なんでもアカデミック!|まちに眠る遊びを取り戻す。これからの遊び再考【前編】
「学問の街」と呼ばれる神田。
それは大学や書店が多く集まっていることから来ていますが、学問という言葉が「知の体系」を意味するように、人々の学びへの熱量が絡み合ってきたまち、とも言えます。
「なんでもアカデミック」は、そんな学びが深く根づくこのまちで、多様な分野で活動する方々とあらゆるものをアカデミックに捉えて掘り下げていく企画です。
第二回目のテーマは「遊びは学び」。相反するような言葉ですが、子どもの頃に遊びを通して学んだことは多いのではないでしょうか。
車に遊び道具を詰め込んで神田をはじめ日本各地に遊び場を仕掛ける星野諭さんをゲストにお迎えし、ナビゲーターの丑田俊輔さんとともに、遊びの真髄に迫ります。
今回は遊びがテーマなのでかしこまってトークをしてもちょっと味気ないということで、公開インタビュー+ワークショップ形式にて決行。前編後編の2回に分けてお届けします。
星野諭さん
移動式あそび場全国ネットワーク 代表 /プレイワーカー/一級建築士/こども防災活動家
1978年新潟生まれ、野山で遊び、薪風呂で育つ。2001年の大学時代にNPO団体設立。神田で空き家を改装した子ども基地や地域イベント、子ども参画のまちづくりやキャンプなど実施。また、2008年には、移動式あそび場を本業とし、大都市部から里山、被災地など数人~数万人の多様な事業を展開している。
丑田俊輔さん
神田錦町の公民連携まちづくり拠点「ちよだプラットフォームスクウェア」を運営。日本IBMを経て、新しい学びのクリエイティブ集団「ハバタク」を創業し、国内外を舞台に様々な教育事業を展開。2014年より秋田県五城目町在住。遊休施設を遊び場化する「ただのあそび場」、住民参加型の小学校建設や温泉再生、コミュニティプラットフォーム「Share Village」等を手掛ける。
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⚫︎STUDY1 そして誰も外遊びをしなくなった、となる前に
さまざまなエンターテイメントコンテンツが生まれ、新しい遊びの体験に溢れている現在。一方で、身一つで外に繰り出して遊ぶことも、アイデアや工夫次第でいかようにも遊ぶことができ、無限の自由度があります。しかし、外での遊びが昔と変わってきているのだとか。一体何が起きているのでしょうか?
丑田 星野さんは長年遊び場を手がけていらっしゃいますが、どういったきっかけがあったのでしょうか?
星野 僕は新潟の妙高生まれで、大自然に囲まれて育ちました。大学進学とともに東京に出てきたんですけど、あまりにも生まれ育った環境と違うぞ…と。公園には禁止事項があるし、まちは石ひとつ落ちてないようなきれいさだし、もっと言うと外で誰も遊んでもいない!といった状況で、その衝撃が大きかったんですよね。
そんなことを感じつつ、建築を学びながらも子どもたちと何かしたいと思ってプレーパークのお手伝いをしたり子どもキャンプを企画したりして、そのままNPOを立ち上げて2001年に本格的に活動を始めました。
丑田 20年以上取り組まれる中で、遊びに対して感じる変化ってありますか?
星野 子どもの外遊びに関する研究でちょっと衝撃的なデータがあって。コロナ禍に入る以前の2017年に千葉大学の研究室で実施されたものなんですが、平日の一週間に外で遊ぶ日数を調査をしたところ、都市部で8割の子どもが「0日」と回答しているんです。
丑田 週5日中、ゼロですか…。コロナの影響関係なくそういった状況になってるんですね。
星野 公園の禁止事項の話に繋がりますが、余白のないルールの中で遊びなさい、と大人が決めてしまったことが大きいと思うんですよね。
一方で、我々大人は子ども時代に何をして遊んでたか思い返したいんですけど、丑田さんはどこで何をされてました?
丑田 育ちは東京の清澄白河で江戸の下町という感じなんですけど、近所にあった駄菓子屋をアジトにしてドロケイしていた記憶がありますね。
星野 まちを舞台に、いいですね。駄菓子屋を勝手に自分の拠点にしちゃうことなんかまさにそうですが、やっぱり大事なのは遊びを受け入れる豊かな環境をまちが持っているかだと思うんですよ。
僕のもうひとつ上の世代なんかは、規制が全然ないのでとんでもなく面白い遊びが開発されてるんです。例えば神田だと、野球をしたい子どもたちが、野球できるほど広い場所がないのでゴロベースという道でできる遊びを編み出して。球を下投げで転がして指先をバットがわりにコンクリートすれすれのところを思い切り振るっていう。めちゃくちゃ怖いんですけど(笑)
丑田 野球をしたいという願望から、この環境の中でどうできるか、新しい遊びを開発するということが自然に起きていたんですね。
星野 そうです。なので、まちとして野球ができるような広い場をつくることもできたらもちろんいいですが、いまある環境を活かして遊べるまちであることが大事だと思うんです。
丑田 それこそまちでプレイフルに遊ぶことに繋がりますね。合理的に設計された都市の中で、余白という意味での遊びを持たせた環境をどうつくっていくかが、すごく重要な気がします。
⚫︎STUDY2 場所を問わない、移動式あそび場の可能性
外での遊びの現状や可能性を語っていただいたところで、あらゆる遊びを提供する星野さんは実際どういった場をつくっているのでしょうか。さすが遊びのプロ…とこぼさずにはいられない、柔軟な発想と行動力にあふれたエピソードが飛び出しました。
星野 ちょうど25年前、僕の原点と言える活動があって。神田多町2丁目の路地にある築45年の空き家を借りて、子どもの遊び場をつくったんです。当時関わるメンバー全員学生だったのでお金がなく、頼み込んで家賃下げてもらってセルフビルドでなんとかやりくりして、2階は学生のシェアハウス、1階は子どもの基地みたいに開放して、遊べる場所をつくりました。
星野 特に神田は道路率(道路が区域の面積に占める割合のこと)がとても高く、道文化が根付いている地域なので、道を使って子どもたちの作品を展示したり、いろいろと街を巻き込んでいきました。
そこから2年半ぐらい活動を続けていたのですが、建物が取り壊しとなってしまって。困ったぞと思いつつ生まれたのが、いまメインで活動している移動式あそび場でした。
丑田 さらっと大きな転換を遂げていますが、どのようにして思いついたんですか?
星野 新しい拠点探しに難航していた頃、ふと目の前に自動販売機に商品を補充するボトルカーがやってきたんです。それを見て、この中に子どもの遊びの材料を詰め込めばいいじゃん!巨大なおもちゃ箱になるぞ!と閃いて(笑)
すぐにボトルカーを持っていそうな大手飲料メーカーに「子どもたちに遊びを出前したいので車ください!」と片っ端から電話しました。その中で、自動車会社の財団で地域活性に関する助成の募集をしていると教えてもらい、無事通って2008年にできたのが第1号です。いまでは4号にまで増えました。
丑田 発想も行動力もすごい…!移動式だと、いつでもどこでも遊び場にできるというのが強いですよね。
星野 そうですね。移動式あそび場にしたことで日本各地で展開できるようになって、遊び場をつくる目的も広がりました。
まず一つは、将来的に僕らが行かなくてもいいように常設の遊び場をつくりたいと思っていて、その点で移動式あそび場は実証実験的な役割を持たせられるんですね。月に一度遊び場を展開しながら今後どういった場をつくるといいか、地域の方々の意見を聞くワークショップもやったりしています。
丑田 どういう場がほしいかって、頭だけで考えてもなかなか思いつかなかったりするので、実際に遊び場を見ながら考えられるのはすごく建設的ですね。
星野 あとは、企業とコラボレーションして環境や防災について遊びを通して学ぶ場をつくったり、遊びを介して多世代交流の場をつくったり、被災地に遊び場を届けたり。いろいろな形で遊びの可能性や価値を発信しています。
丑田 遊びのパワーが災害支援に繋がるということって、確かにありますね。僕のもう一つの拠点である秋田の五城目町は、7月の豪雨災害で復旧作業に追われていて、子どもたちの居場所をどうするかという問題がありました。浸水後の家屋や屋外は衛生環境的にもハードな側面もあって。なので、商店街の遊び場や廃校を活用したシェアオフィスを開放して、そこの給湯室で炊き出しなんかもしてるんですけど、子どもたちは遊びの延長線でひたすら野菜を切ったり調理を手伝ってくれてるんですよ。
そういう光景を目の当たりにして、遊びって学びとか社会の繋がりとかいろいろなものの原動力になるんだなと改めて感じますね。
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なんとなく捉えていた「遊び」について、研究データや活用事例を交え、その輪郭が少しずつはっきりとしてきました。後編では、神田のようなオフィス街での遊びのつくり方やビジネスパーソンが遊びを取り戻すには?など、実践に向けてさらに語っていきます。
Text/Edit: Akane Hayashi
Photo: Yuka Ikenoya(YUKAI)
Title Design: Kosuke Sakakibara(BAUM)