの池田晶紀さんと、このプロジェクトをはじめからずっと撮影してきたゆかいの池ノ谷侑花さんの4名です。このユニークな成り立ちのビルの魅力を、クリエイティブな視点から伺います。
ほぼ日 代表取締役社長
糸井重里(いとい・しげさと)
群馬県生まれ。コピーライター。広告コピー以外にも、作詞、文筆、ゲーム製作などの創作活動を行う。1998年にwebサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」(http://www.1101.com/)を開設。対談などの読み物や、手帳を筆頭にした商品の企画販売、イベントなど独自のコンテンツを届ける。2020年11月には本社を神田錦町に移転。今回は、「神田ポートビル」のネーミングを担当するほか、2〜3階に、2021年にリニューアル開校する「ほぼ日の學校」の教室スタジオをオープンする。
https://school.1101.com/
菊地敦己事務所 代表
菊地敦己(きくち・あつき)
東京都生まれ。アートディレクター、グラフィックデザイナー。武蔵野美術大学彫刻学科中退。在学中よりデザインの仕事をはじめ、2000年ブルーマーク設立、’11年より個人事務所。青森県立美術館や立川『PLAY!』などの施設や、ミナ ペルホネンなどファッションブランドのデザイン計画・アートディレクションを多く手掛ける。『旬がまるごと』(2007-12)や『装苑』(2013)、『日経回廊』(2015-16)などのエディトリアルデザインも担当、2020年には亀倉雄策賞を受賞するなどほか受賞多数。3331 GALLERYとスパイラルで行われた池田晶紀さんの個展では、キュレーションを担当した。今回はロゴとサインをデザインする。
http://atsukikikuchi.com/
ゆかい 代表
池田晶紀(いけだ・まさのり)
神奈川県生まれ。写真家・クリエイティブディレクター。写真とデザインの会社「ゆかい」を主宰。アーティストの活動と並行し、一般社団法人フィンランドサウナクラブ会員として、サウナの普及活動に心血を注ぐ。今回はクリエイティブディレクションを担当。また、ビルの1階に「あかるい写真館」を開館するほかオルタナティブスペースも運営する。通称「池ちゃん」。
https://yukaistudio.com/
ゆかい
池ノ谷侑花(いけのや・ゆか)
神奈川県生まれ。写真家。2012年、ゆかいに入社。雑誌、web、広告の写真の他、図工の教科書のドキュメントや、お笑い芸人のブロマイドの仕事がとても好評。ゆかいの仕事は、ワークショップやコミッションワークなど多岐に渡る為、写真撮影だけでなくプロジェクト企画の運営全てに関わっている。
みんなからは「池子」と呼ばれている。
●ほぼ日さん、神田へいらっしゃ〜い
――ほぼ日さんは今回、「ほぼ日の學校」の教室スタジオ開設とともに本社も神田に移転されました。どういう経緯があったのでしょうか?
糸井重里さん(以下、糸井さん) しばらく前から移転のことは考えていて、どこに引っ越そうかなと、いろんなまちをそういう目で眺めていたんですね。候補としては千駄ヶ谷や西荻窪などほかにあったんですが、どうもしっくりこない。
池田晶紀さん(以下、池田さん) 神田には、よくラーメンを食べに来てたんですよね?
糸井さん そうそう。もともとは大昔、『MOTHER』というゲームをつくっていた頃、須田町の向こうにあった任天堂の事務所に通ってたんです。最近はラーメンを食べにフラッと一人で来ていました。
あるときすごい土砂降りの日に、そのままびしょ濡れで帰るのが嫌だったので、駅に向かう途中にあった喫茶店に寄ったんですよね。
池田さん いまね、目の前に雨の日の景色が見えてますね。
糸井さん 店に入って、そこにポンっと座って。仕事をするわけじゃないけど、iPhoneとか持ってるわけだから、それでちょこちょことメールを見たりしてたんです。コーヒーを飲んでいるひとがいれば、本を読んでいるひともいて。そのときに流れていた空気がね、なんというか他所にはなかった。すごくよかったんですよ。
――どうよかったんでしょう?
糸井さん みんながいい感じに急かされないで、ただそこにいるんです。神田にはたくさん喫茶店があるけれど、どこの店に入っても、同じように落ち着いていられた。あの焦らなさみたいなものの正体は何なんだろう? と気になって、理由をしょっちゅう考えていたんです。わかったのは、お客さんが居慣れた人ばかりだっていうのと、店側に家賃がないことが多いんだな、と。
――なるほど。
糸井さん いまって、店は長居する客との戦いをやっているじゃないですか。チェーン店はとくにそう。あれは土地を借りて人も雇っているから、投下した資本を回収しないといけない都合ですよね。でも、神田のひとたちは自分の持ち家で商売をやっていることが多いから、かりかりしなくていい。昔はけっこうそういうまちが多かったけど、いまはみんな収益性の高い店に取って代わられて、貴重になってしまいました。
そういう神田の雰囲気を感じているうちに、うまく回すやり方があれば、いまの世の中でもそんなにあくせくしなくてもやっていけるんじゃないか、みんなこうなればいいのに、と思うようになって。
――はい。
糸井さん それにそういうことって、ほぼ日がやっていることや仕事の考え方と、わりに合うなと頭に留めていたんですよ。あ、まだ話長いからね(笑)。
それでしばらく神田がいいんだよ〜って言ってたんです。そしたらまたある日、池ちゃんに「神田錦町に、うまいご飯があるんですよって」っていつもの調子で連れて行かれたんです。
池田さん ほんとうまいんすよーって(笑)。
糸井さん そのときのメンバーっていうのが、じつは神田ポートビルかかわるひとたちだったんです。だまってご飯だけ食べていればよかったのに、ぼくはそこからまんまとそっちの話が気になりだして、「あれどうなってるの?」と聞いたりするようになっちゃって。
――まんまと。
池田さん そのときは、サウナとゆかいが入ることは決まってたんですが、まだ2〜3階にどういうひとに来てもらおうかを悩んでいたんですよね。でも、まさかほぼ日さんが入ってくれるなんてことは考えもついてなかった。本当です。
糸井さん 池ちゃんから神田のことをいろいろ聞いているうちに、ぼくもまち自体にどんどん興味をもつようになりました。
池田さん それで糸井さんと一緒に、神田ポートビルになる前の、精興社さんの建物を見に行ったんです。そうしたらビルを見上げた糸井さんが、小声で「ここに(ほぼ日の)學校が来たらいいかもな〜」とポロッと言って。
――言質、取ったり……!
池田さん それを聞き逃さなかった、というわけではないんですが(笑)、そこからは、もしそれが本当になったら奇跡みたいだなと妄想していました。
糸井さん そうやって移転のことについていろいろ考えていたら、ひとつずつの要素が神田に集まっていったんですよね。フルーツやナッツがいろいろ入ってるパウンドケーキってあるじゃない? 神田錦町にほぼ日の學校をつくることを考えていると、頭の中が、もうそんな感じで。
――わくわくと夢が広がって。
糸井さん そう。でも、ぼくらが当初考えていたほぼ日の學校のプランは、いまほど大規模ではなかったんです。だから神田ポートビルに入るには、うちとしても無理をしなきゃいけなかった。だけど、「學校をやるなら、それくらいのリスクとれよ!」と、言ってるもう一人の自分がこのへんにいるわけよ(笑)。
――葛藤があったんですね。
糸井さん サウナラボの米田さんも、相当先行的に投資をなさっていると思います。そうやってみんながリスクをとってこのプロジェクトに参加するわけだから、もっと先々を見据えましょうよ、って。神田錦町全体の土地を値上がりさせるくらい思い切った展望をもたないとつまんないよねって話をして、最終的にほぼ日の學校の場所を神田につくる決断をしました。
(池田さん、深くうなずく)
糸井さん ほぼ日のみんなも、神田でやってみたい気持ちがむんむんしてました。そうすると學校と本社が離れているより、近くにあったほうが使い道が圧倒的に増えるから、じゃあ次は本社の移転先だ! と探しはじめたら、なんと1軒目でビルが見つかったんです(笑)。
――もう、来い来いと言わんばかりです。
糸井さん ぼくの周辺のお調子者たちは、早くも「俺も神田へ行こうかな」と、言いはじめています。なぜみんながこんなにこのまちに惹かれるのかっていうと、ひとつには老舗の紙専門商社・竹尾さんがあったり、本のまちであるということが大きいと思います。ものを書く人やデザインする人だとかは、自然に興味をもつ場所なんですよね。
――たしかに。たしかに。
糸井さん ほぼ日はもともと青山にありましたが、いま考えると青山になければいけない理由はないんです。逆に、神田には何のためにここに場所を構えるか、という理由がものすごくあったんです。
菊地敦己(以下、菊地さん) えーっと、うちは青山のデザイン事務所で……。言うべきか迷ったんですけど(笑)。
●最初は「ジャングルビル」だった
――今回は、糸井さんがビルのネーミング、菊地さんがロゴとサインのデザインを担当されました。どのようなことを考えてつくられたんでしょうか?
菊地さん 当初は「ジャングルビル」という名前で進んでいたんですよね。
池田さん 安田不動産さんがリサーチして考えられた、「アカデミックジャングル」(くわしくは#1へ)というキーワードから、糸井さんが付けてくださったネーミングです。
糸井さん そうそう、第一段階ね。コンセプトについては、長年のリサーチでかなりしっかり地固めされていました。なので「アカデミックジャングル」というのを伺ったときには、もう全面的に賛成でしたよ。すでにしっかりいい土地が耕されていたから、ぼくはそこに種を持ってきただけです。
池田さん 一度は決まったのですが、コロナ禍で世の中の状況が一変してしまって……。これから世の中の価値観も変化していくだろうと予想されるなかで、「ジャングルビル」という名前は、なんていうかちょっと……
――浮かれている?
池田さん そうなんです。「祭りだ!」っていう感じがあって、このままでいいのだろうかと心配していました。それで、オープンまでの全体的なスケジュールを見直すタイミングで、糸井さんのほうから「ちょっと名前を変えない?」と提案いただいたときに、もう一度考える時間をつくったんです。
菊地さん ロゴデザインも一度は考え出していました。でも「ジャングル」という文字は扱いが難しくて、「大変だなこりゃ」と思っていたところでした。というのも、「ジャングル」ってすでにみんなの中に強い絵的なイメージがあるので、それをべつの何かに変換することが必要だったんですよね。
――なるほど。
菊地さん 「アマゾン」も、いまではみんなあの「Amazon」を思い浮かべますよね? でもサービスが登場するまでは、熱帯雨林の風景を思い浮かべていたはずです。なので考えやすさでいうと、「ポート」の方がすんなりいったかもしれません。
――「ポート=港」というネーミングには、どんな想いが込められているのでしょうか?
池田さん このあたりは広く捉えれば日本橋のほうともつながっていて、かつて港であった鎧橋から発展しててできた歴史があるそうなんです。
糸井さん そういう話をいろいろ聞いたり、神田錦町に頻繁に来たりするなかで、駅がいくつもあることが面白いなと思っていました。それってつまりは、ここからいろんな場所へ航路がつながっているということで。
ぼくは海とか船とかに例えるってことをよくやるんです。船というのは、港に停泊していてもひとときそこに留まっているだけで、ずっと動き続けているものですよね。そういう常に活動の中にいる、という印象が好きなんです。
――ほぼ日さんは社員のことを「乗組員」と呼ばれていますね。
糸井さん はい。それで今回の神田錦町のプロジェクトでも、まちに新しい動きをつくり出したいと考えるなら、「ポート」というのはいいんじゃないかと思いました。
船が港に立ち寄るようにみんなが神田にやって来て、利用してくれて、そして一方ポートを運営しているぼくたちは、ここに根をおろしながらひとびとを迎えたり送り出したりする、そんなイメージがわきました。
――なるほど。
糸井さん また神田錦町は、外の人からすると目的がないとなかなか行かない場所ですよね。だから目標になるランドマークが必要。神田ポートビルがまちの「灯台」になれたらいいよね?
池田さん 本当にそうですね。「陸だけど、ここに港をつくるんだ」っていう話を糸井さんから聞いたときは、さすがだなあ……と思いました。
糸井さん 船乗りにしてみれば、港に着くのって本当にうれしいことなんですよ。そのほっとする気分を、ここを利用するみんなにもってもらえたらいいなと思っています。
――神田ポートビルにはサウナもありますからね。
糸井さん そうそう。立ち寄った人はだれでも、裸になって疲れを癒せる。サウナからイメージがわいたところは、けっこうあるかもしれないです。
また港は、どこか猥雑さも兼ね備えています。たとえば、ヴィトンのスーツケースで旅する人も、密航していくような貧乏な人も、ネズミも、みんなを含んでいるということです。そこには「優しさ」がある気がするんですよね。
――糸井さんのネーミングを受けて、菊地さんはどう考えられましたか?
菊地さん そうですね、「ジャングルビル」のときと根本的なコンセプトは変わらなかったので、大きな軌道修正はなかったです。もともと描いていた、そこにいろいろな生き物が複数いるイメージで、今回のロゴも考えました。「みんな」といっても集まって同じ方向を向いているというよりは、それぞれが別の方向を向いているんだけど、なんか近くにいるみたいなことを表現できたらいいな、と。
それにぼくね、そもそもあんまりロゴが好きじゃないんですよ。
――どういうことでしょうか?
●「おでん串」のようなロゴにしたかった
菊地さん ロゴっていうと、一つの固まった強い象徴をたてて、それが全体のイメージになるようヒエラルキーをつくっていくのがデザインのセオリーです。でも、ぼくにはそれが体質的に合わないなと思っていて。
――はい。
菊地さん それよりも、並列されてるのが好きなんですよ。実際のところ、そうじゃないすか? 会社でも、社長だろうが平社員だろうが、本当はただ一人ひとりの違うひとが一緒にいるだけです。でも概念でヒエラルキーをつくってしまうから、ポジションが固まっちゃって組織が動かなくなる。
だから神田ポートビルのロゴは、異なるひとたちが雑居するおもしろさを、別々の具材が1本の串に刺さった「おでん串」みたいに見せられたらと思ってデザインしました。
――「おでん串」ですか?
菊地さん はい。ひとつの文字や形をとるというよりは、バラバラなものがバラバラなまま同居するロゴにしたかった。それこそが、いまの時代の集合のあり方かな、って感じがしたんです。
糸井さん いいですね。
池田さん 菊地さんは前にそれを「集合する楽しみ」って言っていたんですね。集合はするけど統合はしないっていう。
菊地さん いいこと言ってるね(笑)。
池田さん 俺は、そういうことを忘れないように覚えておく係だから(笑)。
菊地さんは良いものをつくるために、まずアイデンティティや概念までかみ砕いて考える人なんです。だから、つくってもらう方も説明をたくさんしなくちゃいけなくて大変。でもそこを理解してつくってくれるから、こういう素敵なものになるんですね。概念まで踏まえて考える大切さが、このロゴデザインを見たらわかります。
菊地さん こういうのは慣れなんです。でも、このロゴは自分でもおしゃれにできたと思ってます(笑)。
――「神田」「KANDA」「ポート」「Port」と、書体がそれぞれ違うようですが、どう選ばれたのでしょうか?
菊地さん 「ポート」の書体は、アメリカの東海岸で1950年代から毎年続く「Newport Jazz Festival」からイメージを取り入れています。「神田」という文字には、精興社さんのオリジナルフォント「精興社書体」を使わせてもらいました。
池田さん 最後ロゴを決めるとき、菊池さんはいろんなフォントでバリエーションをつくったパーツを持ってきてくれました。みんなで手を動かしながら配置やフォントを入れ替えながら、いちばんいい組み合わせを探したんですよね〜。
菊地さん そうでしたね。適当なプレゼンがばれますね(笑)。
池田さん あとそもそも「神田」という文字を組み入れたことは、けっこう大事でした。神田ポートビルだけではなく、神田のまち全体を盛り上げていこうという想いで今回動いているから、この「オープンカンダ」というウェブサイトもあるわけで。
――「神田ポートビル」が灯台として、まち全体を照らすわけですね。
池田さん そうです。これは「神田ポートビルの」看板なんですけど、ただ店の看板をつくったというのとは違う気持ちなんですよね。つまり店をつくるっていうことは、まちをつくることなので。
――どういうことでしょうか?
池田さん これは蕎麦屋の更科さんがホームページに書かれていた言葉なんです。まちで商売をしている人たちは、そのまちの景観をつくっているんだっていう意識をもってやらないといけない、ということです。ぼくも実家が写真館なので、この感覚はとてもよくわかるんですよね。
菊地さん 看板のイメージは、最初から自分の中にありました。スナックがいっぱい入っているビルに付いてるようなやつ。
――お店の名前がずらっと連なっているあれですね。
菊地さん はい、あのイメージが強くあって。最初にビルのパースイメージができたとき、バウハウスみたいなノリで「サウナ」って書いてあったんです。それはそれでかっこいいんだけど、リニューアルしたビルに、ただ大きな看板が一枚ポーンとあるっていうのには、違和感があったんですよね。
――それは違うな、と。
菊地さん はい。そうではなくて複数のパーツを組み合わせれば、それぞれが別の顔をもった、そんなには大きくない単位の集合体なんですよ、というのがちゃんと伝わるなと考えていました。
糸井さん それはとても、このまちっぽいですよね。
池田さん 「神田ポートビル」っていうネーミングが決まった段階で、「あ〜、まちに港ができるのか」ってイメージができて、それまでもやもやとしていた霧が晴れた気がしました。
●きれいなすっぴん写真、撮ります
――神田ポートビルは、ちょっとほかにはないクリエイティブな場所になりそうですね。
池田さん ぼくはここを、昔ニューヨークにあったライブハウスみたいに捉えています。誰でもステージに立てるんだけど唯一ルールがあって、コピーバンドではなく自分たちで作詞作曲した「オリジナル」をもっていることなんです。それをみんなで楽しむ場所になると思います。
――迎えるバンド側とやって来るお客さん側との関係について、同じことが神田ポートビルにも当てはまるということでしょうか?
池田さん そうですね。作品をつくるとかそういうことだけでなく、一緒にその場所で考えるというか。
糸井さん 池ちゃんが撮っている、「あかるい写真館」ってまさにそういう関係ですよね。あれって池ちゃんだけじゃなくて、写真に写ってる家族たちもクリエイティブをしてるんですよ。
――撮られている側もクリエイティブ?
糸井さん ほぼ日でもイベントをやってもらっていたけど、みんな池ちゃんと一緒に「つくる」って思ってるから、あの写真館に来たいんですよね。撮ってもらいに来る側で、言われた通りにやりますっていうひとは、あんまりいません。会話しながら、こうかな? ああかな? って共同でクリエイトする。そうすると、できあがった写真は、よそ写真館で見たのとはぜんぜん違うんですよ。
あ、それで思いついたんだけど、「すっぴんスタジオ」っていうのどう?
池田さん 「すっぴん」ですか?
糸井さん そう。「あかるい写真館」のメニューのひとつとして、すっぴんの写真撮りませんかっていう提案をするの。女性はサウナに入った後お化粧をどうするのかなって気になっていたんだけど、それを逆手にとったプランにしちゃう。
池田さん ビューティーコースっていうのは考えてましたけど、サウナ上がりにそのまま撮るっていうの、楽しいですね! プランを選べるようにするのはいいな。それやります。
糸井さん いつもだったらすっぴんで写真撮ろうと思わないだろうけど、そういう状態だからこそ引き出せる美しさもあるよね。きっと。それをプロに撮ってもらうっていうのは貴重なんじゃないかな。
池田さん たしかに。子どもが泣いちゃうから女性に撮ってもらいたいっていう要望があったりしますね。
糸井さん 写真館はものすごく可能性があると思うな〜。それこそ周辺にある大学の入学式や卒業式の記念に撮りに来てもらったり。あ、誕生日こそすっぴん写真を撮るのにすごく良くない? ほら、素肌のことをさ、バースデイスーツって言うじゃない。
池田さん へー。そんな言い方するんですか。
糸井さん うん。生まれたままの姿っていう意味だよね。素肌って誕生着なんだよ。
池田さん よし池子、やろう。
池ノ谷侑花さん(以下、池子さん) あ、はい。
――池子さんは今回、プロジェクトをずっと追いかけて撮影されていますが、写真館でもカメラマンとして常駐されるんですか?
池子さん はい、池田もわたしもいます。ゆかいを卒業したひとも含めて写真家が5〜6人いて、来たひとに選んでもらえるようになっています。
池田さん 写真館って入りづらい雰囲気のところもあったりしますが、今回は糸井さんのアドバイスを元に入りたくなる門構えをちゃんとつくる予定です。
糸井さん 表に料金表を出しちゃえば? って言ったんですよね。
池田さん はい、料金プレートはつくろう思ってます。あと、どこの写真館でも撮った写真を外にディスプレイしているじゃないですか。あれはどうしてもやりたいんですよね。
――いいですね。
池田さん 実家が写真館だったので、あの環境を自分でまたつくれるのはうれしいんです。
馬喰町の事務所でも写真館の企画はやってきましたが、神田でやるのはまた違う考え方をしています。まずサウナがあるし、周りにも美味しい蕎麦屋さんがあったり、写真を撮りに来てもらう以外にもこのまちに来る用事がいろいろあるんですよね。
――写真館はこのまちに来る選択肢のひとつでいい、ということですね。
池田さん はい。そういうふうに位置付けられたらいいな、と思っています。だから、ぼくはこのまちのいいところをたくさんおすすめしておきたい!
●先生も生徒も垣根のない学校を目指して
糸井さん そういうまちとのフラットなつながりは、ほぼ日の學校の中にもあることだと思っています。菊地さんがさっきロゴデザインのことで、ヒエラルキーのない集合にしたかったとお話しされていましたが、まさしくほぼ日の學校も、誰が生徒で先生なのかわからなくなっちゃうくらいのみんなの学校にしたいんです。
――といいますと?
糸井さん ほぼ日の學校のキャッチフレーズは、「2歳から200歳までの。」です。体系立てて何かを教えるわけでも、単位や資格を出すわけでもありません。授業はおもしろければなんでもあり。読み聞かせやお遊戯から、生活の知恵みたいなものがあってもいいし、神田のまちにいる親父さんの「俺はどう生きてきた」っていう話もおもしろいと思います。さすがに200歳まで生きている人はまだいないけれど、たとえば120歳のひとが先生の役をやってくれたら、聞いてみたくないですか?
――聞いてみたいです。
糸井さん いわゆる「先生」でなくても、ひとがなにかおもしろそうな話をしていると、みんな聞くじゃないですか。それが学ぶっていうことだと思うんです。
ネパールには、山道を歩いて往復4時間かかっても学校へ通いたくて仕方ない子どもたちがいます。学ぶことって本当は、それくらいおもしろくて楽しいことだったはずなんです。ネパールにあるYouMeスクールとほぼ日の學校は姉妹校になることにしたんですけど、それくらい一生懸命に学びたいひとに来てほしいなと思っています。
池田さん オルタナティブスペースでは、菊地さんの企画もあるんですよ。
菊地さん ぼくはもともとアートプロデューサーをやっていたので、今回はその立場で企画を考えています。ここでは美術だけじゃなくて、いろいろな形の展示ができそう。
池田さん いわゆるファインアートだけじゃなくて、食とかいろんなもので何か新しいことができたらいいですよね。
菊地さん うんうん。美術作品に限らず、いろんなものをその場所に同居させてみたいですね。情報を編集して本をつくるように、同じものでもいままでとは違う見え方がしてくるんじゃないかと考えてます。
糸井さん 何かテーマを決めて、一点展示なんてのもおもしろそう。
――いまのタイミングで、リアルな場所をもつ意味についてはどうお考えでしょうか?
糸井さん こういう時期だからといって、受身のポーズを取って固まっちゃうのが一番こわいんですよ。もともと計画していたことは、コロナであろうが台風であろうが、やる方法はあるはずだと思っています。
菊地さん 神田ポートビルはたしかにひとが集うスペースではありますが、それこそ青山のようにもともとひとがたくさん歩いている場所に出店するわけではありません。だからじつは、いまの状況っていうのはあんまり関係ない気がするんですよ。
――そうなんですか?
菊地さん はい。人通りがあるところだと、そこにあるニーズに対して何かサービスを提供するという考え方になります。でもここではそういうんじゃなくて、それぞれがもっているコンテンツを目指してひとが集まるという在り方なので、ある意味どうにでもやりようがあると思うんですよね。そしてやり方次第では、必ずしもリアルな場所にひとを集めなきゃいけないわけでもない気がする。
糸井さん 學校も、アプリで広げていきたいと考えていますしね。
菊地さん 基本的にやることが決まってないのが、神田ポートビルのいいところなんじゃないでしょうか。きっとだんだん、状況にあわせた在り方が見えてくるんだと思います。
池田さん 「ゆかい」もアメーバーみたいな感じでいいんじゃないって、前に菊地さん言ってましたよね。
菊地さん うん。サウナにしてもこのまま最初のかたちでずっとある感じがしないし。
池田さん そうですね。
菊地さん 「神田ポートビルが」これからどうなっていくか、それがぼくも楽しみです。
Text: Hazuki Nakamori
Photo: Masanori IKEDA, TADA, Yuka IKENOYA(YUKAI)